氷上の小さなテクニシャン。

 
名付けてくださったのは読売新聞さんのこの記事。

http://sp.yomiuri.co.jp/olympic/paralympic2018/feature/20180311-OYT8T50000.html

 

この記事を見て思い出したことがある。

 

2004年~2006年(トリノパラリンピックに出場するまで)シカゴブラックホークスというアメリカのシカゴのチームに所属していた。

実際にはアメリカに住んでいたわけではなく、日本に住みながら年に何回か練習にシカゴに行ったり、

カナダやスウェーデンでシカゴチームと合流して試合をしたり。

 

私のホッケー人生においてこの経験が自分を成長させてくれた。

何故なら、その当時シカゴのチームは2002年のソルトレークシティーパラリンピックで

アメリカが金メダルを取る立役者になったメンバーとコーチがシカゴチームのメンバーだったからだ。

 

あの時のアメリカはずば抜けてダントツに圧倒的だった。

私がホッケーを始めた翌年だったので、良く覚えている。

 

そして、その立役者のいるシカゴチームの仲間に入れてもらえる事になり、色々な事を教わった。

ホッケーを始めて3年の私にとって、とても刺激的で貴重な経験となったし、

私のホッケー人生の中で、もっとも私を成長させてくれた経験になっている。

 

その修行を経て挑んだ2006年のトリノパラリンピック。自信しかなかった。

 

そして、初パラリンピックの初戦で私はハットトリックをすることができた。

「これは行ける!初めてのパラリンピックでメダル獲得だ!」そう思っていた。

 

だが、その後の試合は残念ながら負けてしまい、5位に終わった。

とっても苦い思い出だ。。。

 

その時に私が色々な人に言っていたセリフ。

 

「氷上のロナウジーニョを目指す。である。

 

当時のロナウジーニョはノールックパスだったり、小技だったり、

サッカーボールをマジシャンのように誰もが「えっ?!どうやってやってるの?」と思わせるようなさばき方をしていた。

 

私もあんな風に氷の上でパックを操り「えっ?!」と「Wow」とみんなに言ってもらえるプレイヤーになろう。

そんな事を思っていたことを思い出した。

 

今回のパラは私にとって、原点を改めて再確認した大会であるなと思ったし、

ホッケーから私の今が始まっているんだな。とも思った。

 

来てよかったよ。ここに。平昌に。

 

さて、明日はチェコ戦。

残り3戦。

全勝して帰りたい。

もうメダルはなくとも、勝ち越して帰る事は今の日本に大切だから。

(2009年にバンクーバーパラリンピックのプレ大会に行った時の様子。若いね 笑)