人間は誤った記憶というものを簡単に持ってしまうらしい。
 
やらなかった事を「やった」と思い、していた事を「していない」と言い、勿論それらは嘘をついているつもりは毛頭なく、心からそう思い込んでいるという。
お金を貸してない人から「お前から一千万円借りた」と言ってくれると嬉しいのだが。
 
そう考えると、仮に第三者の手によって思い込みや、刷り込みとして容易く記憶を書き換えられるようになり、またその事を知ってしまったら、今の自分が持つ経験の有る無しについて記憶している事の意味が大きく違ってくる。

何故ならそれが事実かどうかが分からなくなるからだ。
 
自分が感じている事、考えている事の土台になっている部分を脆く感じてしまう場合もあるだろう。
全てが疑心暗鬼になってしまうかもしれない。
 
これは怖い話だ。
SFなら面白そうだが。
 
世界5分前仮説というものがある。
世界は5分前に始まったのかもしれないというものなのだが、そんな話は誰も相手にしてくれず、まともに聞いてもくれないだろう。
 
「そんなワケがない。だって昨日僕は恋人とデートしたし、もう何年も今の仕事をしている。今朝食べたスクランブルエッグの味だってしっかり覚えているし、ホラ、珈琲で舌をヤケドした痛みだってまだある。」
と言うかも知れない。
 
しかし、たった5分前にその全てを"情報"として、(『過去の経験』と思えるものも記憶として、実際には経験していなくとも)そして今、目に見えるありとあらゆるものを神が(いや、神でなくとも構わない。)森羅万象全てのものを、脳にインプットして人間やこの世界が作られたとしたら・・・
過去は事実ではなくなるのだ。

そんな荒唐無稽な話は笑い話としか、いやそれどころか"ツマラナイ話"としか受け取られないだろう。


だが、その可能性はゼロとは言えない。
仮に私がそれを信じているとして、貴方がそれを「違う」「間違っている」と証明する事は論理的に不可能なのだ。
まあ、5分前に作られた事を立証することも出来ないのだが。
 
これは英国のバートランド・ラッセルというおじさんが言った説なのだが、勿論彼も本当にそう信じている訳ではない。

ラッセルさんが言いたかったのは「今ある記憶は過去の存在を保障するものではない。過去と現在は論理的な繋がりはない。」ということだ。

現在、これこれこういう状態であるのは過去に行(おこなっ)たこととは関係なく、単なる偶然の可能性もあり、全てはただ、その時に起こっただけ、それだけのことである。

過去も未来も概念でしかなく、実際には存在しない。
過去のことを思い出したり、話をしたりするのも現在であって、この瞬間に全てのことはあるのだ。
つまり記憶も"今" 作られたのかもしれないと。

もうこういう話は大好物である。
これも、そんな訳ないだろうと感覚は告げるが、理論上ではそうなる可能性のあるパラドックスと呼ばれるもののひとつなのだろう。

また、昔「ふしぎな少年」と言う手塚治虫作品があった。
マークトウェイン作の小説にも「不思議な少年」というものがあったが、手塚氏の頭の片隅にその作品もあっただろうことは想像に難くない。

主人公の少年が「時間よ〜止まれ!」と叫ぶと、世界の全てが止まってしまう。
その少年を除いては。
 
そして時間を止めている間に、人々を窮地から救い出したり悪人を懲らしめたりした後、「時間よ〜動け!」の言葉と共に全ては再び動き出し、しかし人々はその間 時間が止まっていたことをそうとは知らずに時は経ってゆく。
 
 これが、現実に起こっている可能性はないのだろうか。
今、この文を読んでい・・・
 
この瞬間に時は止まり、そしてタップリ1万年ほど時間が経過したのち、(いや、この停止したセカイに"時間"はないのだが。時を止めた少年の過ごす"時間"として)再び世界は動き始める。
「現実」の世界では細胞の活動に至るまで止まっているので老化もしない。
 (そうすると少年は一万歳歳をとるわけでもう既にいないだろう。いたらギネスものだが。そうなると誰が時を再び進めるというのだ?)

・・・る貴方はこの瞬間が一万年であったことなど考えも及ばないだろう。
一万年どころか一瞬が無限であることなど。

時は一瞬もとどまることなく進むものだと思い込んでいるのだから。


しかしそう考えれば、今までココにあったと思ったティッシュが何故か手の届かないトコロに移動していたり、餃子をまだ1個しか食べていないハズなのに残りが2個しかなかったり、さっきまで優しかった妻の機嫌が悪くなっていたりする怪現象の説明はつくのだ。
 
少年(でなくてもいい)が何故ティッシュを動かしたり、どうやって妻の機嫌を悪くさせたのかは分からない。
餃子はお腹が空いていたのだろう。