酒を飲んでいた最終盤。
酒をやめようにも間に合わないと思っていた頃、
精神科病院に行くのを決めた日。
今日もなんだか訳が判らない内に寿司屋は閉店した。
朝に仕入れた3、40人前分のネタは寿司にした。
したのだが、余り覚えていない。
身体が限界を超えて、起きた事が記憶に蓄積されない。
残った食材を冷蔵庫にしまい、柳葉包丁も洗ってしまった。20kgはある大きなまな板をテーブルから下ろしデッキブラシでゴシゴシと洗った。
妻は店の上の住まいに消えた。
私は店に1人になった。
店の明かりを殆ど消して、厨房で湯呑みに日本酒を注いで飲んだ。
嘔吐して戻さないようにゆっくり飲んだ。
酒を飲んでた最後の頃、私は住まいでなく寿司屋のカウンターで寝ていた。
住まいにいても家族の邪魔になるからこっちの方が良いと思った。
日本酒は何とか飲み干したから、今度は焼酎にした。ストレートでは何かと困るから、水で一対一にして割った。
寿司屋のカウンターでジャンパーを着て足には毛布を掛けた。寒さもあっただろうが全身が震えた。
ずっと1人だった。
私はもうこれ以上生きるのは無理だと思っていた。酒で死のうとここまで飲んだが、本当になるのかと複雑でもあった。
夜中の2:00。階段から降りる音がしてきた。「妻だ」と思った。私は寝返りをして妻が来る反対を向いた。
「お父さん」
妻の声は心配をしている声だった。
「何。」と返事をした。
妻「私と精神科に行こう。」
私「店は」
妻「店はやめればいい。」
私「、、、」
私「入院になるよ」
妻「お父さんの身体を治そう」
妻の声は決意と優しさの声だった。
私はそこまで心を固めて話してくれた妻の前で泣いた。
、、ずっと病院が嫌だった。
若い頃から休肝日をつくらず好きなだけ飲んでいたから、医者に「酒をやめろ」と言われるのが怖かった。
自分の人生なんだから「せめて死に方くらい選ばせてくれ」そう思って飲みつづけた。
毎日浴びる様に飲んでいたら、本当に限界がきて身体と精神が壊れてしまった。
そんな勝手な私を側でずっと見ていた妻が「精神科に行こう」と言っている。
「酒をやめれるのか?」とそれまで思った事ない事を思った。
好き勝手に飲んだ自分が酒をやめていいのか、恥ずかしい気持ちにもなった。
次の日は寿司屋の営業日だった。
しかし予約がなかったから休業にした。
私は助手席に乗り、妻に運転をしてもらった。
後で聞いたが、妻はこの日の通院のために寿司屋に入る予約を断っていた。
あらかじめ私が病院に行きそうな日に、精神科の予約をしていたそうだ。
私は、連続飲酒というアルコール依存症者の特徴的な飲み方を4年続けた。
誰の言う事も聞けずに1人で飲み続けた。
今ならアルコールという薬物に「乗っ取られていただけ」と分かるのに、当時は何も知らなかった。
そんな私を妻は精神科病院に繋げてくれた。
アルコール依存症者は薬物中毒者となんら変わりない。
というと薬物依存症者に対して失礼で、アルコール依存症者は自分を依存症者と認められないから余計に悪い。
自分を認められない依存症者が「病院に行く」と気持ちを決める時というのは千載一遇。
動機がMAXになっている。
末期のアルコール依存症者がその期を逸するとその後はない。
家族は依存症者を力強く『精神科病院』に繋げなければいけない。それまでのDVや暴言で家族は傷ついた。そうなのだが、あと一歩。
近所の内科や入院施設の無い「心のクリニック」ではなく、専門治療のある精神科病院。
長年待って、やっとその時が来たのだから。
私は妻の力強い意思のこもった言葉に
命を助けてもらった。