兵庫県姫路市山田町南山田

 

南山田城です。

 

平凡な名前です。

 

南山田城は戦国時代に後藤基国によって築かれたと伝わる。後藤基国の前半生は定かではなく、三木城の別所長治の家臣であったらしく、。天正8年(1580)に三木合戦における、平田村に於いて羽柴勢と戦い討死にした(又は病死とも)。その基国の次男が皆さまご存知の後藤基次(通称・後藤又兵衛)で、幼い(8歳?)の又兵衛は黒田官兵衛の元で養育されたとされます。その後の又兵衛は黒田家を追い出されたり入ったり、黒田のあほボンに愛想つかして出て行ったりで、「黒田二十四騎」「黒田家八虎」「大坂五人衆」「大坂城七将星」の1人に数えられ、勇将、猛将として後世に名を残す武将となります。

 

そんな後藤又兵衛生誕の地であろう南山田城です。

 

 

姫路市山田町。又兵衛推しビックリマークです。

 

 

駐車スペースありません。公民館に勝手に停めました(すんませんでした)。そこから城跡の周りの道を歩きます。切込接ぎ布積みの石垣があります。もちろん近年の物です。その石垣の上の竹林が城跡になります。おそらく周りの道路も城域だったのが改変されてしまってるのかと。

 

城跡へ行けるのかと思いましたがムリそうです。いや、だいぶ無理したら行けるでしょう。

 

 

ここからもだいぶ無理したら入って行けそうですが、マダニが怖いのでやめましたあせる

 

 

反対側へ回り込むと児童公園がありました。

 

 

城山の半分は児童公園になったようです。後でギッタンバッタンで遊んでいこかな?

 

 

児童公園に児童はいなくて、老婆が2人ベンチでアイスを食べていました。竹が生茂ってるとこに遺構が残ってるようです。

 

 

説明板がありました。縦文字苦手な方は横文字読んでいただいても構いません。

 

 

公園の横から竹藪に突入ビックリマーク 歩き回りたくないなこれあせる

 

 

土塁!?らしき遺構だけ確認ビックリマーク 直ちに退散しましたあせる

 

まあ、仕方ないね。

 

竹藪の整備を望みます。

 

 

 

近くに福田寺てのがあります。

 

 

福田寺は、孝徳天皇の大化元年 法道仙人による開基で、慶長年間、教順大阿闍梨が 本寺を中興された。当時、南山田城に在った 後藤又兵衛は 深く当山を信仰し、帰依したと言われ、また 後藤一族の菩提寺であったとも言われています。

 

 

境内の様子。

 

 

本堂裏手の墓地片隅に又兵衛父母の供養塔がありました。

 

 

後藤又兵衛は大坂夏の陣・道明寺の戦いで奮戦空しく討死にしますが、又兵衛の妻は二歳の子・為勝を連れて実家の三浦家(岡山藩主・池田家家老の家臣)へ帰ります。その後池田家は鳥取へと移封し、三浦家も後藤一族と共に鳥取へ。後に為勝の子が又兵衛の墓を建て、その一族の墓が鳥取の景福寺にあるといいます。いずれ機会があれば訪れとう御座います。

 

また、又兵衛(シャレやないで)は奈良の宇陀市(又兵衛桜があるとこ)や大分の耶馬渓なんかに落ち延びたいう話。まぁこれは昔の講談や軍記物が世に広がって伝説として各地に残ってるんですね。

 

 

 

 

 

19/04/06

 

 

 


お城・史跡ランキング