お金はないが時間はタップリあった若い頃、友人とよくこんな遊びをしていた。
(お金をかけずに遊ぶことには長けていたと思う。)

「オーストラリアについて知っていることを10挙げて。地名でも、有名人でも、歴史的な事柄や建造物でも何でも。但し、実家の隣の娘さんがオーストラリア人と結婚して当地に住んでる的なものは除外ね。」

同じように

「ブラジルについて7つ」

「ビルマ(現ミャンマー)について5つ」

「アルバニアについて1つ」

そんな国あるんだ?的な返答を含め、リクエストされた数を挙げるのは結構難しい。

ヨーロッパの国々などは比較的挙がるだろうが、クリアすべき数を多く設定すれば難易度は同じようになるだろう。

「フランスについて20」

となるとそのハードルは意外にも高いのではないだろうか。

ところがこれが

「アメリカ合州国について知っていること」

となると10や20では収まらない。

まず、都市名、州名等の地名で。
そして各分野の有名人で。
エンタメ界だけでも大変な数になることは間違いない。
恐らく三桁はいくだろう。
枚挙に暇がないとはこのことである。

アルバニアについてひとつも挙げられなくても、アメリカ合州国についてのことは溢れ出るこの現実は何だろう。

何故、我々はこんなにアメリカについて知っているのだろう。
知らず知らずのうちに我々の周りは"アメリカ的"なものに囲まれていることに気付く。

それが悪いと言っているのではない。
現代生活のスタイルや価値が、アメリカ的なものになって来るのは仕方のないことだとも思うが、改めて考えてみるのも私自身は大切だと感じている。
只々、その偏り方が凄まじいと思うのだ。

知っていることの数を面積の大きさとして世界地図を作ったら、とんでもなくひしゃげたものになるのだろう。

分かりにくいので例として原油(石油)保有量を基にした世界地図を載せる。
こんな感じのものになるのではということだ。

余計に分かり難くなったとしたらゴメンナサイなんである。
(アメリカは世界一の産出国の筈であり、この地図の正当性は怪しいが「こんな感じの」という例として登場戴いた。)




ところで。
「アンチグア バーブーダについて」

ひとつ挙げられる人はいるだろうか。
0.4〜0.6挙げるのがやっとだろう。

なんだ0.4て。