大光寺ブログ

こんにちは。私は、この素晴らしい地球の星、東京新宿歌舞伎町の大きな光、           「大光寺 住職 正印 彗惺」です。私達の未来が、元気で生き生き明るくなるように、        このブログを通してメッセージを送ります。


テーマ:

「①王の中の王 聖人の中の聖」の続き


この娑婆世界に住む私たちの人類が持っている最大最上の

無極、無等倫の栄光は釈迦世尊が、この世界に登場した

ことが、真実なのです。お釈迦様の人格は天衣無縫、大きな

空海と同じなので、自然災害やその他がおきても、

不動相應で、一切の痕跡がなく、容融無涯の大きな海と

同じで、千河萬流で多くの河からたくさん流れてきても、

不僧不滅で、残って足りないものがなく、この上ない一つの

(一味)だけなのです。宇宙のすべてはお釈迦様であり、

森羅万象の中にあるすべてのものは、お釈迦様の考えで

生まれた真理なのです。お釈迦様の分象なのです。



お釈迦様の真理は創造する真理で、萬事はお釈迦様の一枝

なのです。干からびた広大な土地を、良田玉土に変えて、

如来田に作り、百姓たちにとって同じく佛国土で生きる

ように、古い無明を開拓して、無明長夜の私たちは無明で

暗い夜のようにさまよっている衆生の心の生心田を清らかに

佛土で作り、大勢の百姓たちにとって同じく最高の智慧を

得て、慈航と法灯、仏法がこの世の闇(やみ)を照らす灯火を

つくったのです。お釈迦様の慈雲法雨は私たちの聖胎の

善根を深く育ててくれました。私たちの甘露心が神秘の

曼荼羅・蓮の花のように限りない幸せになるよう

ほほえましく作ってくれたのです。



雄弁に仏法を説く仏陀の超人的能力を持つお釈迦様の

長廣舌は、師子の不正を打破し、正義を実現する破邪顕正が

刀のようになり、私たちの三毒と五欲を永遠になくすように

切り取ってくれたのです。果たして、天人の中の天人で、

安住する聖人の中の聖人で、王の中の王なのです。仰ぎ

見れば見るほど、高くて尊く神々しく、また、見つめれば

見つめるほど、深いのです。世尊様は三十二相、

八十八種好を揃えています。世尊様以外の聖人はいた

としても、まるでそのことは、明るい昼間の星の光と同じ話

なのです。明るい太陽が東に上昇すれば、ある星がその光を

なくし、須弥山の頂上が海に写れば、その頂上が中に、沈む

ことと同じなのです。



お釈迦様は私たち人間のこの上ない最高の師匠であり、

全宇宙(=三十三千大千世界)が一番尊敬する師匠なの

です。また、その偉大な人格、その偉大な思想、その偉大な

慈悲は、すべての世界に覆われ、何万何億年が経過しても、

永遠に残っているのです。あの残忍非道な殺人鬼も一度、

お釈迦様の穏やかで優しい顔つきの温容慈顔に出会えば、

刀を捨てて、一心歸命するので、萬夫莫開の大魔王も

世尊様の動かしがたく、威厳があり、落ち着いていて物事に

驚いたり慌てたりしない厳然自若の一手指地(お釈迦様が

指差すこと)で、降伏してしまうのではないでしょうか?



世尊様は大覚、佛陀であり、私たちは、お釈迦様の佛子

なのです。世尊様は、大法輸を回し、法の王であり、

私たちはお釈迦様の法の王子なのです。世尊様は、いつも

私たちを善男、善女、信男、信女と呼んで、また佛子とも

呼びました。このように本当に親切で優しい言葉なの

です。人生は苦しい難苦なので、最高の幸せの佛法に

出会うのは難しく、この考えで生まれてしまい、私たちが

人間に生まれてくるのは難しく、また人に生まれても、

お釈迦様の佛法と出会うのは難しいと言われたのです。



私たちは、ただ像季末法(釈尊入滅後千年間を正法時代と

いい、次の千年間を像法時代といい、仏滅後二千年経過

した時を末法と呼ぶ。末法とは、仏の教のみが存在して

いるが、人の心が悪くなり、さまよって邪道を信じ、

悟りに入る人が少ない時期のこと)、五濁悪世に{五つの

にごり、娑婆世界の「時代が濁って(劫濁)、見解が濁り

(見濁)、煩悩が濁り(煩悩濁)、人々が濁り(衆生濁)

生命が濁り(命濁)」}で、生まれたのに、幸い

お釈迦様の慈雲法雨の光を着ることになり、本当に限り

ない歓喜と、無等倫(この上ない正覚の倫理)で、光栄

なのです。



そして、幼い子供が母親と出会ったこと、暗い場所で

灯に出会ったことは同じで、お腹をすかせた人々が

ごはんを得たことと同じなのです。真実に私たちは

全世界で、まいた善根の功徳で考え、嬉しく迎えなれば

いけません。私たちが本当の心で、お釈迦様を賛嘆して

仏道を行う間、因縁によって、また迎えてくれる

私たちのお釈迦様の暖かい慈悲の胸の中に永遠に包容

されるでしょう。




②心の灯をともす


法師が法壇に上がり、入定したあと、杓杖を三回叩いて

説法するのです。


尊敬する佛子のみなさん、今日、私たちの尊いお釈迦様

の誕生日を迎えて、心の灯をともし、すぐ全世界で

お釈迦様の慈悲の光明が充満することを、願っているの

です。お釈迦様の誕生は、すぐ衆生の誕生なのです。

すべて衆生がお釈迦様の人間宣言によって完全な人間に

なることができる保証を受け、真実の私を発見できる

契機が用意されたことなのです。しかし、現代人は今や

精神的危機に直面しています。



科学文明の発達で物があふれて、人々の生活が便利になり

ましたが、あらゆることが組織化されて、機械化されて、

人間は自分が作った機械の奴隷に転落するのか、もしくは

互いに尊重してこそ、人間は自分の中に不信と葛藤、

対立と反復暴力と略奪を行って、あたかも世界は

阿鼻無間地獄にある汚れた泥にまみれた暗闇の世界の

大黒癌地獄に変わっていきつつあります。このような現実は

すべての人間が本来、真実に自分自身を失って、無明と
欲望に縛られ、貪瞋癡の三毒の炎を終わりなしに燃え上がら

せるようにするのです。



したがって今日、私たちのこの五色燦燗したお釈迦様の

光明の灯の下で、人々が生まれた時から、本来、授かって

いる清らかで純粋な消えない生命の灯をともすように、努力

するのが良いのです。心の灯は、昼夜がなく、内外もない

です。紙で作った偽造の灯に、ロウソクの火をつけると

明るくなり、息を吹きかけると火が消えてしまう灯では、

ないのです。これは、お金を渡しても買うことができず、

また交換することもできず、ただこれは本当に深い信仰心で

つけることができるのです。



遠い昔、インド四位国プラセナジ王様は、三ヶ月の間、

お釈迦様とあらゆる僧侶たちを供養して、また数万個の灯を

ともして、燃燈曾の会の祭りを布施したのです。その時、

乞食をして、やっと生きながらえている一人の女性が

プラセナジ王の燃燈会を見物して「私が、たとえ貧しくて

何も供養ができなくても、灯の一つでも、ともして、

お釈迦様に供養をしたい。」と考えて、つぎはぎの服を

売って、小銭二枚を得て、油を用意し、灯をともして、

お供えしながら、「見るべきものがない灯なのに、

この功徳で未来の世界で私も仏陀になるようにお願い

します。」といって祈願しました。



夜が深いので、他の灯はすべて消えたのに、ただ一つの灯

だけ、明るく光っていたのです。灯は全部消える前は、

お釈迦様が、お休みにならないので、阿難はその火を消そう

とうちわを持って行き、風をおこしたが、なかなか消えない

ので、口で息を吹きかけ、手でこすり合わせたり、袈裟の

すそで扇いでも、ついに火が消えないので、お釈迦様は

それを見て、話しました。



「阿難よ、無駄な努力をするな。それは、貧しいが心が善良

な女性が広くて大きな誓願と誠意を込めてつけた灯なのだ。

それなので、結局、消えないだろう。その灯の功徳で、その

女性は未来の世界で、必ず仏陀になり、明るい法灯で暗い

世の中を明るくするのだ。」といいました。この話は

根本一切有部で事実なのです。心が明るければ国土も明るい

のです。心の灯をともして、三毒、煩悩を除去して明るい

社会を建設しましょう。灯は仏教の慈悲、智慧、解脱、

禅定、清浄、過去世を含んだ正覚心なのです。



それなので、達磨観心論で言われることは、「一切解脱を

求める人は、常に体を灯として、心では、ひょうそく(灯火

器具の一つ。油皿の中央に置いた灯心に火をつけるもの。)
として、信仰心を火をつける芯として、すべての戒律で

しっかりと添油をしなさい。」と言い、また「火の光は、

智慧が明るいことを比喩したことなのです。いつも、この

ように悟りの灯は、無明の暗闇を照らして、充分にこの法

(教え)でますますお互いに悟れば、すぐに一つの灯が

百千の灯となり、明るくともして、ついに、終わりがない

ことなのだ。」と言われました。







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