こんばんは。

5月の健康診断。D2の数が過去最高デス。

 

はぁ(ため息)

 

各々方お体には気を付けましょうビックリマークと言いながら体に悪いことばかりしてる私デス。

 

とりあえず吉田郡山城(中編)

 

いっときます。

 

 

郡山城は山上部と山麓部で構成されていまして、山上部は標高390m、比高190mにあり、本丸を中心に放射状に、な、な、南斗大小270以上の郭が築かれています。もちろん全部の郭回れてませんあせる

 

今回は詳しくやるとアレなんで、ちょっとダイジェスト版でお送りいたします。

(要するに非常に長編になるので少々こじんまりにします)

 

元就さんのお墓からのルートやと地図の左下から登って来、最初に到達するのは御蔵屋敷です。囲ってある勢溜の壇は次なのでここでは気にしないでください。

 

 

途中に出てきた嘯岳禅師(しょうがくぜんじ)の墓。元就さんが師匠と仰いだ高僧で、しばしば吉田に招き入れたそうです。元就さんの葬儀の導師も務めた僧であるそう。(スンマセン)

 

 

登城道はそう険しくもなくハアハア息を切らしながら登らんでもよかとです。(ちょっと汗ばむわ~)

 

 

御蔵屋敷の下まで来ました。石垣の石でしょうか? 石ゴロゴロ。

 

 

御蔵屋敷。元就さんのお墓から約20分で城内へ突入しました。

 

 

御蔵屋敷跡の説明

 

 

御蔵屋敷から見た二の丸、本丸方向。

天正19年(1591)に輝元くんが広島城を完成させると、毛利の本拠地は広島城へと移り、城下町の人々も広島へ移住しました。吉田城は家臣らによって管理されてたようですが、慶長20年(1615)の一国一城令により城は破却されています。そして石垣は無残にもこのような状態になっちまってますしょぼん

 

説明に書いてある上の通路沿いの石垣。こういう具合に積まれた状態で残ってる石垣は僅かです。

 

 

 

勢溜の壇

 

 

勢溜の壇跡説明

 

 

虎口を上がったところ。

 

 

長大な四段構成。その先に帯曲輪三段。長いっビックリマーク

 

 

 

勢溜の壇南東にある尾崎丸との間の別の登城道ですけど、堀切ではないんですね。

 

 

尾崎丸 

 

 

尾崎丸の堀切。郭を分断している堀切ではなくて、尾崎丸内に堀切がある感じですが、横堀っぽいし、この堀切より前の通路の方が堀切っぽいんですけど? ただ表示はこちらが堀切になってた。

因みに、堀切って築城時から現在までの間に人間の背丈くらいの土が積もって浅くなってるらしいですね。何かの本に書いてました。

 

 

 

御蔵屋敷跡へ戻って本丸周りの郭から時計回りに廻っていきます(まわるが三種)

 

 

井戸があります。

 

 

現在は埋もれて水は湧いてないが、”埋もれた土を掘れば水をたたえると思われる” さて如何であろうかはてなマーク(推測なのであてにならない)

 

 

 

百万一心の石を埋めたとされる姫の丸壇

 

 

姫の丸壇デス。下地は整備されてる感じなんですが木がねぇ多いですねぇどこも。こういう国の史跡て木は伐採したらアカンのでしょうかはてなマーク スッキリすると思うんですけどねぇ。森林保護とが政府への申請とかいろいろあって難しいんすかねぇ?

 

 

 

姫の丸壇から次行きます。

 

 

 

 

釜屋の壇

 

 

釜屋の壇の説明

 

 

釜屋の壇の奥の方。この先には堀切があって羽子の丸という郭がありますが、行ってません。

 

釜屋の壇から見上げる本丸の方。

 

 

 

次は厩の壇デス。

 

 

厩の壇跡説明

 

 

 

厩の壇の先の方の段々な感じ。

 

 

そしていよいよ主要部の三の丸へ突入デス。

 

 

 

三の丸下段の帯曲輪です・・・

 

 

廃城感ありあり満載ですが、無残というか残念というか、大大名毛利元就が築いた城だけにこの石垣の破壊跡は残念な感じがしますね。

 

 

 

余すは三ノ丸、二の丸、本丸。

 

 

後編へ続いてしまいます。

 

 

 

 

19/05/03

 

 


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