大光寺ブログ

こんにちは。私は、この素晴らしい地球の星、東京新宿歌舞伎町の大きな光、           「大光寺 住職 正印 彗惺」です。私達の未来が、元気で生き生き明るくなるように、        このブログを通してメッセージを送ります。


テーマ:

六 『比丘たちよ、比丘は「五蘊法」(色・受・想・行・識の存在)に対して観察しなければならないので、比丘よ、色(色--物質)はこれこれであり、色が出るのはこれこれなことであり、消えるのはこれこれなのだ。


このように、これは感受作用であり、これは感受作用が出て消えることであり、想(=思考作用)と行(=知的活動)と識(=認識・観念作用)もまたそうであると見るべきなのです。


これと共に、五蘊の性質が何かと、それが出て消える実状に関して目の前にあらわれれば、世の中どんなものにも執着しないのだろうに、これが「五蘊法」に対し観察することなのだ。


比丘らよ、比丘は内外の六ヶ所に対し法を観察しなければならないので、目・耳・鼻・口・身体・意志は中にある六種類の感覚器官で、光・音・臭い・味・触る感覚・法(分別の対象)は外部の六種類の境界なのです。


比丘らよ、これは目で、これは光であり、また、その二種類の境界で私は感覚知覚による執着(良し悪しと快・不快への執着)を知って、まだ起きない執着は起きたこととして見て、すでに起きた執着はなくなったこととして観て、すでに消えた執着は未来に現われないこととして見るのです。


これと共に、耳と声において、鼻と臭いにおいて、口と味において、からだと触感ということにおいて、意識と分別法にもまた、そうするのです。


これと共に、内外で六ヶ所の法を観察して、その出て消えるということを如実に観て、目の前にあらわれれば、世の中のどんなものにも執着しないのだから、これが内外で六ヶ所を観察することになるのです。


比丘たちよ、比丘はこれと共に、七覚支と四聖諦と十二因縁と八聖道を観察して初禅・二禅・三禅・四禅の正定を成就することなのです。』

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

五「比丘たちよ、どんなものが法を観察する方法なのだろうか?

比丘たちよ、比丘は五種類を覆うこと〔五蓋〕に進み法を観察するので、どんなものが五種類を覆うことであるものだろうか?


比丘は内側に貪欲があるならばあることを知り、貪欲と決別したら決別することを知り、貪欲が起きなくても起きたこととして見て、すでに起きた時にはなくなったこととして見て、また、すでになくなったことは今後も起きないこととして理解するのです。

あるいは内心に癇癪を起こすような心があれば癇癪を起こす心があることを知り、なければないことを理解し、起きないのは起きたこととして観察し。

すでに起きたことは起きなかったとして観察し、また、すでになくなったことは未来にも起きないこととして観察するのです。


万一、心が昏睡して睡眠状態にあったなら、昏睡状態であることを知り、そこから目覚めれば目覚めたことを知るのであり......あるいは、すでになくなったことは未来にも起きないことととして観察するのです。


あるいは心が騒がしい時にはこれが騒乱したものだと思って、なくなったらなくなるのを理解し、起きなかったり起きたり、すでになくなった時にも、また、上記のように見なければならないことなのです。


あるいは心に疑惑があったら疑惑があることを知らなければないということを分かり、起きなかったりすでに起きたりすでになくなった時には、また、上記のように見なければならないことなのです。


これと共に、内側を見て外側を見て、起きることや消えることを観察し、それが明瞭に目の前にあらわれる時には、世の中のすべての執着と決別することとなることだ。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

四「比丘たちよ、どんなものが心を観察する方法なのでしょうか?


比丘の心に貪欲があったならば、「これは貪欲であるなぁ!」と知り、貪欲を消滅させたり、貪欲を消滅させる術を知ったり、誠意があれば誠意があることを知り、誠意と決別し、誠意と決別する術を知り、これと共に愚かな心、逆さになった心、広い心、狭い心、静かな心、散乱した心、解脱した心、解脱できない心を一つ一つ自らに関するものを内部から見て、客観的に見て、その心の出るものに関して、また消えることに関して、目の前に対して現われるようになれば、世の中のどんな執着でも捨て去ってしまうことになるのです。


比丘たちよ、これが心を正しく観察する法です。』

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

三、『比丘たちよ、比丘は私たちの体と心が

時と所においてそれを感受する作用に対し

どのように観察をするでしょうか?


感受の作用には三種類があるのです。




すなわち、苦しみを感じる作用、楽しみを感じる作用と苦しかったり楽しくもないということを感じる作用がそれであります。



比丘たちよ、ここに比丘が楽しみを感じる時に「私は楽しみを感じる」と知り、苦しみを感じる時に「私は苦しみを感じる」と知って、苦しみや楽しみもないということを感じる時に「私は苦しかったり、楽しくもないということを感じる」と知るべきです。



あるいは体で楽しみを感じる時に「私の体は楽しみを感じる」と知り、心で楽しみを感じる時に「私の心が楽しみを感じる」と知りなさい。



このように、苦しみの感受と苦しみや楽しみもない感受もそうであるはずなのです。



これと共に、自分の体と心によって起きる苦しみ、楽しみ、苦しみも楽しみもないもの三種類の感受を確実に観察して、またある人のこのような感受作用を客観的に観察したり、あるいはその作用が起きることを観察し、あるいはその作用が消えることを観察すれば、その感受が目の前に現れるので、感受がさまざまに変遷して固定した苦しみ・固定した楽しみ・固定した不苦・不楽がないことを知り、世の中のどんなものにも執着しないことになるのです。



比丘たちよ、これが比丘が感受についてすぐに観察するべきことなのです。』







いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

このように心を集中させ、体を観察し、その実状が目の前に現れれば、世界のどのような境界にも執着しなくなるのです。



比丘たちよ、比丘はこの体がはじめに何によって構成されたのか、その事実をそのまま観察しなければいけません。



この体は地大・水大・火大・風大(地・水・火・風大)の四大要素が一ヶ所に固まってできたことを明らかにして見なければいけません。あたかもプロの白丁(と殺従事者)が牛を捕まえ、四方を粉々に分けて地面に並べるのと同じように、比丘もこの体を四大に分けて、目の前に出しておくのです。



比丘たちよ、あたかも林の中に捨てられた死体が、死んだ後一日二日三日を経て、膨らみ裂け、青黒い光で腐って崩れていくのを見るように、この体を注視し「この体もあのようになってしまうのだ」と明らかに理解しなければなりません。その現象が目の前で顕著に現われるならば、世の中すべての虚欲、境界に執着しなくなるのです。



比丘たちよ、林の中に捨てた死体を、たとえばカラスあるいはトンビや鷲がつついて食べ、あるいは犬や狼、キツネがはがして食べるのを見るのと同じように、比丘もその体を注視し「この体もついにあの姿から逃れることはできない」と考えれば、世界のどんな虚欲にも、執着しなくなるのです。



比丘たちよ、林の中に捨てた死体が、初めは肉と血と筋につながれた骸骨でしたが、次に肉はなくなり、筋だけがつながった骸骨、次には筋もみな溶けて節々が落ちて散らばり、手の骨はあっち、足の骨はこっちに、こっちには肋骨、あっちには脚の骨・尾てい骨・頭蓋骨などが四方八方あちこち散らばっている骸骨を見るのと同じように、比丘もこの体を注視して「この体も、あのような姿を免れることはないだろう」と、目の前に明るく現れれば、世界のすべての虚欲・妄想を捨てることができるのです。



また、比丘たちよ!

林の中に捨てた死体が貝の光のような白い骨となり、一年二年をすぎて大量に積まれた白骨、またはみな腐って崩れて粉となった骸骨を見るのと同じように、比丘もその体を注視して「この体もあの姿を免れることはないだろう」と観察すれば、世界のすべての執着を捨てることになるでしょう。



比丘たちよ、比丘はこのように体に対して観察するものです。』









いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。