肩書きの多い住職が訪ねて来られた。名刺の裏には、役職がびっしりと並んでいる。見れば見るほど立派なのだが、私はどうもこういうものに弱い。いや、弱いというより苦手なのだ。肩書きが増えるほど、人の心が遠ざかっていくように感じてしまう。


話をしていると、その方は行事の焼香ひとつにも順位を持ち込む。早く焼香するほうが偉い、席は上座が当然、僧侶には階級があるのだと、熱心に語られる。まるで寺の中に小さな宮廷でも作りたいかのようだ。そして目標は「大僧正」。僧階の頂を目指しているらしい。


けれど私は思う。仏の道は、上へ上へと登る階段ではなく、下へ下へと降りていく道ではなかったか。偉くなることよりも、低く身を置くこと。人より先に立つことよりも、人の痛みに寄り添うこと。そのほうが、よほど僧侶らしい。


僧階というものは、この世では確かに飾りになるのかもしれない。しかし、あの世に名刺は持って行けない。冥途の門番が「役職を見せなさい」と言うこともないだろう。問われるのはただ一つ、「あなたは誰を救いましたか」「誰の涙を受け止めましたか」ということではないか。


肩書きの重さよりも、合掌の温かさに気付いてほしい。焼香の順番よりも、手を合わせる心の深さに目を向けてほしい。


その住職が、いつか名刺の裏を白紙にしてもなお輝く僧侶になられることを、私は静かに願っている。