どんなジャンルであれ
「昔の○○は凄かった」
「今現在の人(や物)より数段上」

のような意見をたまに聞く。

それはスポーツの世界で顕著であるように思う。
往時を知る者にとって、若かりし頃胸を弾ませたヒーローはいつまでも輝いているし、またナンバーワンであり続けて欲しい心情はよく分かる。

「長嶋茂雄は凄かった。」
「大鵬は卵焼きと並び称されるぐらい美味かったんだぞ」
「モハメド・アリは強かった」
「シンボリルドルフ(競走馬)が史上No. 1」
(ズレているかもしれない話は無視して欲しい)

皆、確かに其々素晴らしい実績を残し、伝説と言えるほどの存在だろう。

しかし、例えば「100m走で世界一速いのは誰か」と問われれば現世界記録保持者を挙げるしかない。
「いや、高校の陸上部の先輩のヤマザキさんだよ。あの人はメチャクチャ速かったもん。」と言っても誰も聞いてくれないのである。

その記録も、何年かおきに更新されていくのが当然で、つまり現在進行形で全てのジャンルは進化を遂げている。

以前「昔の名馬達と今のトップの馬と走らせたらどちらが強いか」との質問に「現在の馬」と即座に答えた専門家がいたが、そういうものだと思う。

アスリート個人の資質はあれ、その競技に適した身体をどのように作り、どのような練習をすればその競技で結果を出せるのか(力士に4回転ジャンプの練習は不要だろうし、フィギュアスケートの選手にぶつかり稽古は危険だろう)選手の体幹、筋肉の質等、諸々の諸条件の膨大なデータから汲み出す最適なトレーニングのノウハウはシステマチックに存在しているはずである。

それは昔とは比較にならないほど、無駄なく合理的、かつ実用的であることは想像に難くない。

それを考えると「現役が一番」は当然のことのように思える。

それでも年齢を重ねた者たちの「昔の○○は凄かった」発言を聞いて恐らく若者は(今の方が凄いでしょ。)と思うだろうが、優しく聞いてあげて欲しい。

何故なら貴方達も何十年後同じようなことを言っているからである。

ところが。
100年経っても「このヒトが一番」といえるアスリートが21世紀初頭、現れたことに驚きを禁じ得ない。 

大谷翔平選手。

彼のやり遂げてきたこと、これからやろうとしていることは全くの異次元レベルにあり、100年後の若者も認めざるを得ないであろう突然変異者である。
よその星からやってきたと言ってもいいかもしれない。

今を生きる若者が孫世代に向かい「凄かったんだぞ」と言っても老害認定されないアスリートをリアルタイムで見たり感じたりすることのできる幸運などそうはないだろう。


追伸: 現在藤井聡太六冠が最強なのは論を俟たないが、羽生善治九段をずっと応援しているのである、私。