ロシア・ウクライナ間が極めて危うい状況になっている。
現在、水面下ではネゴシエイターによる交渉・調整が行われているとは思うが、両国の武力衝突はなんとしても避けなければならない。

改めて国というものを考えてみる。

「国家」やそれに伴う「国民」の概念は17世紀頃ヨーロッパに於いて広まったとされている。

逆に言えば人類は国など無かった時代を過ごしてきた方が長いというわけだ。

国家の三要素と言われる領域・人民・権力だが、その領域については19世紀の帝国主義列強による線引きによって暫定的に定められたものであって「初めから」あったものではない。

またそれまで共同体として文化や習慣を同じくしていた集落がそのまま国家として認められるならまだしも、例えるなら家族が住んでいる家の中に線引きされたようなものである場合も多い。

国よりも前に先ず民族があると思うのだが、一民族=一国家として括られている訳ではないことが数多の紛争の大きな要因のひとつであるだろう。
「国」の範囲と「民族」の範囲は同一ではないのだ。

先祖から自分達が作ってきた文化(あるものは淘汰され、あるものは生き残る)を大事にし、後世まで伝えていきたいというのは誰もが思うことだろう。

そのように生活してきた範囲に別の枠を嵌め込んだようなものが国なのだから、それは問題も起こるだろう。

また、長年に渡り 継がれてきたものは掛け替えのない価値あるものだが、それは同時に他民族、多文化を尊重するものでなくてはならないのは当然である。

面積の大きな国になればなるほど、小さな民族の枠は複数あることになり、だから当然ひとつの国の中に違う文化はあるのだが、その国の多数派が自分達の価値こそ人類の価値であると思い込み、少数派に同化を求めることはあってはならない。

それに加え自国を大きくしたいという覇権主義がまた厄介な紛争の元となる。

国対国であれ、国内の紛争であれ、それを武力で解決しようとする(実は新たな紛争の上塗り)愚者の選択が人類史から無くなることはあるのだろうか。