僕の名前は、岩政大樹と言います。兄の名前は剛樹と言います。

「大岩剛」大き 岩まさ 剛き。

すごくないですか?(笑)まあまあ、いろんなご意見はあると思いますが、岩政家では運命的なものを感じずにはいられなかったわけです、はい。

実は、剛さんとの出会いは僕が中学3年生のとき。名波さん(名波浩)や平野さん(平野孝)たちと一緒に剛さんが、僕の地元、山口県周防大島に自主トレを兼ねてサッカー教室をしにいらしてくださったときでした。そのときは、小学生を対象にしたサッカー教室だったので、僕は駐車場の整理や子供達の誘導をしていました。

7年の年月を経て、鹿島でコンビを組ませていただきました。選手にはフィーリングがあります。憲剛くん(中村憲剛)と嘉人(大久保嘉人)がすぐに感じ合ったと言っていますが、僕はコンビを組んで数試合で、剛さんと「合う」と感じていました。そう感じる選手にはなかなか巡り会えません。

僕が大好きなプレーがありました。相手がカウンター気味で攻めてきて、数的同数や数的不利のときに、相手がパスを出す少し前に2人同時に止まり、相手FWをオフサイドの位置におき、一気に数的優位にしてボールをうばうプレーです。これは2人が全く同じ画を描き、タイミングを共有しなければできません。僕は日本代表含め、たくさんの選手と組みましたが、プロでこれができたのは、剛さんと組んだときだけでした。

いつからか、2人のコンビを「二枚岩」と呼んでくださるようになりました。僕はその呼び名をとても気に入っていました。

僕はいつも剛さんを観察し、学んでいました。どんどん剛さんのおっしゃることが分かるようになりました。僕にとって、プロ生活の最初に剛さんが横にいてくださったことは最大の幸運かもしれません。

あれは、2007年か2008年の年末の納会のときだったと思います。剛さんが、「いろんなやつとコンビを組んできたけど、お前がナンバー1だ。」と言ってくれました。僕が、プロに入って初めて自信をもらえた瞬間でした。僕は酔っ払っていたので、その言葉を忘れてしまうのが恐くて、その納会の間、何度も思い出して暗記していました。