資料:ヤクザと自民党政治の研究

テーマ:
元記事は『日本国研究─情報ブローカー日記』(2006年時と古いが今でも通じる)。通史として秀逸なので以下に一部改変し転載する。


ヤクザと自民党政治の研究


治安維持の切り札

1946年、敗戦による混乱の中、東京では三国人による凶悪犯罪が横行していました。それに対して東京の治安を守るべき警視庁はGHQの政策により弱体化し、「戦勝国民」である三国人に対して有効な取り締まりの手立てがありませんでした。

一方で戦前から繁華街利権を抑えていた日本の地元ヤクザも三国人の急速な進出によりその縄張りを侵食され戦後の経済混乱と相まって苦境に追い込まれていました。

そこに着目した警察上層部は、地元ヤクザに三国人鎮圧を託します。警察当局からヤクザに三国人に対する暴力のお墨付きを与えたのです。

1946年6月、新橋駅西口の闇市の利権に絡み松田組と台湾人露天商の間で抗争が発生、松田組側は機関銃を用いて台湾人を排除しました(新橋事件)。また、同年7月には台湾人による渋谷署襲撃事件に対して警察は地元ヤクザの落合一家らに救援を要請。共同でこれを撃退しています(渋谷事件)。

混乱期、警察当局はこうしてヤクザを利用して治安を維持しました。ここに見られるように日本政治におけるヤクザは単純に悪と割り切れない難しさがあります。なにはともあれこの一連の事件は、政治家に武装組織としてのヤクザの有用性に着目させる契機になりました。


反共の防波堤として

1947年、2.1ゼネスト中止命令をきっかけにGHQの占領政策は大きな転換を迎えました。アメリカは日本を反共の防波堤として位置づけ、戦犯の公職追放を解除し始めた一方、逆に左翼勢力に対してパージを始めたのです。

そんななか、ヤクザの実力に着目し彼らを反共の武装組織として再編したのが児玉誉志夫です。児玉誉志夫は後にロッキード事件で逮捕されて一躍有名人となりました。彼は戦前大陸で児玉機関を率いており巨額の財をなしたと噂されている大物右翼です。

A級戦犯容疑者だった児玉誉志夫は1948年末CIAと取引の末釈放され、反共活動のためヤクザとGHQ・政治家のフィクサーとしての活動を開始しました。その後の戦後政治はこの児玉誉志夫を中心に動いて行くことになります。児玉は1950年の自由党結成や1955年の保守合同と自民党の誕生を資金面で支援していたとも言われています。

50年代を通じて高揚した左翼運動が頂点を迎えるのが60年の安保闘争です。デモ隊が国会構内に乱入するなどの大きな混乱が生じ、自衛隊の治安出動まで検討されたと言われます。そこで当時の首相岸信介は最悪の事態に備え児玉にヤクザへの仲介を依頼。鶴政会(現・稲川会)の稲川角二、住吉一家(現・住吉会)の磧上義光らは岸の要請に応じて有事の際は組員の動員を決定しました。なお、この際山口組の田岡一雄は動員に応じず静観していたことは注目に値します。

現在、岸信介の率いていた岸派は福田派・三塚派を経て森派に受け継がれています。つまり自民党、とりわけ森派は歴史的に稲川会・住吉会に恩があるわけです。


頂上作戦と山口組

安保闘争を乗り切って日本が高度経済成長に移るとヤクザを囲む状況も変わります。1960年代、混乱の間隙を縫って勢力を伸張させた山口組による抗争事件が続発しました。そのため国民の暴力団に対する批判が高まり、警察庁は「第一次頂上作戦」(暴力団潰滅運動)を開始しました。実質的には山口組潰しです。(※注1)

頂上作戦を受けて、岸に協力した関東ヤクザは児玉の指導の下、右翼団体「関東会」を結成して政治団体化、生き残りを図りました。関東会は錦政会、住吉会、松葉会、日本国粋会、義人党、東声会、北星会の7会派からなる連合体です。もっとも関東会は内部分裂により翌年には解散してしまいますが、これによって関東ヤクザの政治団体化と児玉の連携は決定的になりました。

日本における暴力団系右翼は現在も関東系の稲川会系と住吉会系が中心となっており、自民党と良好な関係を保っています。とりわけ森派の民族主義傾向の強さはこれら団体の存在と表裏一体であることがわかります。

実例を挙げるならば、森派が一枚噛んでいる「救う会」と住吉会系右翼「日本青年社」の間に密接な関係があることなど、枚挙にいとまがありません。

さて、このように当局と良好な関係を保っていた関東ヤクザとは対照的に、警察当局に徹底的に弾圧された山口組でしたが、港湾役務利権と芸能興行を柱としてその勢力は衰えませんでした。

港湾利権とは港湾の労働者の派遣業を独占的に行い利益を出していたことを指します。山口組は戦後急速に規模が拡大した港湾利権によって成長した組なのです。そして芸能興行とはまさに芸能人そのものです。当時のスター美空ひばりも山口組系の神戸芸能社に属しており、東京以西の芸能人の多くは山口組傘下でした。ちなみに今日もほとんどの芸能事務所はヤクザ関連と聞きます。

1971年に若頭に就任した山本健一は田岡の絶大な信頼を得て山口組は隆盛を迎えます。さらに勢力は拡大し、全国進出と権力への浸透を進めたのです。

この山口組の全国進出と権力への浸透が、暴力団の知能化、経済犯罪化が進んだことと相まってのちのバブル崩壊・不良債権地獄の伏線となりました。

※注1…山口組による麻薬撲滅運動が警察当局を刺激して、頂上作戦に至ったという説がある。山口組が麻薬撲滅運動を展開したのは在日の勢力伸張を警戒して彼らの資金源の麻薬を断とうとしたからである。よって上の説が事実ならば60年代には警察は在日利権を容認していたことになる。

後に日韓国交正常化と賠償に関わる児玉誉志夫や岸信介、瀬島龍三らの「韓国利権」実態が明らかになったが、ここから推察するに60年代自民党内では主に南利権を持った政治家が登場したため、在日韓国・朝鮮人の日本国内での既存利権を容認するようになったと考えられる。


笹川人脈

頂上作戦で警察の標的にされた山口組でしたが、彼らもまたエネルギー利権の田中清玄や、児玉と並ぶ戦後政治のフィクサー笹川良一と深い関係を持っていました。

この笹川良一こそが児玉と並ぶ戦後政治のフィクサーの一人です。笹川は児玉と同じく戦犯として収監された経験があり、戦後CIAの協力者となっていました。なお、前回児玉筋の南利権について述べましたが、笹川もまた国際勝共連合・統一教会を通じての韓国利権のパイプを持っていました。統一教会もKCIA(韓国中央情報局)=CIAと内通していましたから、結局のところ児玉ルート・笹川ルートでの韓国への資金循環はCIAの工作と考えられます。

CIAの資金調達法は後にイランコントラ事件で明らかになります。イランコントラ事件とはCIAがニカラグアの反共ゲリラを支援する資金を調達するために、本来アメリカの敵であるはずのイラン政府に武器を売却していた事件のことです。この問題は国際司法裁判所に持ち込まれる大問題となりました。同様に中南米の麻薬利権もCIAの活動資金の原資になっていると噂されます。このようにCIAは海外において考え難いような非合法資金調達工作を行ってきたのです。

それを踏まえれば、CIAは韓国の赤化を防止し同時に日本の保守政権を守るため、比較的豊かな日本から貧しい韓国に資金を流し込み、その一部をフィクサーを介して自民党筋に還流させたと考えるのが妥当でしょう。現在の在日利権の淵源はここにあると考えられます。

余談として、笹川良一と関係が深い団体としては創価学会が挙げられます。学会の反共的性格が笹川の意図と合致した結果でしょう。一説には笹川は池田大作の求めに応じて学会に資金を供与したと言われます。実際、創価学会が言論弾圧事件を起こした際も笹川からの口利きがあったようです。田中角栄も言論弾圧事件の際に公明党を救った一人だと言われますから、笹川-角栄も何らかの関係はあったようですね。

また、山口組系後藤組と学会の緊密な関係が伝えられますが、このコネクションもおそらく笹川を介してのものでしょう。

山口組が警察の頂上作戦のメインターゲットになっても解散に追い込まれず、広島抗争として有名な本多会との抗争にも勝利することができた理由。それはこの笹川人脈を介しての政治権力への浸透工作があったことは間違いないでしょう。


ロッキードの闇

1976年、アメリカ上院議院多国籍企業小委員会の公聴会で、旅客機の機種選定についてロッキード社が世界各国の航空会社・政府高官に贈賄を行っている実態が明らかにされました。

ロッキード社の証言により以下のことが分かりました。日本においてロッキード社は児玉を仲介人としており、ロッキード社は児玉に21億円のコンサルタント料を支払ったこと、それを受け児玉が小佐野賢治・丸紅を介して田中角栄に5億円を届けたこと、最終的にこの工作により全日空の導入機種はDC-10型機からロッキード社のトライスターに変更されたことです。

国際興行社主だった小佐野と田中角栄は盟友関係にあり、児玉は小佐野を介して角栄の知遇を得ていました。丸紅はロッキード社の日本側の正式な代理店です。

この一件で田中角栄は逮捕される事態に至ります。元首相の逮捕は昭電疑獄の芦田均以来でした。 

世間ではこの事件の裏側でCIAが動いたとか、アメリカの内政に巻き込まれただとか、笹川ラインが児玉ラインを追い落としにかかったとか、三木が角栄に止めをさしたとか様々な観測があります。現在でもはっきりしたことは分かりませんが、あれだけ普段政治家には腰の引けており、外事案件に慎重な検察庁が大物を逮捕にかかったという事実から見て誰かが検察をプッシュしたのは間違えないところです。

現時点で分かっているのはロッキード-日本間の資金循環をCIAはあらかじめ知悉していたこと、この一件により児玉ルートは潰れたこと、かつ児玉ルートの大物、読売(正力・渡辺)及び中曽根は無傷で済んだことです。

なお、注目すべきことに児玉は民生用航空機だけでなく軍用機利権も持っていました。1958年にロッキードF-104戦闘機売り込みを行ったことが発端になり児玉はロッキード社の軍民航空機の秘密代理店をしていたからです。

しかしながら、76年のロッキード事件では民生用のトライスター疑惑だけがクローズアップされ、同時に関与が取り沙汰されていた軍用P3C対潜哨戒機疑惑に関しては検察はノータッチに終わりました。こちらの売り込みには中曽根康弘・後藤田正晴が関与していたと言われます。ロッキード事件は「誰か」の手によって「角栄・児玉」を狙って選択的に起こされた事件と見て間違いないでしょう。

ここから推察するに、ロッキード事件とは結局のところ角栄の資源独自調達・対中姿勢がアメリカCIAに嫌気されたというのが真相ではないでしょうか。

こうして児玉が失脚したことにより日本の裏社会は重要なフィクサーの一人を失い、その後の混乱の原因となりました。この頃から、裏社会の表化が進行するのです。


バブル前夜

1970年に警察庁によって二度目の頂上作戦が行われ、暴力団は徐々に従来型のシノギが困難となっていました。そのような苦境に対応してヤクザはその姿を変えて行きます。具体的には前述した政治団体化に加え、日本の司法システムの欠陥を利用した(※注2)整理屋・損切り屋・競売妨害・地上げ屋などの民事介入暴力(民暴)、総会屋、北朝鮮ルートでの麻薬の密輸と国内販売などです。

このように70年代半ばからヤクザは従来の「反共の防波堤」としての性格から、単なる犯罪集団へと変わって行ったことがわかります。

もっとも厳密に言えば民事介入は大昔からありました。例えば戦後直後、建設現場では業者間のトラブルが頻発したために現場の仕切り役・用心棒としてヤクザを介在させるようになりました。この建設業界の体質は一貫して続いており、現在でもヤクザは公共工事の30~50%に関与し、工事代金の2~5%が渡っていると言われます。

また総会屋もその存在が初めて国民に広く知られたのは古く、昭和38年の城山三郎氏の著書「総会屋錦城」によるものです。そして総会屋と言う職業自体はそのさらに昔から存在していました。

しかしながら、70年代にヤクザのシノギ全体における民暴等の経済行為の相対的比率が高まったことは確実です。

そして裏社会が表社会の経済活動に本格的に進出を始めたときこそ、バブル後の「失われた十年」が準備された瞬間だったのです。

70~80年代、地上げや債権回収などでヤクザは銀行に足がかりを築きました。またヤクザが銀行に恩を売る一方で、銀行側もむしろ積極的にヤクザを利用したのです。

こうして銀行がヤクザを利用したことこそが90年代の金融危機の真因です。


世間では銀行の経営危機というのはバブル崩壊が原因となったと報道され、バブル前の日本の金融機関には問題が無かったかのように言われています。しかし、資料を紐解くと80年代初頭にいくつかの相互銀行(現在の第二地銀)が経営危機に瀕していたことが読み取れます。

その代表例は東京に基盤を持つ平和相互銀行です。平和相互銀行は「闇の世界の貯金箱」と言われるほど黒社会と関係が深く、関東の地元ヤクザの巣食う銀行でした。平和相銀は乱脈融資の果てに86年に破綻。行内でもぎりぎりまで派閥争いが続いていました。

このようにドロドロした平和相銀でしたが、住友銀行磯田一郎は東日本における業容拡大のために、大蔵省の要請に応ずる形での救済合併を決断。

住友及び大蔵省当局は、旧平和相銀側に寄生する関東のヤクザを鎮圧するため、旧川崎財閥の資産管理会社社長だった佐藤茂や、当時住友銀行と密接な関係にあった山口組に介入を要請しました。

結果的にこのことは大蔵省-住友銀行-山口組という癒着の図式を作り、住友-山口組の関係深化を推進しただけでなく山口組の東京進出に拍車をかけました。今にして思えばこの事件はバブル後の金融危機の序章でした。


1991年、住友-山口組の特殊な関係を示すもう一つの事件が明らかになります。住友の実質管理下にある中堅商社伊藤萬を舞台としたイトマン事件です。この事件ではフィクサー許永中を介して住友は食い物にされ、多額の資金が黒社会(≒多くが山口組?)に渡りました。このとき闇に消えた金は3000億とも6000億とも言われており、いまだその全貌は明らかになっていません。

なお、許永中と亀井静香は緊密な関係が伝えられています。

このように財界-ヤクザの融合が進む中で、政界-ヤクザの関係もまた深化して行きます。


東京佐川急便・経世会

87年、竹下登が田中派を割って創政会(竹下派・現橋本派経世会)を旗揚げしました。実質的に田中角栄を裏切って竹下総裁を誕生させようという動きです。

そのとき、皇民党事件が発生しました。皇民党事件とは山口組系の右翼団体である皇民党事件が都内各地で竹下の「褒め殺し」を行って竹下に対して圧力をかけた事件です。(※注3)

竹下・金丸・小沢らの自民党執行部は褒め殺しを止める必要に迫られました。金丸は自身と親しい東京佐川急便の渡辺広康社長を通じて、稲川会会長石井進に仲介を依頼。当時すでに稲川会と山口組は親密な関係にあったので石井の仲介は成功し、竹下が田中角栄の私邸に挨拶に行くこと及び皇民党への資金の提供で折り合いました。

この事件によって金丸を含む自民党・稲川会・右翼団体への佐川急便からの献金体制が確立。後に東京佐川急便事件として露見することになりました。


このように見てくると、70年代半ばからヤクザの経済犯罪化が進んだことや児玉・笹川のような大物フィクサーが引退したことにより、裏社会の表社会への介入がエスカレートしたことが分かります。

※注2…いわゆる「二割司法」問題を指す。「二割司法」とは日本において民事トラブルの20%程度しか司法手続きで解決されておらず、残りは裁判外で処理されている事を揶揄した言葉である。

日本においては裁判に金と時間がかかりすぎるために司法制度が機能していない現状があった。そのことが民暴を生む原因と指摘する意見も多い。現在の司法制度改革による裁判迅速化・法曹人口増員はこの問題に対応したものである。

※注3…皇民党事件を仕掛けた黒幕が誰かは明らかでない。一般に田中角栄が竹下に報復するために皇民党に街宣を依頼したと言われるが、皇民党はロッキード事件の際、反田中街宣活動を積極的に行っていた過去があり若干の疑問が残る。中曽根黒幕説もあり判然としない。


バブル崩壊・直後

85年のプラザ合意後、短期の円高不況を挟んで日本はバブルの時代を迎えました。金余りにより株価・地価は暴騰。世間ではにわか成金やバブル紳士が跋扈しました。しかしバブルはそうそう長くは続きません。株価は89年の大納会、地価は91年の公示地価をピークにして暴落。こうしてバブル経済が崩壊すると日本は混迷の時代に入りました。

そしてバブル崩壊の傷跡を処理する過程でこの国の政官財暴癒着、そして政治家・官僚が救いようもなく腐っていることが白日の下に晒されて行くのです。


1991年6月20日、野村證券の損失補填特約口座の存在が発覚し証券不祥事が明らかになりました。損失補填特約口座とはいわゆるVIP口座と呼ばれ、取引一任勘定・損失補填によって証券会社が損失を肩代わりし、顧客に損失の生じない仕組みの口座です。このVIP口座には政官暴の大物が名を連ねていました。一部報道では後の厚生省汚職事件で逮捕される岡光序治の名が挙がっています。

証券不祥事は他の大手証券にも波及し、大手4社(野村・大和・日興・山一)全てでVIP口座の存在が明らかになったほか、総会屋への利益提供や仕手に絡む暴力団への利益提供の実態も報道されました。

当時の報道によると、野村證券は東京佐川急便の渡辺会長と組んで、東急電鉄株買占めを図って窮地に陥っていた稲川会の石井会長を救ったり、仕手集団「光進」とともに国際航業株の買占め・相場操縦で政官暴に間接的に利益提供を図ったりといった行為を行っていたようです。ちなみに光進の代表は後に株価操作容疑で逮捕されましたが、彼らの資金調達に手を貸した住友銀行も支店長が出資法違反で逮捕されました。


91年には証券だけでなく銀行においてもスキャンダルが相次いで露見しました。富士銀行・東海銀行・東洋信用金庫などで次々と架空預金証書を使った不正融資が発覚。とくに富士銀行事件では赤坂支店からノンバンクを介して女性料理店主に巨額の不正融資が行われましたが、不正融資の金額の大きさから資金は料理店主との関係が報じられる橋本龍太郎に渡ったのではないかという疑惑が伝えられています。


このようにバブルまでに蜘蛛の巣のように張り巡らされた政官財暴の癒着体制はバブル崩壊後に生じた不良債権処理を著しく困難にしました。さらに銀行にはバブル期に地上げ等でヤクザを利用していた事実もあるのでヤクザに弱みを握られていました。

さらに、93年に阪和銀行副頭取、94年には住友銀行名古屋支店長の射殺事件が起きるなど、バブル期に各行が貸し出したヤクザ関連融資にまつわるトラブルが表面化。「ヤクザ・リセッション(ヤクザ不況)」の言葉が誕生したのもこの頃です。


一方、大手銀行において対ヤクザ融資は主に系列ノンバンクの住専を通じて行われていました。住専は不動産企業にも多額の融資をしていたためバブル後早々に経営が行き詰まり社会問題化したのは記憶に新しいところです。

大蔵省は天下りを送り込んでいたこともあって当初から住専問題の深刻さを認識していましたが、住専の母体には大手銀行だけでなく農協系金融機関が含まれていたために問題が複雑化して処理が遅れました。農水省・自民党農林族が農協系の負担を最小にしようと画策し大蔵省に圧力をかけたからです。


リクルート・佐川急便

話は少し戻って1988年、リクルート事件が発生しました。リクルート事件とはリクルート社の川崎市進出に関する贈収賄事件を朝日新聞がスクープしたことを発端にして、同社長江副浩正が政界・官界・NTT高官に未公開株を譲渡したことが明らかになった事件です。

この事件はロッキード以来の大型汚職事件となり、政治家からは藤波孝生元官房長官、池田克哉元衆院議員の2名、官僚からは高石邦夫元文部事務次官、加藤孝元労働省事務次官、鹿野茂元労働省課長の3名、NTTからは4名、贈賄側のリクルート社から3名の逮捕者を出しました。

更に捜査の過程で竹下首相の秘書青木伊平が自殺するなど、現職閣僚を含む多くの政府高官が捜査線上に浮上。しかしそのほとんどが「灰色」のまま捜査が終了し、政治不信に拍車をかけました。最終的にこの事件により竹下内閣は総辞職に追い込まれました。

関与が取りざたされた議員は76名に及びましたが、有名どころとしては中曽根康弘・竹下登・安倍晋太郎・宮沢喜一・加藤紘一・小沢一郎・鈴木宗男・橋本龍太郎・堀内光雄・塩川正十郎・梶山静六などが挙げられます。

4年後の92年には経世会に追い打ちをかけるように東京佐川急便事件が発覚。皇民党事件以来の佐川急便→暴力団・右翼・政治家という資金循環が白日の下に晒されました。この事件により自民党副総裁金丸信は政治資金規正法違反で略式起訴、後に脱税の疑いで逮捕されました。

さらに国税局の調査で金丸の事務所の金庫から日債銀の発行するワリシン・現金・金の延べ棒などが28億円分発見され、自民党政治が腐敗していることは誰の目にも明らかになりました。

ここに至り国民の政治不信は頂点に達し、1993年7月18日の衆院選でついに自民党が下野しました。


暴対法・東京

こうして90年代初頭、経世会・稲川会の国政支配力は大きな打撃を受けました。金丸は失脚し、経世会自体も分裂。小沢一郎らは新党を結成し、非自民細川政権が成立しました。

金丸と並ぶ東京佐川急便事件のもう一人の主役、稲川会二代目の石井進会長も91年に死去し、一時的に稲川会の政治力に陰りが生じました。

一方で西の雄、山口組はこの時期組織が混乱し、試練の時を迎えていました。

山口組は1981年に三代目組長田岡一雄が死去し、翌年には四代目の本命だった山本健一若頭も大阪刑務所で死亡します。それ以降山口組内で後継者を巡り、山本広の率いる山本派と竹中正久の率いる竹中派の間での派閥抗争が激化しました。竹中正久が84年に四代目組長を襲名しましたが、山本派はこれに反発して一和会を結成。山口組は二つに分裂してしまいました。

両者の対立は次第に先鋭化し、山口組は一和会に加わった下部団体の切り崩しを進めます。そのため山口組は多額の資金を必要としていました。

山口組には元々前述の港湾役務利権と芸能興行だけでなく、様々な資金源が存在していましたが(※注4)、この時期に山口組が平和相銀問題に介入したのも資金調達という背景があったようです。山口組が金融システム等の表の経済活動に本格的に進出した時期といえるでしょう。

85年には、竹中は一和会のヒットマンにおそわれ暗殺され山口組と一和会は「山一抗争」に突入します。山一抗争はまさに全国各地で未曾有の規模で行われ、史上最大の抗争と言われました。

88年、激しい抗争の末に山一抗争は山口組勝利で終わりました。この事件では山口組と親密だった稲川会が山口組を側面的に支援したと言われ、山口組は稲川会に借りを作った形になりました。そのため、89年に就任した渡邉芳則五代目組長は稲川会に対して総じて融和的であり、東京進出の際の一定の歯止めになっていたとされています。

しかしながら、山健組や弘道会などの山口組下部団体が東京進出を強めてゆくと、必然的に関東地元ヤクザ、とりわけ住吉会系のヤクザとの衝突が増加して行きました。(※注5)

こうした抗争の頻発は社会問題化し、1992年沖縄のローカル暴力団同士の抗争による高校生誤殺、警察官2名射殺事件を契機として暴力団対策法が制定されました。これにより多くの暴力団は構成員を減らし、大きな打撃となりました。ところが、暴対法は暴力団淘汰の過程で結果的に山口組を含むヤクザの「マフィア化」と大規模・系列化をもたらしました。

このように80年代から90年代の初頭にかけて、山口組は大きく動揺しました。しかし、同時に80年代の山口組は経済活動に参入を深め、関東進出を果たすことができました。この時期はよくも悪くも日本ヤクザ史の中の転機だったと言えるでしょう。

※注4…有名なものでは同和利権がある。2002年に発覚したハンナン牛肉偽装事件では元会長の浅田満が、山健組をはじめとする山口組系暴力団に利益供与をしていた。

※注5…関東二十日会における協議を軸に、関東ヤクザは伝統的に協調を続けていたが、山口組の進出により混乱状態になった。現在もこの流れは変わっておらず、山口(稲川)対住吉・関東地場対中国人の三つ巴の争いが続いている(稲川の位置は微妙)。2003年の北関東抗争が有名。


不良債権・泥沼

1994年、まさかの自社連立により自民党は与党に復帰しました。

首班には社会党の村山富一が指名され、芦田均以来の社会党からの首相となりました。96年にその村山の後を継ぐ形で橋本龍太郎が首相に就任。橋本は六大改革を掲げ、住専処理の難題を成し遂げます。

バブル崩壊直後には14000円台まで低落した日経平均株価も96年には22000円台まで回復。一時的に日本は平成不況を脱したかのように思われました。しかし、97年に入ると景気は再度後退。北海道拓殖銀行・山一証券などの大手金融機関が経営破綻しました。


日本は戦後だけをとっても「昭和40年不況」「オイルショック」「円高不況」などの大規模な景気後退を経験していましたが、平成不況は質・規模ともにそれらを遙かにしのぐ深刻なものだと言うことがここに来てやっと認識されて来ました。

従来型の不況と平成不況はどこが違ったかということには様々な議論があるでしょうが、ここまで長期化した原因の一つとして、以下の理由が考えられます。

すなわち、「バブル経済の崩壊によって金融を中心とした諸企業は大打撃を受けた。そしてそれに対して早急に抜本的対策を取ろうとしても、企業・政治への黒社会の浸透、及び既得権益の擁護者と化した官僚・政治家による不適正な行政指導によって妨害された。」という仮説です。

そのように考えるとバブル後の歴史とはまさに政官財暴癒着体制の失敗を国民の目から隠し、彼らが結託して実態を糊塗してきた歴史であると言えるでしょう。

山一・北拓破綻に至るまでに、94年の東京協和、安全信組破綻を皮切りに、コスモ信組・木津信組・兵庫銀行・阪和銀行などが次々に倒産していました。ここまで読んできた方にはおわかりでしょうが、破綻したのはいずれもヤクザと関連の深い金融機関ばかりです。

木津信用組合は、住専で有名な末野興産の行動が原因で破綻しました。末野興産は世に言う企業舎弟です。また、以前述べたように阪和銀行は副頭取射殺事件まで起こしています。

もちろんこれらの金融機関だけでなくどこの銀行も多かれ少なかれ似たような問題は抱えていましたから、抜本的解決は至難の業でした。この辺の経緯は高杉良氏の金融腐食列島を参照下さい。

その上、政治家・官僚の中にはこれら暴力団と特殊な関係にあるものもおり、改革を妨害していました。イトマンの許永中-亀井静香然り、小池隆一-児玉人脈然りです。


小池隆一は児玉誉士夫の孫弟子に当たる総会屋です。児玉誉士夫の弟子に木島力也という大物がいましたが、木島は第一勧銀に多大な影響力を持っていました。旧第一銀行・旧日本勧業銀行が合併する際に児玉・木島が動いた経緯から第一勧銀は児玉・木島と特別な関係にあったからです。小池は木島の弟子になり第一勧銀に食い込みました。

1997年、第一勧銀の小池への不正融資事件、そしてその金を元にした野村証券でのスキャンダルが発覚し、第二次証券不祥事事件に発展しました。しかしながらこのような話は氷山の一角に過ぎません。

これらの問題を大蔵省はバブル崩壊直後にすでに認識していました。しかし、過剰接待で銀行と癒着し、「勉強会」などでヤクザとのしがらみが出来ていた大蔵省の汚職高官は有効な対策を取りえませんでした。

もちろんその間も破綻銀行の処理や、予防的公的資金注入、住専処理などで一応の金融システム危機対策は取られました。しかし、借り手側の責任、つまり銀行に寄生していたヤクザ対策は殆どなされず、多額の公的資金を場当たり的に注ぎ込むという消極的なものに終始したのです。(※注6)

当時新聞をあれほど賑わした不良債権・住専問題の裏には、ヤクザ・地上げ・汚職・同和など日本的で陰湿なビジネス風土があったということができます。

90年代、日本は閨閥による特殊利権が網の目のように張り巡らされたマフィアエコノミー化しつつありました。


黄金の90年代

低迷する日本とは対照的に、太平洋の向こう側のアメリカでは90年代は繁栄の時代となっていました。IT革命により労働生産性が大きく向上して長期間の好景気を維持したのです。

また、レーガン時代の規制緩和により金融技術が大きく発達し、ファンド資本主義とでも言うべき時代に入りつつありました。やがてこのファンド資本主義がアメリカの対日方針を決定付けることになります。

バブル直後の時期の米国対日方針はジャパンバッシングを引きずっていました。日本は同盟国であると同時に競争相手でありその経済力の過度の回復は阻止する対象でした。このことは95年の日米自動車交渉に米国側が強い態度で臨んだことにも現れています。

しかし、90年代後半になると日本はもはや米国の脅威となるような国ではなくなっていました。そのあたりから米国の対日方針は「不公正貿易の是正」から「対日ビジネス促進」に変わり始めます。前述のファンド資本主義がアメリカの国益として押し出されたのもこのころからです。

1997年から対日展開を始めたリップルウッドが99年に長銀を買収し、昨年多額の収益を上げたのはあまりに有名ですが、このことが象徴するように日本の不良債権は外資にとっては宝の山でした。そこでクリントン政権は財界の意向を受け、ビジネス環境を改善するための対日要求を強い調子で進めて行きました。

また、そのための指針としてクリントン政権は対日インテリジェンスレポート作成を開始。同レポートでは日本の不況の原因を日本政治・ヤクザの癒着にあると捉え、CIAなどの情報機関が日本の政治状況について本格的に調査を始めました。

※注6…公的資金の注入自体は経済的に誤りではない。また、当時銀行に金を配るかのような報道がなされたがこれは誤りであり、公的資金の注入は国が銀行の劣後債と優先株という有価証券を購入するという形でなされたため、国はこれによる収益を得ている。

むしろマスコミが銀行の救済に反対して、感情的に「血税を銀行に入れるな」という反対キャンペーンを行ったことは不況長期化の原因のひとつである。

一方で住専や破綻行救済の過程で国側は一部の債務者の借り手責任を不問にしたため、同和関係企業や暴力団関係企業が得をする結果となった。この点についてマスコミは沈黙している。見当はずれの報道を行ったマスコミの責任が厳しく問われるべきである。


断末魔の利権政治

98年、橋本内閣は金融危機の中で退陣。積極財政を掲げた小渕恵三が総裁選に勝利しました。小渕は金融システムを回復させるため、銀行への公的資金注入を決定。加えて大規模な公共事業が行われ、経済は一時的に上向きます。

しかしながら、政府は銀行に公的資金を注入したものの、肝心の不良債権処理は相変わらず先延ばしにし続けたため、数年後には再度金融危機を発生させることになりました。

小渕時代に不良債権抜本処理がなされなかったのも、前述の黒社会の問題があったからです。むしろ、このときの公的資金はゾンビ企業を生き長らえさせて問題を先送りするものでした。

この象徴的な例として青木建設という会社が挙げられます。青木建設はかつて竹下銘柄と言われるほどに竹下元首相と近く、政治と癒着していました。

青木建設はバブル後長い間経営不振により倒産寸前でしたが政治力により生き延び、挙げ句に小渕時代の99年に銀行から債権放棄を受けました。

結局青木建設は2001年に破綻しましたが、このように90年代末、もはや再建能力のない会社が債権放棄によって生き延び、問題の先送りを繰り返していました。


小渕政権の官房長官は野中広務でした。90年代の末から現在にわたって日本を読み解こうとするとき、野中がひとつのキーポイントになります。野中は小沢らが離党した後、経世会の中で頭角を現す一方で経世会の勢力の回復に貢献しました。

金丸は、渡辺広康を介して稲川会と繋がっていたことは前述の次第ですが、同じ経世会でも野中は同和利権を介して関西の地下社会と繋がっていました。(※注7)

野中の業績の一つとして公明党との連立を成し遂げたことがありますが、その際山口組系後藤組の助力があったとされています。

また、野中は同和利権だけでなく北朝鮮利権も有していると言われます。北朝鮮利権とはパチンコ・砂利を中核とする総連関連の利権のことです。北朝鮮利権が発生した原因は、90年に超党派訪朝団(金丸訪朝団として知られる)を契機にして、従来社会党が行っていた対北朝鮮交渉のパイプが自民党・金丸ラインに移ったことにあります。

この利権のラインは現在も金丸-野中-古賀という形で継承されています。なお、後藤田正晴、亀井静香といった警察筋も北朝鮮利権への関与を取りざたされています。(※注8)

この北朝鮮利権筋の政治家が暗躍した事件として朝銀救済事件があります。朝銀とは在日系の金融機関です。全国の朝銀はバブル期の乱脈融資と総連を介しての預金の北への送金によって経営が行き詰まったところが多く、97年から02年にかけて朝銀救済が必要になりました。

当時自民党内では朝銀救済を巡って論争がありましたが、北朝鮮利権筋の政治力によってなし崩し的に公的資金投入を決定。例によって借り手責任などは不問に付され、不透明な処理がなされました。

なお、この朝銀には政官の高官の偽名口座が存在していたと噂されます。というのも、贈収賄や脱税などで腐敗高官が得た金はマネーロンダリングする必要がありますし、日系のまともな金融機関では資産隠しが出来ないので、そうしたブラックマネーは朝銀の偽名口座や、かつて長期銀行が発行していた無記名金融債に変えて、蔵匿する必要があったからです。


2000年に小渕が死去すると、派閥順送りで森が首相に就任しましたが、その選出は森喜朗本人・青木幹雄・村上正邦・野中広務・亀井静香の5人で決められたとされ、実質的に平成研究会(経世会から改称)・野中の操り人形でした。

野中は森政権の中途で官房長官を辞任し、腹心の古賀に譲ります。森は独自色を出そうとしましたが、結局真の意味で独自に行動することはできず、マスコミの「森降ろし」にあい失脚。

竹下-金丸-野中と引き継がれてきた金権政治が本流であり続ける限り、不良債権の抜本処理は不可能だったといえるでしょう。


日本は違う国になった

2001年1月にアメリカでブッシュ大統領が就任しました。これにより民主党・クリントンによるジャパンパッシングの時代は過ぎ去り、日米関係は新たな局面を迎えました。

すなわち、アメリカは日本をアジア太平洋における戦略投射拠点と位置づけ、日本の経済・軍事力の強化をその方針としたのです。その具体的内容とは、経済社会からの裏社会の排除、国内親中・親朝・親露派のパージです。CIAはその線に沿って工作を始めたと言われています。

そして同年4月、大方の予想に反して小泉内閣が誕生すると日本はそれまでと全く違った国へと様相を変え始めました。


小泉は金融担当大臣に竹中を据え、金融改革を断行。竹中プログラムによって金融機関に不良債権比率の半減を課し、不良債権の抜本解決を図りました。

更に回収困難な不良債権は、中坊公平が社長を務めていた整理回収機構に移管。RCCの略称で知られる整理回収機構が国策の力をバックに不良債権を強引に回収しました。RCCの債権回収率は大手銀行も舌を巻くほどの高率です。

そして、それと並行して腐敗高官の排除と利権潰しが本格化。はじめに小泉は道路公団改革や公共事業の抜本的削減により旧竹下派が牙城にしていた道路利権・ゼネコン利権を潰しにかかりました。

これにより青木建設、佐藤工業、日産建設等の中堅ゼネコンが相次いで破綻。

ゼネコン利権にあずかっていた、平成研(橋本派)、志帥会(亀井派)、国土交通省(旧建設省系)らに一定の打撃を与えました。しかし、古賀誠をドンとする道路利権など、建設系の利権の根は深く、道路公団民営化=道路族潰しは不十分なものに終わります。


2004年にはBSE問題に絡む国産食肉買い取り不正事件を契機に同和利権も潰しの対象となりました。4月にハンナン浅田会長、11月には中部のドン、フジチク藤村芳治会長が相次いで逮捕。

同和利権の温床になってきた同和対策事業特別処置法(同特法)が2002年に失効したことと併せて同和利権は大きく縮小します。


また、小泉はODA利権潰しに着手し、対中ODAの廃止を決めました。対中ODAはキックバックの存在が取りざたされており、ODAの数%はリベートとして日本側に還元されていたと言われます。ODA利権の恩恵にあずかっていたのが、平成研(橋本派)、外務省チャイナスクール、田中真紀子、加藤紘一、あるいは対露での鈴木宗男らです。ODA利権潰しの過程で外務省騒動も起き、結局日本の外交筋には親米派しか残らなかったことも特筆に値します。

同じく外交では、小泉訪朝も北朝鮮利権への対処の一環としての性質を持っています。経世会ルートでの北朝鮮との交渉が利権の温床となっているため、官邸ルートでの直接交渉に切り替えたのです。同時に北産麻薬の密輸取り締まり強化により北朝鮮による日本国内での覚醒剤による資金調達も封じました。

そして仕上げに現在話題になっている郵政民営化問題があります。現在、郵政事業にある問題点として、ひとつに野中、綿貫らが食い込んでいる郵政利権、もうひとつに郵貯原資の財投により特殊法人が維持されていることが挙げられます。

つまり、郵政利権を潰せば平成研の利権をまた一つ廃止でき、郵便貯金を民営化すれば道路公団などを支えてきた原資が消滅し、利権にまみれた特殊法人が凧の糸が切れたように維持不能になるという利点があるのです。これをみるとなぜ郵政民営化が構造改革の本丸なのかということがわかるのではないでしょうか。

こうした改革は、平成研(橋本派)、志帥会(亀井派)を中心とする守旧派の利権掃除だったと評価できるでしょう。その結果として利権と癒着した政治家や、中国・北朝鮮利権に関与した政治家(この2つは多くの場合は一体)の多くがパージされました。


注7…野中広務との関係は詳細には解っていないが、同和-解同浅田派-山口組という癒着構造がある。一方で野中、鈴木宗男、太田房江、農水省生産局の官僚は、解同浅田派のハンナン会長浅田満と交際があった。ちなみに、野中の選挙区である京都は会津小鉄会が極めて強い。


注8…パチンコ利権には警察関係者が連なり、拉致事件で名をはせた平沢勝栄も含まれている。また、亀井は平沢の先輩に当たり関係は良好である。警察関係者の場合は必ずしも北朝鮮利権筋と断定は出来ないが、何かと考えさせられる事実である。


聖域なき構造改革の聖域

一方で、「小泉改革の後ろに誰がいるのか」ということも忘れてはなりません。小泉の選挙対策本部長が稲川会関係者だったこと、小泉の父親が神奈川の松葉会と緊密な関係にあったこと、彼が産廃処理を巡って右翼と協議したことなどを総合して考えると、小泉を支える要素として明らかに関東ヤクザの存在が確認できます。

また、小泉と連動して「繁華街浄化」(※注9)により山口組の東京利権を潰している石原都知事のバックには、住吉会系日本青年社がいます。

これらを総合して考えるに、金丸-石井ラインが潰れたバブル期以降、山口組に押され気味だった関東系組織は小泉-石原ラインで息を吹き返していると見るべきでしょう。

実際、東京進出で関東ヤクザを脅かしていた山口組が揺らいでいる兆候がいくつか確認できます。

例えば、先日山口組系五菱会が闇金融の元締めだったことが報道されました。これらの犯罪は、従来の資金調達が困難になり、山口組が違った犯罪領域に進出していることを表しています。(※注10)

さらに、渡邉芳則五代目山口組組長は、昨年改正暴対法により使用者責任を問われることになったことを受け、休養を宣言しました。後を引き継いで今年、司忍氏が六代目組長となりましたが、これは山口組内部で権力移動があったことを示唆しています。

とはいえ、関東ヤクザも弱体化が進んでいます。山口組を追い払ったとしても、近年東京で台頭著しい中国人・黒人らを排除し、かつての勢力を回復できるかは不透明です。


さらに小泉を支える勢力について考えてみましょう。

小泉は平成研(橋本派)に立ち向かうにあたり、平成研の内部分裂を利用しました。2001年の総裁選で平成研からの候補が野中でなく、使い古された橋本龍太郎だった理由のひとつに、野中の政治手法が青木幹雄らのグループに反発を買っていて、派内が野中で固まらなかったことがあります。

小泉はこの対立を利用し、青木グループを懐柔。日歯連事件で会長橋本龍太郎が身動きが取れなくなったことと併せて、平成研は空中分解しました。

この青木こそが、現在も森と並ぶ小泉の後ろ盾のひとりです。

そのためでしょう。全国的な公共事業削減の中でも青木の地盤、島根県では盛んな公共工事が続いています。

そして、小泉の最大の後ろ盾。それがまさにアメリカです。郵政民営化要求がアメリカの年次改革要望書に入っていることは有名な話ですが、そもそも小泉改革自体がかなりの部分アメリカの要求と一致しています。

2002年1月にはブッシュが訪日前に小泉に親書を送っていたことが明らかになりました。そしてその親書の内容とは日本経済システムからのヤクザの排除であったといわれています。ヤクザプロブレムに対する意識は内外格差があり、米国では前述の調査の結果まとめられたインテリジェンスレポートによりほぼ日本のヤクザの実態を掴んでいました。不良債権処理・竹中プログラムは米国の意向通りであることは間違えないでしょう。

もっとも、小泉は福田以来の大蔵族なので、もともと不良債権処理や郵政民営化を含む金融改革に積極的であることは確かです。小泉・大蔵族の意向と米国の意向がうまく合致したのだと考えるべきでしょう。


ちなみに、CIA系統の人脈として、児玉-中曽根-正力松太郎-渡辺恒雄らの名前が囁かれますが、読売が小泉支持なのはともかく、中曽根の動向が注目されます。

当初は小泉に好意的だった中曽根ですが、定年制により引退を強要されたことで関係が悪化し、息子の中曽根弘文氏に至っては、郵政民営化に反対を表明しました。国内の親米派の主流も中曽根筋から小泉筋に移行したのかもしれません。


まとめ

以上、社会の裏面との関係を軸に戦後の自民党政治について考察してきました。これらを通史としてみると、様々なことが分かってきます。

「この国の戦後はヤクザと自民党とCIAが作った」という格言があります。結局のところ、この言葉が端的に今の『日本の国の形かたち』を表しているのではないでしょうか。

なにはともあれ、日本では70年代からバブルにかけて、竹下的な政治手法が確立しました。小泉はその政治手法を破壊して、竹下イズムに染まった日本という国の統治構造を変えようとしていることは間違えないようです。その結果がどう出るのかは歴史の判断に任せるほかないでしょう。


注9…繁華街浄化のターゲットが山口組・中国朝鮮人であることは、重点取り締まり地区が歌舞伎町・池袋であることから伺える。これらの町は山口組・中国朝鮮人が多くの利権を有する一方、渋谷や、五反田では利権の殆どは関東系統のヤクザが有しているために厳格な取り締まりは行われていない。なお、渋谷で関東ヤクザが強いのは渋谷開発を巡って東急と西武がヤクザを使って代理戦争をして以来のことである。


注10…現在のシノギの主流は闇金融から振り込め詐欺に移っている。

なお、渡邉組長は山一抗争を通じて稲川会に借りがあったため、稲川会に融和的だったが、世代交代により変化が予想される。今後の山口組-稲川会の関係を注目すべきである。