こんにちは!
先日はは息子のお誕生日ということで
当時の思い出を振り返っては
こうして無事に大きく成長してくれていることに
ただただ
「有り難い」
と思う1日でした

いや、漏れなく毎日そう思ってるな私は。笑


ということで
息子の希望で
焼き肉を食べに行ってきた
ムラタカナです♡


(美味しそうでしょ?これにキムチやビビンバ、ユッケにその他諸々食べまくってきました。笑)


はい、しっかり調整します、私。






本日の記事は
「私の生い立ち〜大学初期編〜」です


それでは、いってみよう!




「大学合格!」


通知が届いたのは
何と18歳の誕生日だった


第一志望校に合格したことと
合格通知が自分の誕生日に届いたこと


「この学校に呼ばれてる!!」


と信じて疑わなかった私は
12月が来る前に
早々と受験勉強は終えた
(参考書も全部捨てた)


能天気に遊び放題だった
当時の私


年が明けてからだったかな?
(記憶は乏しいが)


私の叔母がふと
「カナの入学式はいつや?」
と聞いてきた


そういえば、入学の詳細など
いつ来るのだろう?


そんな軽い感じで
書類を探し出した私


そこで現実を目の当たりにすることに・・・


なんと


大学の書類の中には




授業料の振込用紙があった



しかも、期限を過ぎている    



一瞬、私には何が起きているのか
分からなかった



しかし、
入学金は既に支払ってもらっている


ということは、
一応入学金は支払済なのだから
授業料だけなら何とかなるだろう
そう思っていた
というか
そう信じていた


すぐさま大学に電話をし
詳細を話し
何度も何度も粘って
頼んで頼み込んだ
(私立だったから、何とでもなるとすら
思っていた)


高校にも電話をし
高校からも頼んでもらうことを
希望した


しかし、結果的には
それ以降の話は進むことがなく


1月から私の受験勉強は
始まろうとしていたのだった


3月には卒業式
第一志望以外に行きたいと思う大学も無い
第二志望の大学なんて調べもしてないし


第一志望以外ならば
専門学校にしようかな


何なら進学をせずに
働いてもいい・・・


ただただ、私の気持ち的に
浪人は絶対にしたくなかったし
浪人してまで行きたい大学すらなかった


何よりも
大学も何故行くのかすら
分かっていなかった


なのに何故大学に行こうとするのか


それは、
祖父と叔母が(家の中では権力があった二人)
「大学だけは絶対に出ときなさい」
と幼少期から言われていたし
二人共に教員だったから
「教員免許はとっておきなさい」
と言われていた


だから、
祖父を喜ばせるために
叔母に怒られないように
両親に恥をかかせないように


そんな気持ちでいた私


そりゃぁ勉強に身が入らないわけよ


今なら
「働いても良かったな。だのたお金の無駄遣いやん。
過去に戻れるならば留学やワーホリ、他の経験に使わせてもらいたい。もっと興味があったことに学びの時間を使いたかった」
なんて思うけども
今更言っても後の祭り
そして大学の資金を出してくれた祖父にも
悪い気がして
そんな事口にも出せなかった、、、



当時の私は
ただただ祖父と叔母に言われるから
という理由で
大学を志願し
その中でも英語が好きだったから
英語の授業が多い学部で
留学も出来て
英語の教員免許も取れる


そんなこんなで
受験をさせてもらったのだった


一度は合格した学校


なのに行けなくなった私


悲しいけども
他の学校を受験するならば
後期受験の願書の締め切りが
もう近い・・・もしくは既に終了している


なんとか現役合格できる大学で
願書が待ち合う大学はどこか・・・


そして見つけたのが
私の最終学歴として残っている
とある大学


合格はすると思っていた


なぜなら、
勉強しなくても合格できるレベルにあった
大学だったから


だから、合格してもさほど嬉しくはなく
入学後も
「あぁ、なんでこんなレベルの大学に来たんだ」
と本気で受け入れられずにいた
今思えば失礼かつ贅沢な話よね。反省・・・


当時の私は
「私の周りは有名大学ばかりに進学してるのに、
なぜ私はこんな大学なの、、、」


とバリバリ「大学名」だげで
全てを判断していた
(穴があれば隠れたいほど、当時の私を振り返ると恥ずかしい・・・)


偏差値・有名か否か


全ての物差しがこれだった


そんな事でははかれない
多くのことがあるのにね


祖父や叔母の前では良い子なのに
心の奥底は腐っていたのかもしれないな


そうして始まった大学生活



最初は真面目に授業も受けていたけども
サボるのが当たり前の様なグループに
居たこともあり


次第に私もサボるようになった
(授業料もったいないよね、本当に反省)



大学に行く意味も
授業に出る意味も
正直分からなかった


キラキラした大学生活を想像していたが
私の大学生活は
希望の大学ではなく
「願書が間に合う大学」



そんな大学には
どことなく居場所がない気がして
ならなかった



この頃は
やっと兄の事も落ち着いてきて
でも、細い綱の上を渡っているような感覚で
またいつ家庭内が荒れるかわからない


そんな不安も抱えながら
「大学生」をなんとなくで
過ごしていた私


初めてバイトもしてみたけども
なんな違う、、、


これまで部活をしなかった日々はなかった私


時間の使い方が分からなくなっていた


それなりに友人と夜遅くまで遊んだり
お泊りしたり
意味のないおしゃべりをして
食堂で溜まったり
お買い物しまくったりと
やってみた


でも、、、
「何かを頑張っていない自分」が
とても違和感で
何かをしないといけない
もっと忙しく過ごさなければいけない




「とりあえず大学は行かなければならない」



そんな気持ちで
ただただ、毎日大学に通ったのだった



そして結局私は
とあるキッカケで野球部のマネージャーに
なることに決めたのだった





ということで
私の大学生活の超初期時代については
一旦ここまでで、、、




次回は、野球部のマネージャーに入り
経験したことを簡単に記事にしようと思います



それでは、また明日♡