こんにちは!

 

今週末、私が尊敬してやまない

ワタナベ薫さんが大阪にご来阪されることが

楽しみで仕方ない

ムラタカナです♡


 

 

 

本日は「親子」について私が思う事についてです

 







 

「親子」という言葉

 

 

あなたにとってはどんなイメージがありますか?

 

 

 

私は気がつけば親(教育者)から

 

 

「女の子だから」

「子どものくせに」

「⚪︎⚪︎ちゃんの事を思って」

「〜をしてやってきたのに」

 

 

そんな事を耳にする回数が多かった記憶があります

 

 

その度に疑問に思っていた私

 

 

女の子だから⚪︎⚪︎しないといけないの?

子どもだから自分の気持ちを言ったらダメなの?

私の事を本当に思っているなら。。。

誰もそんな事をして欲しいと頼んでいない

 

 

 

幼いながらに思っていたこと

鮮明に覚えています

 

 

だからなのかな?

 

 

私は「強要される事」「してやった感が見える事」がとても

苦手だと言う意識が強くなりました

 

 

 

 

そしてよく考えていたこと

 

 

 

 

「家族って何だろう・・・」と。

 

 

 

 

 

考えて考えて考えても

20代までは

 

 

 

「それでも祖父母や叔母、両親は私の為を思って言ってくれている」

 

 

 

そう思う事で

どこかで自分の気持ちに蓋を閉め

両親たちが傷つかないようにと

小さな私が守っていたのかもしれません

 

 

 

確かに

「大切に思うからこそ」という気持ちは

あったのでしょう

 

 

 

しかし、

私にも「私の家族」がいて

「子ども」がいる1人の親として思う事が

今明確にあるのも事実

 

 

 

「子どもも1人の人間だ」と言うことを

 

 

 

親や教育者は

大切な子どもたちを守ろうと

自らが辿ってきた人生の中で

「正解・不正解」だと判断した事を

つい自分の子どもにも教えがちだと思います

 

 

 

確かに「正解・不正解」を伝えてあげることも大切ですよね

 

 

 

ただ・・・

そもそも

「正解・不正解」なんて本当にあるのかどうかも分からないし

 

 

親は親が辿ってきた道しか知らないし知り得ない

 

 

そう!

子どもには「子どもにしか歩めない道」があるのです

 

 

 

だからこそ

親は「子どもの支配者」になるのではなく

「子どもの良き伴走者」になることの方が

私は大切だと思います

 

 

 

間違って痛い目をするかもしれない

 

 

 

けど

 

 

 

「子どもを信じて見守る」

 

 

 

そして口で教える以上に

「背中で示す」

 

 

 

 

全ては「大切な子どものために」そして「自分のために」

 

 

 

 

 

「家族」って何だろう?

 

 

 

今も尚、実家に帰るとフと思うこともあります

 

 

 

他の家庭を見て、ソッと傷つくことだってあります

(まだまだ私も絶賛成長中)

 

 

 

傷つき寂しい思いをした分だけ

目一杯、「家族」を大切にしていこう!

今は思います

 

 

 

「大切な家族」

 

 

 

いつまで一緒に居られるか

誰にも分からないからね

(私の未来予想図では18歳から息子は家を出る予定・・・笑)

 

 

 

「親子」と言う言葉に支配されないように

 

 

 

親も子ども其々の人格があって

1人の人間

 

 

 

みんな違ってみんないい

 

 

 

ですね♡

 

 

 

 

と言うことで、本日はこれにて^^

 

 

 

それでは、また明日♡