H家の奥さんが言う。
「主人の体調が悪くて寝ています。家の家相が悪いのでしょうか?」
私は家を見渡して答えた。
「家相は悪くありませんね。でも、通りに面した勝手口から家族みんなが出入りしているのは、少し気になります。」
その家は見た目にも立派で、細かな工夫が随所に施されていた。しかし、どこか使い勝手が悪い。家そのものに問題があるというより、住む人の暮らし方と家の造りが噛み合っていないように感じた。
そんな話をしているうちに、以前相談を受けた別の家のことを思い出した。
嫁と姑の仲が悪く、ついには家相の専門家に鑑定してもらったという。
すると、
「鬼門に出入り口があるからケンカをするのだ。その出入り口を塞げばよい」
と助言された。
家族は仲良くなりたい一心で、何十万円もの費用をかけて改築した。しかし、残念ながら問題は解決しなかった。出入り口を閉じても、嫁と姑の心の扉までは変わらなかったのである。
私はその時こう言った。
「その改築費用を姑さんに差し上げた方が『うちの嫁は本当にいい嫁だ』と感謝されたかもしれませんね。」
もちろん冗談半分ではあるが、本質はそこにある。
人は問題の原因を自分以外のものに求めたくなる。家相が悪い、方角が悪い、運が悪い、誰かが悪い。そう考えれば、自分は変わらなくて済むからである。
しかし、仏教は常に自分自身を見つめる教えだ。
相手を責める前に、自分の言葉はどうだったのか。相手の立場を理解しようとしたのか。感謝や思いやりを忘れていなかったか。そこを見つめなければ、本当の解決には至らない。
家相や風水を全て否定するつもりはない。住みやすい環境を整えることは大切なことである。しかし、家の間取りを変えても心の間取りが変わらなければ、同じ問題は形を変えて現れる。
病気も、人間関係も、人生の悩みも、原因を外に求めるのは簡単だ。だが本当に大切なのは、「私自身に改めるべきところはないだろうか」と振り返ることである。
仏教でいう「反求諸己(はんきゅうしょこ)」すなわち答えを自分の内に求める姿勢である。
幸せを妨げている鬼門は、家の北東にあるとは限らない。時には、自分の心の中にある執着や不満こそが、本当の鬼門なのかもしれない。
