俺が俳優を志していた時の話~聖書と未来①
若い頃、俳優を俺は志していた。
このブログを読む一部の人は知っていると思うが、多くは知らないだろう。
当然、目が出なかった。
そして、喰えなかった。
辞めようと思った。
「やらないか?」と言われたので、「はい」と事務所に所属してみた。
しかし、元々明確にやりたい意思はなく、先々純文学を書きたくて何かの勉強になればと思ってやってみた。
勉強のため、自主製作の映画に三本出演したのだが、三本目で終わりにすることにした。
どの作品もお願いされて出演したのだが、ギャラはまったくもらっていない。
それどころかロケ地まで行く交通費がかかる。
自主製作とは言え、出演した場合は2ヶ月近くは拘束される。
だから、金銭的には本当にキツいが、頭を下げられたら損得勘定を抜きにして協力してしまうのが俺の昔からの性分なのかも知れない。
(もう二度とノーギャラではやらないけど)
自主制作とは言え、どの作品も監督は実力があった。
一本目の作品はカメラマンが映画監督になっている。
知人のグラビアアイドルが映画に主演した。
「草加さん、観に行ってよ」と言われて彼女と劇場に足を運んだ。
エンディングでテロップが流れると、監督にカメラマンの名前が明記してあった。
嬉しかったね。
本当に。
昔を思い出して。
当時、ピアが自主製作映画ばかりを何日(一週間ぐらいだったと思う)も上映するイベントをやっていたのだが、ここで彼は賞を受賞していた。
三本中、彼が一番才能も能力もあると思っていた。
二本目の監督は後にキリンビールの自主映画の芸術祭で最優秀賞を獲る。
その直後、ビートたけしと深夜番組で対談していた。
デジタルの時代である。
今と違って一本目と二本目は8ミリフィルムで撮影したのだが、フィルム代だけで40万かかっている。
三本目は16ミリフィルムで300万かかっている。
三本目は主演をやってくれとお願いされた。
(この監督はテレビの制作会社に勤めていた。映像ではプロフェッショナルのはずだが、前述の二人の方が才能があると感じていた。)
ところが、過去の二作品の芝居を監督が観て直前に役を変えられた。
その役っていうのが酷い男でね。
覚醒剤中毒なのだが、大学時代の同級生に高額な生命保険をかけるんだ。
しかも、ウラでは連続殺傷事件の犯人。
まあ、これは表向きの話で神様の使いを俺はやっているんだ。
コマンドだよね。
地獄に落ちる者、そして選ばれて楽園に行く者を選別している。
終末のストーリーが描かれている。
俺に酷い目に遭わされる同級生の彼女は選別によって鳥となって楽園に行く。
最後主人公は彼女と別れて地獄に堕ちるんだ。
この出演を経験してから、俺は純文学を書くことなく、今の仕事を始めるのだが、救済される生徒と落ちこぼれる生徒を観ていると、どうしてもこの作品を思い出してしまう。
しかし、今月になって単に役が乗り移ったわけでなく、元々がこのような役割だったのかも知れないと感じてしまう。
聖書にも未来が書かれている。
今新教皇が決まったが、これは選挙で選ばれただけの段階である。
俺の解釈によるのだが、聖書には死んでしまった教皇の代でローマ教皇は終わると書かれている。
ゆえに、正式就任はないと思うんだよね。
何にせよ、俺は神様の使いっ走りをやっていたのだが、他人の選別をしながらも当の俺は楽園に行けるのかどうか監督に聞き忘れてしまった。