数字はウソをつかない | 第一経営グループ代表 吉村浩平のブログ

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今年は74回目の終戦記念日でした。戦争を知らない世代が多くなるということは何を意味するのだろう。74年の歳月は、戦争を経験した親を持つ私たちの世代から、その戦争を知らない世代を親に持つ次の世代へ、更にその次の世代へと繋がっている。仕方がないことかもしれないが、伝言ゲームのように戦争のリアルな悲惨さを伝える側面は、少しずつその濃度を薄めていく。

 

先日、山崎貴監督、菅田将暉さん主演の「アルキメデスの大戦」という映画を観てきました。原作は三田紀房さんの同名の漫画です。まずそれを読んでいないので、なぜアルキメデス?という疑問が湧いてきます。

 

アルキメデスというのは、言わずと知れた古代ギリシャの天才です。ウィキペディアによれば「古代ギリシャの数学者、物理学者、技術者、天文学者」という紹介がされています。そしてまた「アルキメデスの原理」について「アルキメデスが発見した物理学の法則。『流体中の物体は、その物体が押しのける流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける』というもの」とありますが、正直なところよく分かりません。

 

聞いたことがある話といえば、王様が職人につくらせた純金の王冠が本当に純金であるかどうか、王冠を壊さずに調べるよう命じられたアルキメデスが、ある日、お風呂に入った時に、湯船からあふれ出すお湯を見て直感的にヒントをつかんだという話です。結果として王冠は純金でないことが分かり、不正が明らかとなった金細工師は処刑されてしまったそうです。この逸話もどこまで本当なのかは分かりません。

 

この映画は史実とは無関係ですが、もしかしてと思わせるくらい着想がユニークです。太平洋戦争前夜のこと、戦艦大和の建造をめぐって海軍の中で激論が交わされたというもので、世界最大級の戦艦をつくり国威発揚をはかろうとする一派と、これを税金の無駄遣いと批判しこれからは戦闘機の時代であり割安の空母をつくるべきという一派の争いです。

 

山本五十六を中心とした空母派は、巨大戦艦の建造費の見積りが異常に安すぎるので、そこに誤魔化しがあるのではないかと推論し、それを証明するために一人の若い天才数学者を招致します。大臣の決裁まで残すところわずか2週間という、限られた時間の中での知的な戦いというサスペンス的な要素を入れた面白さがあります。

 

戦艦大和の設計図が手元にない中で、他の戦艦などから類似の細々とした資料を苦労して集め、一つひとつサイズを測り、そして計算を積み重ねる作業を繰り返します。かなり現実離れしたエピソードであることを忘れて観ていると、確かに、とにかく数字に没頭し、それが形づくる美しさを言う主人公、櫂直(かいただし)に引き込まれて行きます。

 

決裁の会議の場で、櫂が一つの数式から建造費を割り出す公式の説明を行う場面は圧巻です。彼は言います「数字はウソをつかない」と。この場面から思い浮かぶのが、国有地をただ同然で売買しようと誤魔化し続けた森友学園の事件です。結局は“ウソをつかない数字”の前に逃げ場を失った国家によって、安倍首相夫妻を守るため?、籠池夫妻は切り捨てられてしまいます。

 

さてこの映画、櫂が建造費の不正を証明したにもかかわらず、歴史が示すように戦艦大和は建造され、そして19454月、終戦の年に3,000名余の兵士とともに撃沈されてしまいます。櫂は無駄な戦争を起こさないためにとプロジェクトに入り勝利したにもかかわらず、なぜ戦艦大和の建造を黙認したのでしょう。

 

映画の最後、戦艦大和の設計者と櫂の二人だけの場面に、なんともやるせない思いが残りました。もしかしたら私の理解は違うのかも知れませんが、戦争への流れがすでに逆らえないものになっていること、その明らかな負け戦が始まる前に世界最大級の戦艦を造り、そして沈む「大和」に「日本という国」が亡びることを国民に重ね合わせてイメージさせること、言い換えるなら国民が諦め納得する戦争の終わり方を言う海軍中将(設計者)に、世の中の全てを計算しようという天才数学者が、生存者の確率論で理解を示したように見えました。

 

そんな戦争の理解があるのだろうか。テレビゲームでないリアルな戦争は圧倒的に違う、一人ひとりの人間が見えていないそうした視点は違うと思う。今年は広島の原爆資料館がリニューアルされた映像がありました。終戦記念日にも東京大空襲など、様々な軍人以外が戦火を逃げ惑った資料が放映されていました。一言でいえば「狂気と地獄絵の世界」が戦争。そこに学ぶなら、今のきな臭さが漂う時代にあって、歴史の流れに対する無力感を少なくとも戦争への流れで言ってはいけないのではないか、そう思います。