■まずはオープニング


世の中にはね、たまにいるんですよ。

胸を張ってこう言う人。


「真宗って“どんな悪でも助かる”んやろ?せやしワシ、好き放題

してんねん😎」


……いやいや、兄さん、ちょい待ち。

それ、本願ぼこりって言いましてね、

真宗界のやってもうた故事成語です。

仏さんが救ってくださるのをいいことに、

「悪いことしてもOK!」と跳ねまわる……

あんた、それ、助かる気ゼロの踊り🤣

■「本願ぼこり」がすでに“信じてない”証拠

この言葉、実は宗教あるある。


「神さま仏さまが守ってくれるなら交通ルールいらんやろ」


──って言う人、

絶対守られてへんやつですよ。

真宗が言うのはこうです:


「助けられるから悪していい」

ではなく

“悪を止められない身”が救われる


つまり、

🟩 悪を抱えて苦しむ → 抱かれる

❌ 悪を誇って暴れる → ただの暴走族

■善い心も悪い心も「自分の実力」ちゃう

親鸞さんは言いました。


善心が出るのも宿善のおかげ

悪心が出るのも宿業のはたらき


つまり、

「ワシ、良いことしたで!」

=半分自分の手柄、半分縁の賜物


「やってもうた…」

=縁がついて出た芽


人間は自分の心を自由に操れるほど

賢くない。

(だから、夫婦喧嘩も止まらんし

夜中にラーメン食べるのも止まらん)

■いま撒く“タネ”が未来の景色になる

仏教では、行い=業(ごう)。

そして業には四種類。

業のタイプ

どんな結果?

順現業

今すぐ咲くタネ(今日の言動)

順生業

次の人生で咲く

順後業

いつか咲く

不定業

縁が来たらどこでも咲く

つまり、


今日のひと言が、

明日の自分を決めてく。


いいタネ撒けば、

細〜いながら光の道もひらける。

■“広目如来レンズ”で人を見る

人生むずい。

人間関係もっとむずい。

つい…

「あいつだけは許せん」


と、顕微鏡みたいな目で見る。

そこで登場

🕶️ 広目如来レンズ!

「相手を大きな目で見直す」


やってみると…

「この人も意地あるんやな」

「ここは良いとこあったんや」

怒りがスーッと、ね。

(脂肪もスーッとしてほしい)

■今日のオチ

「助かるから悪してOK」

それは本願ぼこり


「悪が止まらんワシ」

それが凡夫


そんな私を

捨てず抱くのが阿弥陀さん

だから念仏は

「許されたから自由」やなく

“許されて生き直す自由”


南無阿弥陀仏。

ようこそ今日も生き直しの一日へ。


おあとがよろしいようで🪷