■親鸞聖人の“ドッキリ”説法

「唯円よ、わしの言うこと信じるか?」

「はい、もちろんです!」

「ほな千人殺して来い。往生できるぞ」

……出た、いきなり物騒シリーズ。

唯円さん、目玉まん丸。

「そ、そんな! 千人どころか一人も…」

すると親鸞聖人、すかさず。

「それが人間や」


できるならやっとる。

やらんのは、やる“タネ”が今は出てないだけ。

善人ぶってる私らに

ドギャーン!と現実パンチです。

「できへんから善いんやない、

できへん“縁”なだけやで〜」

というオチ。

■「縁起」っていうと難しいけど…

この世は縁で動く自動運転。

善いこと言うたり、怒鳴ったり、うらやましがったり。

ぜ〜んぶ“心の種が、縁で発芽”しただけ。

仏教で言うと“業”。

現代風に言うと“心のアプリ”。

■「なんであの人ばっかり幸せ?」問題

ありますよね〜。

・あんな良い人が、なんで苦労続き?

・あんなヤツが、なんで成功?

SNS見て胃がキュッなる瞬間。

でも親鸞さんは冷静。

「過去の種が違うだけ」


で、怖いのはね。

“今の善人”が、昔は極悪人かも


逆に悪人も、昔は菩薩かも。

だから、

人を指さして断罪した時点で、負け。

「明日は我が身やで〜」

■“運命”じゃない。“因縁果”

「神様にお願いして長生きしたいんです」

と言う人おるけど、

親鸞さんは静かにこう言うたはず。

「仏にもできんことがある」


✅仏の三不能

番号

内容


①因縁果は変えられない

蒔いた種は生える


②全員救いたくてもすぐには無理

ありがたさがないと心は動かん


③縁ない者は救えない

ご縁なしには入門できん



「わし、信心深いで!」

→それさえ“縁”やぞ

「仏様に長生き頼むんや!」

→命のロウソクは伸びんのや

…急に人生、しんみりリアル。

■じゃあ、私らどう生きるん?

親鸞聖人は、めっちゃシンプル。

感謝と懺悔で生きよ


「こんな私を、十劫昔から

願ってくれたんか」

「ありがたい…」

そして、

「どんな縁が出ても、私は私」

でも

「見放されない」

ここが肝。

■まとめ

世の中という舞台、役柄は縁で決まる。

善人役の日もあれば、悪役の日も。

「ワシは善人のつもりや!」

→それ、今日たまたま善縁出ただけや

「私はダメ人間です…」

→それ、今日たまたま悪縁出ただけや


つまり——

役に振り回されるな。

抱かれて歩け。


南無阿弥陀仏は

「演技失敗しても降板させんで」

という、最高の座長。

■最後にひと言

人間という劇、

うまい時もヘタな時もあるけど、

拍手席には阿弥陀さまがおる。

客席最前列で、

泣きながら見てくれてる。


今日も一幕、精一杯。

では——

おあとがよろしいようで。合掌🕊️