今日も天使について。

 

 

 

 

 

天使などもちろん信用していなかった。

 

というか、天使とお話しとかって言ってる人を見ると、なんかこちらが恥ずかしくなってた。

 

 

 

そんなぼくなのに、11年前のある日、突然天使との会話が始まった。

 

ほんとに天使かどうかはわからない。

 

 

 

その声は自分のことを「ミヒャエル」と名乗った。

 

ミヒャエルと聞いて思い出すのはミヒャエル・エンデとミヒャエル・シューマッハのふたりだけだ。

 

 

だから「ん?」となった。

 

 

誰だ?あんた。

 

 

 

 

 

あとで調べてみたら、ミヒャエルはミカエルのドイツ語読みだということがわかった。

 

 

ミカエル?もしかして天使の?

 

 

 

繋がれるかどうかはわからなかったけど、それを確かめたくて翌日ミヒャエルを呼び出してみた。

 

 

すぐに返答があった。

 

 

 

「あんた天使のミカエルなの?」

 

て聞いたら

 

 

「そうだよ」と。

 

 

 

昨日はミヒャエルから一方的にメッセージを送ってきただけでこちらからは何も聞かなかったのだが

 

ちょっと面白くなっていろいろ質問してみた。

 

 

やり方はパソコンのメーラーを立ち上げて新規画面にこちらの質問を打ち込む。

 

するとなんとなく言葉がやってくるので、それを質問の下に打ち込んでいく。

 

 

言葉にするのに詰まる場面は出てくるけど、でもなんとなく言ってることはわかるのでそれをなるべく感覚の近い言葉に翻訳していく感じ。

 

 

すると、会話になる。

 

 

 

そして、わからないことを聞くと答えを返してくれる。

 

 

 

おもしろい。

 

 

 

神との対話とかバシャール本とかは読んでたので、こういうことができるひとが世の中にいることは知っていたけど

 

ごく稀な人しかできない特殊な能力だと思ってた。

 

 

 

でも、実際に自分の身に起こったことをいうと

 

特殊な感じはまるでなくて

 

それどころか、これは誰でもできることなんだ、とわかった。

 

 

 

この世の中には、天使や神や宇宙人と会話ができる人と、できない人の2種類の人間がいるのではなくて

 

それら目に見えない存在から受け取ったメッセージを言葉に翻訳できる人とできない人がいるだけだ、と。

 

 

翻訳できない人も、実際に翻訳する能力がないわけではなくて

 

ただ、慣れていないだけ。

 

そして、なにかを受け取っていることに気がついていないだけだ。

 

 

 

だから、本当はすべてのひとができる。

 

 

そのとき感じたこの感覚は今もまるで変わっていない。

 

 

 

 

 

「じゃあ、そのやり方をここでみんなに教えてやったらいいんじゃない?」

 

 

 

え?

 

あ、これミヒャエルの言葉ね。

 

 

 

そんなことできるの?

 

 

 

「いや知らんよ。できるかどうかやってみないとわからんからね。

ま、できなかったときは二人でいっしょに恥かけばいいわけだしね(笑)」

 

 

 

 

なるほど。

 

最悪でも恥をかくだけ、か。

 

 

しかもいっしょに恥かいてくれると(笑)

 

 

 

 

 

ということで、どこまでできるかわからないけど

 

 

しばらくその方向で書いてみます。

 

今日は何を書こうか?

 

と考えてたら、ふいにどこからか 「カッコつけるなよ」 という声が聞こえてきた。

 

 

 

たしかにそのとおりだ。

 

 

 

もう少し耳を傾けてみた。

 

そしたらこんなメッセージがやってきた。

 

 

 

 

もう少し自由に書いてみたらどうなのよ

 

どうせ誰も見ていないんだし(笑)

 

 

内容が暗くてもいいし

 

まとまっていなくてもいい

 

 

論理が破綻していてもいいし

 

スピスピしててもいい

 

 

あなたがもっと自由にならないと

 

私たちができるサポートも限られてしまうんだよ

 

 

あなたがもっと自由に表現してくれればね

 

私たちはもっと多くのことをあなたに伝えることができるんだよ

 

 

だから、遠慮せず

 

誰の目も気にせず

 

 

あなたの書きたいように書いてみたらどうよ

 

 

それが今のあなたへのメッセージ

 

 

わかった?

 


 

 

 

 

 

あーあ、書いちゃった。

 

 

でも、知らん。

 

 

 

明日からそっち系のブログになったりしてね。

 

 

 

ま、それも知らん(笑)

 

 

 

昨日はフェイスブックでのブロック数が3000人を超えているというAさんに会ってきました。

 
 
しかし3000人をブロックてどういう日常なんだ?(笑)
 
 
 
ちなみにAさんをフォローしている人は4万人を越えてました。
 
 
 
 
芸能人とかではないんだけどね。
 
 
ものさしのサイズがちょっとおかしい(笑)
 
 
 
 
で、そういうひとだから子供の頃からずっと規格外だったようで、早口で語るその半生を聞いてるうちにあることに気がついた。
 
 
 
このひと「他人にくらべて自分はおかしいんじゃないか?」とはこれまで一度も思ったことがないっぽい。
 
 
 
まわりの人間と自分の感覚がどうもちがう、というのはわりと誰でもあることだと思うけど
 
そう感じたとき、ふつうは自分の感覚の方を疑ってしまう。
 
 
 
「自分はおかしいのじゃないか?」と。
 
 
 
でもAさんはどうも、「まわりの人間の方がおかしい」と思ってきたっぽいのです。
 
 
 
 
Aさんはきっと子供のころから変人扱いされてきたと思うんだけど
 
べつに変人でもなんでもなくて
 
 
自分がいいと思うことを、ええやん
 
ちがうと思うことを、ちゃうやろ
 
面白いと思ったことを、それやるわ
 
興味のないことを、無視無視
 
 
 
と、ただただ自分の感覚に素直に生きてきただけなんだろうな、と。
 
 
 
 
そのことに気がついたあとはAさんが何をしゃべってもおもしろかった(笑)
 
 
話しの内容は早口なのと、飲み会での席だったのでまわりが騒がしくてあまり聞き取れなかったのだけどね。
 
 
 
 
 
 
たしかぼくが大学生のときなんだけど
 
 
突然なんの脈略もなくイメージで見た(体感した)光景があって
 
それは、世の中のひと全員が自分自身の感覚を信じて、その感覚に素直に生きてる世界。
 
 
つまり、全員が自分の好きなことだけをしている世界。
 
 
 
理屈で考えたら、みんなが自分の好きなことだけをしてたら世の中が成り立たないじゃないか
 
とそう思うのだけど
 
 
 
不思議なことにその世界はカンペキにバランスしていた。
 
 
 
 
誰かに合わせたりガマンしたり、「正しい」とされてるものを守って生きているこの世界がいつまでたってもいっこうに問題がなくならないのに対して
 
 
自分の感覚に素直に生きているひとたちだけで作られたその世界は、カンペキに調和していた。
 
 
 
 
すべてが満たされていて
 
 
美しく
 
 
みごとに循環していた。
 
 
 
 
 
そのときのイメージが、頭から離れない。
 
 
 
 
 
だからそれ以来ずっと
 
自分の好きなことだけをやろう、とそんな気持ちで生きてきた。
 
 
 
でも今のところ残念ながらぼくの人生は、あの世界のようにはバランスしていない。
 
 
いくつもの混乱や争いを経験している。
 
 
 
 
あの世界のひとたちのように、好きなことだけを選んできたつもりのに。
 
 
 
 
なんでたろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日Aさんの話を聞きながら気がついた。
 
 
 
ぼくは、自分の感覚をちゃんと信じてないわ。
 
自分の感覚をしょっちゅう疑ってるわ、と。
 
 
 
そして、これまでの人生を振り返ってみると
 
 
ぼくの人生にこれまで何度か起こったブレイクスルー
 
それはいつも自分の感覚を信じ切ってるときに起きていたことに気がついた。
 
 
 
逆にうまくいかないときは、外側に正しい答えを求めているときだ。
 
 
 
なるほど。
 
 
 
 
すべてのひとに与えられたそのひとだけの才能。
 
 
それが自分の感覚。
 
 
 
それをしっかりと使えてるひとはうまくいくし
 
 
使えていないひとはうまくいかない経験を続けることになる。
 
 
 
 
そういうことか。
 
 
 
 
 
 
ちなみにAさんもまだぼくが見たあの調和の世界の住人にはなれていない。
 
 
 
自分の感覚に素直に生きること。
 
 
そして、他人もそれぞれ自分自身の感覚に素直に生きていいんだと
 
 
 
 
 
すべてのひとがそうなったとき
 
 
この世界はカンペキに調和する。
 
 
 
昨日、とある世界で成功してるひとに会ってきた。




いろいろ話を聞いてて思ったのは


思考をシンプルに

これと思ったことをとことん、徹底的にやってきただけなんだなぁ、ということ。




何を信じるかはじつはどうでもいいことで


自分が信じたやり方を

人生にはっきりと変化が起きるまで

とことん徹底的にやってみる。




その大切さを受け取ってきた。




正直いうと、そのひとの信じてることに全面的に共感することはできなかったけど

そんなことはホントどうでもいいことなんだろうね。




だって、その違いがあるからこそ、この世界は面白い。




自分が信じてることをとことんやることで

自分が何者であるかをはっきりとさせる。



そしてこの世界からハッキリとした反応を返してもらう。



けっして回りのひとの目や反応を気にするのではなく。






あなたが信じてることの答えは


この世界が教えてくれる。


つい先日泊まりに来てくれた大学4年生の女の子。


来春、広告代理店に就職なんだけど、入社前に「誰にも負けない自分の強み」を見つける宿題が出てるんだって。


で、なかなか見つからない、と。




どうやったら見つかるかわかりますか?


と、質問されたんだけど、これホント難しい。




自分の強みを自分で見つけるのは


自分で自分の頭の上に乗っけたメガネを探しだすより難しい(笑)





自分の強みって、なんの苦労もなくできてしまうことだからね。


鼻唄うたいながらできること。


居眠りしててもできること。


そのくらいあたりまえにできること。




そんなあたりまえのことをふだん自分では意識しないからね~。


だから絶対に見つけられない。





じゃあどうしたらいいのかっていうと


これはもう自分の回りのひとに片っぱしから聞いてみるしかない。



親兄弟はもちろん

友人、知人、彼氏、彼女、結婚相手やパートナー。

ふだんよく会うともだちはもちろん、連絡できるなら子供のころよく遊んでたともだち。

元カレ、元カノ。

職場の同僚、上司、部下。


この際近所のおばちゃんでもいいか(笑)



とにかく聞けるひとには手当たり次第聞いてみる。



それしかないんじゃないかなぁ、て答えました。




で、どれだけ聞いてもあなたの強みをズバリ教えてくれるひとはたぶんいないよ。

でもヒントは必ずもらえる。



そのヒントに出会ったとき「あ」って反応するよ、きっと。


だから、あとは自分が反応したそれをひとに伝わるよう言語化していく。

これは自分でやる方がおもしろいかもね。




実はぼくが9年のあいだに1000人以上のゲストの夢を聞いてきた、っていうのもついこの前まで知らなかった。

気づいてなかった。



あるひとに指摘されてはじめて気がついた。




ま、そのくらい自分の強みを見つけるのは難しいし

ふだんあたりまえにやってることを意識するのは難しい。




ちなみに、この大学4年生の女の子の強みは


初対面でも、まるで昔からの知り合いのような距離感を作り出せること、かな。