年始の祈願内容4~俺の場合
では、オマエはどんな内容を祈願しているんだ?って皆さんから突っ込まれると思います。
自分の場合は自他共に人に誇れるような生活これまでにまったくしていません。
子供の頃からだと思っています。
異性に関しては身勝手にも愛されたいからという善意からになりますが、度重なる無責任と開き直り。
憧れの生活は「好色一代男」であり、人の模範になんてとてもなりません。
仕事に関して言えば文章を書く人間なんて勤め人からしたら、偉そうにしているコメンテーターも含めて全員が不良なのです。
そんな最低な人物がふざけた祈願をしたら、それはそれは怖ろしいことが身に降りかかるに決まっています。
そもそもが祈願をする資格があるとは思っていません。
高校一年生の時、以上を自覚している俺は謙虚さを踏まえ、お寺で手を合わせることを一切避けるようにしました。
(神様に好かれるには謙虚さが必要だとこの時から俺は思うのです)
仲間や彼女が年始に寺に行きたがるときはあります。
その時は賽銭箱等が見えない場所まで離れます。
隠れるときだってあります。
「触らぬ神にたたり無し」
昔からの日本の言葉を日頃から肝に銘じている俺はお寺に限らず、付き合うと必ず不幸が移るような女に関しては気持ちを許すことはなく、遊びで接しているようにしているのです。
会社員の男女がお局の上司に心を許さないメンタリティを謙虚に真似して。
目安として、整形、入れ墨、水商売、風俗、ヨゴレ、フェミニスト、ハラスメントという言葉の暴力を頻繁に使う者、バカ、このような女全般とそのように接するだけでアゲマンを引き寄せるのです。
それによって神社や祈願は不要になります。
結果的に合理的です。・・・・・