最近の私の特別な出来事。
5月に、ある著名人のお話を聴く場所の
主催に携わらせて貰い、
その後そのレポートのようなものを
ずっと編集していました。
そのお話の記録というのは、
クローズドのコミュニティのものなのでここには出せないのですが、
いろんなメディアで活躍されるそのかたに、
おもに『日本の言葉の文化』についてや
その他多岐にわたる話題を、
日頃の私の疑問にもお答え頂きつつ
聴かせて頂く、貴重な体験でした。
話題が豊富すぎたので、何かを取り出して書くのが難しいですが
ひとつ、特に最近の自分の好みにヒットしたお言葉があって、
それは「俳句」について話題になったときでした。
俳句とは、ご存じのように五・七・五、の言葉で表す作品ですが
作るときの「決まりごと」として
【スローガンのようなメッセージ性のものはタブーである】と
教えて頂いたのです。
スローガン、標語って、まさに五七五を使ってキャッチーに伝わりやすくしてあるものが多いですが、「俳句」はそうではなく、主観も出さないことを良しとしているそうで、鑑賞する側は書かれているものをただそのまま感じてみると良いですと。
そのお話聞いたとき、
え、好き!
って思った。
好みの話だと思いますが、
何かの作品の広告やレビューなどで
「深いメッセージ性がある」みたいな表現をみると
私は興覚めというか、見たくなくなる。
単に反発心が沸くのかもしれないけど(笑)
メッセージは自分で勝手に受け取りたいし、
人それぞれ好きに感じたいわ、って思ってしまうので、
「俳句の世界って粋だな」と感激した。
例えば俳句で
「秋の日暮れの田んぼ道」が出てきたときに
【人生の終わりの寂しさ】を感じ取らせようとする
国語の指導方法ももしかしてあるのかもしれないけど、
「そうではなくて、ただそういう道があったというのを感じて下さい」と、言葉の専門家がお話して下さったときに、
そういうエネルギーで作者が作った俳句なら、
しみじみと自分の感情が沸いてきそうだなあと思ったのです。
ああ、ほんとうにこれは好みの話ですね。
私はクラシックのピアノ曲でいうと、タイトルが付いてないほうが打ち解け易いことが多いし、
流行りの歌なんかでいうと、歌詞というのがぼぼ耳に入ってこず、口で歌っていてもただアーとかネーとか、バイブレーションで感じていて、歌の内容としては理解していないくらい、処理する情報が少ないのかもしれない。
私がその歌を感じるために、歌詞の言ってる詳細は必要ない。
改めて書いてみると、独特の受け取り方法です。
今風に言うと「エネルギーで受け取ってる」ということになりますね。
「気分」ですね。