旅をしていて新しい国や街に入ると、その日に宿泊する所を見つけなければならない。

希望する値段や場所の宿を取るためには朝早めに街に入ることが好ましい。
夜遅くに探そうとすると、満室であることも多いし、希望する宿に宿泊できる確率は時間が経つにつれ低くなっていく。

スペインのとある街で、年に一度の大きな祭りがあり、その影響で宿はどこも満室状態。
他の旅行者からも「今、宿はどこも満員だよ。泊まるのは諦めた方がいい」との情報。

仕方なく隣街(といっても電車で2時間)まで移動し、探したがこの街にまで祭りの影響は及び、何件もの宿に断られた私はこのままでは埒が開かないと思い、電話で片っ端から聞いてみる。

「コンプレート?ノーコンプレート?」
(満室?空き部屋ある?)


それだけのスペイン語を頼りに、ムチャ電を仕掛ける。
無論 断られ続け、ここがダメなら今夜は諦めようと最後のゲストハウスにダイヤルを回す。

すると「泊まれます」との返事。
時間はそろそろ日付が変わる頃だ。


その宿まで駆けつけ建物のドアを開ける。
出てきたオーナーは人の良さそうな年輩の女性である。

「ごめんなさい。実は満室なの」

(えっ?・・まぁ仕方ない)
「分かりました」

そう言って去ろうとする私にオーナーはこう言ったのだ。

「ここで良ければ使っていいですよ」

指し示した手の先にはソファーがある。
宿といっても家族経営の小さな建物であり、ロビーと呼ぶには余りにも貧弱なスペースにそれは置かれていた。

「え?こんなフカフカのところで寝ていいのですか⁉︎ありがとうございます。そうさせていただきます!」

それに加え、毛布や枕も与えてくれ、翌朝は朝食の用意すらしていてくれたのだ。

翌朝、宿を後にする時、感謝の言葉と共にお金を払おうとしても受け取らず、それどころか「こんな狭いところで寝かせてごめんなさい」との言葉さえかけてもらい、前夜に続いてまたも感激してしまった。

4年後再びその宿を訪れ、私のことを覚えてくれていたのは嬉しい思い出である。
今はあのセニョーラどうしているだろう。
(娘さんが大層美形であった。。。)

スウェーデンのユースホステルでも同じようなことがあった。

「満室なんだ。外の倉庫で良ければ使っていいよ。」

ビョルン・ボルグに似た受付のお兄さんに言われる。


見せてもらうと、掃除用具にスコップや鍬、ロープや一輪車等、諸々なものが置かれてはいるものの、スペースも広く、何より綺麗であり寝るには十分な環境だ。
インド辺りでよく泊まっていた部屋よりも広く、清潔感に溢れている。

当然寝かせてもらうことにした。
倉庫なのでトイレは宿泊棟に行かなければならないし、(手を洗う小さな水道はあった。文字通り"御手洗い"場である)窓もなく常夜灯のようなものも当然無いので、寝る為に電気を消すと真の闇が現れるが、どうということもない。

決して自由とは言えない旅に出ると他人の親切がゆっくりと身体に沁み渡り、そんな気分の良さを抱えて、倉庫で眠りのヒトとなる。

異国の地で受ける親切はひときわ嬉しいものである。

だが、宿がどうしても見つからなかったり、予算が合わない時に利用したのが、シーサイドホテルやリバーサイドホテル、ステーションホテルにエアポートホテル、そしてグラ(ウ)ンドホテルであった。

それぞれ、浜辺、川岸、駅、空港、地面で野宿することだ。
「野」の「宿」である。

安全と利便性だとエアポートホテルが随一。
寝心地の良いシートを探したり、床にマットを敷き、寝袋に包まって夜を明かすような同じ仲間が多くいるからである。
清潔なトイレもあるし。

気持ちがいいのはビーチホテル。
湿気はあるのだが、風が心地良く、海に沈む太陽から満点の星を見て、波の音を聞きながら眠ることができるのはそれなりに至福である。
起きた時の顔が潮風でベタつくのがちょっと面倒だが。

ただ、完全な外野宿だと天候に左右されるのがいただけない。
一度、国を越えるフェリーの甲板で寝ていたところ、豪雨に襲われて濡れそぼった時は寝ぼけつつ「ここどこだっけ?」と身体中から雨を滴らせながら茫然としたことを思い出す。

リバーサイドホテルはやはり野外ではあるが、橋の架かっているところの下で眠ると雨もしのげ、なかなか良いものである。
ただどうしても川岸はジメジメしているので湿度の低い時期でないと快適とは言い難い。

意外に注意が必要なのがステーションホテルである。
主に早朝の電車を待つ為に待合室で寝るのだが、割と酔っ払いやそれに加えてチョイと厄介な奴等が出入りすることもあるからだ。

グラウンドホテルは、金がない、安全な野宿場所が見つからないなどの最後の手段として、人目につきにくく寝やすいところを探す訳だが、これが1番危険かも知れない。
ただ、同じように一泊する旅人が何名かいればグッと安心感は高くなる。

ただ、どの場合も暖かい季節のことであり、冬季の野宿はいかな羽毛の寝袋であってもかなり厳しいことになる。
ヘタすれば凍死の憂き目にすら遭いかねない。

何れにせよ、外で寝るのは何処であっても注意は必要だとは思う。
だが、「地球に寝ている」という感覚は悪くはなかった。

もうあんな旅はできないとは思うものの、それを悔やむ気持ちも既に無い。

ただ、自身の代え難い財産ではあり続けている。
今現在も。
(仮に代えることができても、誰も代えてはくれないだろうが)