若い頃、なけなしのお金を持って旅に出た。
当然ながら節約が大前提の旅になる。
食事はスーパーで買ったパンやハムやチーズでサンドイッチを作って食べたり、宿泊はシャワー・トイレ共同のドミトリーと呼ばれる相部屋のある安宿が基本である。
それもアジアなど物価が安い国だと食堂に行ったり、シングルの部屋に泊まることもできるが、西ヨーロッパではなかなか厳しい。
しかしドミトリーならではの面白さもある。
色々な外国の旅人が集い、旅の情報や、互いの国について伝えあったり、コミュニケーションを取ること、それ自体が楽しくなってくる。
ある時、音楽の話になり、丁度その時持っていたRCサクセションの"ラプソディ"を、相部屋のドイツ人とアメリカ人にこう言って聴かせたことがある。
「日本のストーンズと呼ばれているんだぜ」
フェードインしてくるイントロ。
(どうだ、カッコいいだろ?)
そう思って奴等を見るとアメリカ人がドイツ人に向かいニヤニヤしながら
「どうした?眠くなっちゃったか?」
と言い放ったのだ。
つまり、つまらん音楽だと。
この出来事は、やはりそうなのかと思うと同時に、悔しかったことを覚えている。
(私が「日本のストーンズ」と言ったのもよろしくなかったかと今でもそれは思う)
"ラプソディ"はライブ音源をベースにスタジオで音を足しているような作りだったと記憶しているが、ライブの臨場感に加え、その熱量も素晴らしく、日本のロック史に大きな足跡を残したアルバムだと思う。
だがそれを退屈だと。
ハナから東洋人の演っているロックにマイナスのバイアスをかけてやがるなと感じたものである。
しかし私だって、例えばカンボジアのロックグループがカンボジア語でロッキンな曲を演っている時になんか微笑ましく感じるのは何故だろう。
タイ人が「Oh!〜Yeah! マイペンラーイ!♫」とブギーをやっていたらどうだろう。
何かの色眼鏡越しに見たり、聴いたりしていることは否めないと当時気付いたのだ。
音楽に限らず、表現されたものに対する時は、その手段やアプローチの仕方、誰がやっているのか等、諸々の前提は取り除いて作品に触れ、そしてその作品の質を見極め、それを感じるようになりたいものだ。
その上で感想を言ったり、場合によっては批判するべきものだろう。
※ 因みに批判と非難は似て非なるもので、批判は改善し、より良くする為の議論であり、非難は単に相手を理屈抜きに責めるものであーる。
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