少し前まではあまり聞かなかった相談だが、ここ何年かで目立つようになった言葉がある。
「他のお寺でお葬式をしたのですが、初盆のお経をしていただけませんか」
事情をお聞きすると、多くは葬儀社から紹介された僧侶に葬儀をお願いしたものの、その後のお付き合いが続かなかったという話である。もちろん紹介された僧侶のすべてがそうではない。しかし中には、ご遺族の悲しみに寄り添うよりも、葬儀を一件こなすことが仕事になってしまっているようなケースもあるようだ。
さらに耳にするのは、葬儀社との関係を深めるために営業活動を行ったり、紹介を得るために接待や謝礼を行ったりする僧侶の存在である。もしそれが事実であれば、本来は故人を送り、遺族の心を支えるべき仏事が、いつの間にか商取引の一部になってしまう危険性がある。
しかし一方で、葬儀社からの紹介であっても、その後も親身になって喪家と向き合い、法事やお盆、年忌法要まで丁寧に勤めている僧侶も少なくない。結局のところ問題なのは紹介そのものではなく、その後にどのような関係を築くかなのであろう。
仏教でいう「供養」とは、単にお経を読むことではない。故人を偲びながら、残された人々の心を支え、人生の無常を共に見つめることである。そのためには、一度きりの縁ではなく、人と人との信頼関係が欠かせない。
私は時々思う。もし葬儀社の担当者が自分の親や家族を見送る時、その僧侶に読経をお願いしたいと思えるだろうか、と。その答えに迷いがない僧侶であれば、きっとご遺族にも安心して紹介できるはずである。
僧侶も葬儀社も、故人を送り出すという大切な役目を担っている。だからこそ利益や都合だけではなく、「この人になら家族を任せたい」と思われる信頼を築くことが、何より大切なのではないだろうか。仏事の価値は、形式や肩書ではなく、人としての誠実さの中にこそ現れるのである。
