炬燵に入りテレビを見ていた家人。
なんか静かだなと思ったら、すっかり寝入っていることに気付く。

同じく炬燵に入っていた私は、テレビを消す為、リモコンを取ろうとテーブルの反対側へ手を伸ばすがあと7cmほど届かない。

(チッ。リモコン権が無いのは分かっているが手の届くところに置いておいてくれよ。)

そのリモコンを取る為に、孫の手を使おうと思い振り向くのだが、奴はかなり遠くにいる。
上半身を投げ出し、手を伸ばしても到底届かない。
その格好のまま、ジリジリと尻をズラしながら近寄っていくがまだ届かない。

もう少し。 あとちょっと。

もう殆ど身体は炬燵から出ている状態だが、まだかろうじて足先は炬燵に入っているといえる。
(少し暖かさを感じてはいるのだ)
出来ることなら炬燵に入ったまま孫の手を手にしたい。

しかしそれでも約3cm届かない。

諦めた私はため息をひとつついて立ち上がり、孫の手を取ってから再び炬燵に入ってリモコンを手繰り寄せる。
ホントに有能な孫の手である。

そうやってやっと手にした大事なリモコンの【電源】と書いてあるボタンを押す。
部屋に静寂が訪れる。

すると、いままで寝息を立てていた家人がモゾモゾ身体を動かしたかと思うとこう言う。

「う?・・あ、、また寝ちゃった。今何時?」

謎である。

人間は静かな方が寝る環境に適していると思うのだが、その静かな環境を作った瞬間に目を覚ましたのだ。
それも一度や二度ではない。

寝る時は、テレビやステレオ等の音を消し、部屋を暗くするなど、「睡眠阻害要素」を取り除いた方が眠りに落ちやすいと思うのだが、何故だろう。

確かに音があり、また部屋に煌々とした灯りがついていても眠くなってしまうことはある。
で、寝る。

そのように「睡眠阻害要素」満載状態で眠りに入った場合、そこが0にリセットされ、それ以外の状況が現れると、本来睡眠に適した状況が一時的に「睡眠阻害要素」になって目を覚ましてしまうのだろう。
+の方向にも一の方向にも。

電車の揺れの中で眠りに落ち、船を漕いでいる人が駅に停車した途端、目を覚ますこともこれと同じだと思われる。

電車の場合、ほぼ全ての人が目覚めた後、ハッとした表情でホームにある駅名を、見開いた目で追い、ホッと安心しているのを見ることが多い。

良かったねと思うし、なんか可笑しい。

「人間つうのは可愛いものだな」

頬が緩むのを感じながらフト、ホームに目をやると、降車予定の駅をとうに過ぎていたことに気付いた。


ホント謎である。