現在、功成り名を遂げた人々の中には若い頃の武勇伝や、悪さをしていたことを嬉しそうに話すヒトがいるが、何故なのだろう。
いや、名を遂げていないヒトの中にも一定数いる。
「若い頃はヤンチャしてまして」
「まぁ、、悪かったので。」
「大きな声で言うことでもありませんが」
昔、どれだけ社会通念から外れたことをしでかしたのか自慢げに、また嬉しそうに、隠せぬドヤ顔で語るのを見るとなんだかなと思う。
昔はワルかったが、今は善良な市民となり、税金も納め、経済的にも潤い、成功していますよということをより際立たせる為の、振り幅人生論(仮称)なのだろうか。
そんなことを言うなら私だって言ってみたい。
どれぐらい悪いことをしていたかというと、もう時効だからいいだろうが、遠足のおやつは100円までと言われたにもかかわらず、いつも150円は使ってしまっていたり、午後の紅茶を午前中から飲んでしまうぐらいワルかったのだ。
しかしそんなことは恥ずかしい話で、今になって他人に聞かせるようなものではない。
また
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ」
この一群もいる。
この言葉から読み取れることは、
「ああ、この人が本気になったらこんなもんじゃないんだな」という事である。
しかし、こういう事を言う人の特徴として常にコレを言っているような気がする。
溜まっていた仕事をサッサと片付けても
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ。」
食べ放題のお店でどれだけ食べても
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ。」
どれだけお酒を飲んでも
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ。」
何人の女性と付き合ったかという話をしても
「俺が本気になったらこんなモもんじゃないよ。」
喧嘩でフルボッコにされても
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ。」
リリアンを一日で1m編み上げても
「俺が本気になったらこんなもんじゃないよ。」
こうゆー口だけの奴は許せない。
これら全て、私が本気になったらこんなもんじゃないのだが。
(特にリリアンなら2m50cmは編んでしまうだろう。)