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危機の時代を生きる〉38億年の間、変化に対応し、存続してきた生命の力信じて JT生命誌研究館名誉館長 中村桂子さん2021年2月5日

 生命の誕生は、38億年前にさかのぼる。そこから連綿と続く生物の歩みをひもときながら、人間本来の尊さと生き方を研究するのが、科学者でJT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんだ。コロナ禍に、何を感じているかを聞いた。(聞き手=志村清志、村上進)

想定外への弱さ

 ――科学者として、生命の歴史を探究してこられた視点から、新型コロナの感染拡大をどう見ていますか。
  
 コロナ禍は、社会にさまざまな混乱をもたらしていますが、現代の人間が「変化」に対してすごく脆弱であることが浮き彫りになったと思います。
  
 そもそも生きものを含めて自然は、思いがけないことの連続のはずなのに、私たち人間には、それらをコントロールできるという慢心が、どこかで生まれていたのではないでしょうか。
  
 それは社会が、「人間は生きものであり、自然の一部である」という当たり前の感覚を、失ってしまったということでもあります。
  
 ここで、生きものとは何かを考えてみます。私の尊敬する生物学者のフランソワ・ジャコブ博士は、その特徴として一番に、「予測不可能であること」を挙げていました。さらに、「ブリコラージュ」――フランス語で有り合わせのものを組み合わせるという意味ですが、生きものもそういう存在なのだよ、とも。
  
 この考え方に立つということは、“思いがけないこと”“想定外のこと”が起きるのは、当たり前だと思って生きることです。感染症の流行も、予測はできなかったとしても、決してあり得ないことではないわけです。
  
 本来、自然の一部である人間は、そうした変化を受け止め、柔軟に対応する力を持っているのですが、近代以降、人間社会は利便性・効率性ばかりを追求し、手のかかるもの、制御できないものを遠ざけてきました。
  
 そして、科学技術によって原子力などの莫大なエネルギーを生み出し、まるで世界全体が、機械のようにスイッチ一つで動かしたり、止めたりできるような錯覚を抱くようになりました。そうして、変化に弱い社会になったわけです。
  
 私は、面倒な部分や手のかかる部分も含んでいるところに、生きものとしての良さがあると思っています。
  
 例えば、ロボットと人間の赤ちゃんを比べてみると、ロボットは、人間の命令通りに行動するのが前提です。手がかかるというのは、機械の世界ではマイナスです。
  

 一方で、赤ちゃんは、親の言うことを聞かなかったり、急に泣いたり、思いがけないことの連続です。すごく手がかかる存在ですが、そこに人間は、いとおしさや生きがいを抱くわけです。誰かに言われたからではなく、面倒なことを自ら引き受けて、人間が持つ本源的なエネルギーで大切に育てていきたいと思いますよね。
  
 何でも手がかからないようにするのではなく、“大変だけど楽しいな”と感じられる、そのこと自体が「生きている」ということなのだと思います。コロナ禍の今、そうした感覚を取り戻すことが大切であると実感しています。
  
 ――機械論的世界観から、生命論的世界観への転換を訴えてこられました。
  
 AI(人工知能)は、過去の事例を分析して、最適解を導き出すには有効です。しかし未知の事態に対して、答えを出す点では完全ではありません。
 そういった意味からも、人間の科学に対する盲信、いわば「機械論的世界観」の広まりが、社会における柔軟性を失わせてしまったと考えています。
  
 一方で、コロナ禍にあって、医療や運輸・物流、小売業などに従事するエッセンシャルワーカーの重要性が、再認識されました。デジタル技術が進んできたとしても、私たちの社会を根底で支えているのは、機械ではなく人間なのだということに、私たちは改めて気付きました。
  
 もう一度、「生きものであり、自然の一部である」という視点を基盤とした健全な社会をつくることが大切です。それを私は、「生命論的世界観」の確立として提唱してきました。
  
  

問い掛けの欠落

 ――「JT生命誌研究館」の設立(1993年)を構想し、長年、館長も務められました。改めて、「生命誌」とはどのような研究ですか。
  
 多くの生命は、一つの受精卵から始まり、それが細胞分裂を繰り返して、身体を形づくることで存在しています。
  
 生物の細胞には、その生物に関する全情報が書き込まれたゲノム(注1)が含まれ、そのゲノムは両親から受け継がれています。両親のゲノムもまた、それぞれの両親から受け継がれています。
  
 そうして、ゲノムの情報を2代、3代……とたどると、やがて生命の起源である38億年前にさかのぼります。
  
 つまり、地球上のあらゆる生物は、38億年前に生まれた細胞を共通の祖先としています。私たち人間の体にも、38億年に及ぶ生きものの歴史が詰まっているのですね。
  
 「生命誌」は、生物の構造や機能の研究に加え、祖先細胞が進化し、多様化する過程を知ることで、生物の本質を探究しようとする取り組みです。
  
 JT生命誌研究館に展示されている「生命誌絵巻」(写真)は、生命の共通性と多様性を表現しています。扇の“要”には祖先細胞、扇の“天”には38億年を経て多様な進化を遂げた生物たちが、描かれています。
  
 地球上の生物は、今では姿・形がバラバラですが、実は全てが同じ祖先を持つ仲間です。人間とは全く違うと思える生物にも、共通性を見いだすことができます。
  

JT生命誌研究館(大阪府高槻市)に展示されている「生命誌絵巻」。地球上の全ての生物が38億年の歴史を持ち、相互に関係し合うことを示している(協力:団まりな、画:橋本律子、写真提供=JT生命誌研究館)

JT生命誌研究館(大阪府高槻市)に展示されている「生命誌絵巻」。地球上の全ての生物が38億年の歴史を持ち、相互に関係し合うことを示している(協力:団まりな、画:橋本律子、写真提供=JT生命誌研究館)

 例えば、チョウは種類によって卵を産み付ける植物が決まっています。どのように見分けるかというと、チョウの脚の先端にある「化学感覚毛」と呼ばれる部位で、葉の種類を識別します。この化学感覚毛の細胞と、人間の舌にあって、味覚を感知する「味蕾」という器官の細胞は、興味深いことに、全く同じ構造をしているのです。
  
 人間が、他の生きものとつながった「自然の一部」であることが分かります。
  
 ――「生命誌絵巻」の左上には、人間も描かれています。
  
 人間も、生物の多様性の中に含まれる一部ですから。地球という有限性を持った環境のもと、他の生物と共存しながら生き続けてきたのです。
  
 ここで強調したいのは、生物が、38億年という長大な間、生きながらえてきたという事実です。さまざまな環境の変化に対応し、姿・形を多様化させながら、生命を絶やすことなく存続させてきました。このことに、私たちは自信を持って胸を張っていいと思うのです。
  
 生命論的世界観は、そうした「続くことの大切さ」を重んじます。一方で、機械論的世界観が追求するのは利便性です。
 地球が存続し、人類が生き続けていくためにどうすればいいかを考え、そのために必要な科学技術を考え出すのが、本来の順序のはず。しかし近代は、継続性を二の次にして、目先の経済成長や技術革新を何よりも優先してきました。
  
 その結果、環境破壊をはじめ、多くの生物を絶滅の危機に追いやる問題が山積する社会になりました。その底流では、「どう生きるか」という根本の問い掛けが、抜け落ちてきたわけです。
  
 そうした人類の営みを見ていると、まるで人間が扇の“外”にいて、自然や他の生物を支配しているような錯覚に陥っている気がしてなりません。
  
 その違和感を私が初めて抱いたのが、56年に水俣病(注2)が確認された時です。海中に有機水銀を流せば、プランクトンから魚へ、魚から人間へと濃縮していくのは、当然の帰結です。しかし人間は、海中の生きものにまで思いが至らず、「ただの水」に汚染物質を流しても希釈されると思ったところが、重大な誤りでした。
  
 自分たちが生物の関わりの中に生きていることを忘れ、利潤のみを追い求めようとする人類の営みが、悲劇の結果につながった象徴的な例と言えます。
  
  

機械論から生命論へ――。
今を大切に生きる中に「希望」が

 ――自然界の中にあっては、人間だけが“特別な存在”ではないことを、コロナ禍が教えています。
  
 機械というのは「均一であること」が重視されますが、生きものは、「どれだけ多様であるか」が大切です。多様であったことが、38億年の存続を可能にしたと言えるのです。
  
 多様性こそが本来の生きもののありようであり、何より尊重されるべき価値であるという点は、人間と他の生物、自分と他人という関係性についても、言えることです。互いに違うからこそ、決して均一ではない、豊かな関係性が生まれていくと思うのです。
  
 そう考えると、生きものの世界には本来、区別はあっても、差別はない。アリとライオンを比較して、どちらが優れているかを決めることに、何の意味もないわけです。
  
 同じことは、人間にも言えるはずです。それなのに成長一辺倒の競争の中で格差が生まれ、置き去りにされた人が、救われない社会になってしまいました。人間に優劣がつけられ、差別がはびこる世の中になりました。コロナ禍で、それがさらに顕在化したことを、私はとても憂慮しています。
  
 私の好きな人類進化の学説に「人間が二足歩行を始めた理由は“弱い”から」といったものがあります。人間の祖先は、動物の中では弱いから、森の端に追いやられてしまう。彼らは、家族のために、遠くまで食料を探し、持ち運ぶ必要があったため、二足歩行が始まったという説です。弱いけれど、思いやりがあったから、今まで生きてこられたと思うのですね。
  
 人間は、理性だけではなく、「情感」を持っています。この情感は、つながり合うことで育まれ、引き出されます。相手のことを考えて行動したり、時には我慢したりするなどの、思いやりとなって表れます。
  
 今、私たちが毎日、実践する手洗いやマスクの着用も、自分の命を守ると同時に、感染の広がりを抑えて他の人の命を守るという意味では、非常に思いやりにあふれた行為と言えます。理性と情感をもって生きることは、コロナ禍でますます大切になるのではないでしょうか。
  
 ――「生きものであり、自然の一部である」との価値観を、社会の根底に根付かせ、生き方の中心に据えていくためには、何が必要でしょうか。
  
 生物にとっては、眠ったり、食べたり、家族や友人と話したりといった「日常」が最も重要です。日常の中で、「自分は生きものである」という感覚を見いだし、そこを切り口にして、より良い生き方を模索することが大切だと思います。
  
 難しく考えると行き詰まってしまいますが、要は、“今日も生きていて、楽しかったな”という実感です。とてもシンプルなことだと思いませんか。
 私自身、この1年で、テレワークが多くなり、久しぶりに料理する時間や、家族と一緒に過ごす時間が増えました。すると、何げない日々の生活が楽しく、とても健康的に過ごせました。
  
 地位や名誉、経済的な豊かさを手に入れたとしても、生活に楽しみを見いだせず、心身の健康を損なってしまっては、元も子もありません。充実した日常が、どれほど人間の「生きる力」を育んでくれるのかを、改めて感じます。
  

想像力こそ

 「想像力」は、他の動物にはない、人間特有の能力であることが分かってきました。目に見えないものを思い描く想像力があるからこそ、私たちは、遠くにいる仲間を思い、未来に希望を抱くことができます。
  
 コロナ禍の影響で、漠然とした不安を感じている人は少なくないでしょう。今までの社会が目に見える豊かさばかりを追い求めていたため、私たちの想像力も“近視眼的”になっているからだと思います。
  
 これを機に、目に見えないものや、より遠い未来にまで思いをはせる想像力を生かさなければいけないと感じます。その第一歩であり、何より重要なのが、毎日の生活での喜びや充実感を見つけることです。今を大切に生きる中でしか、未来を生きる希望をつむぎ出すことはできませんから。
  
 これからを生きる若者の皆さんは、「自分が今後、どういう社会で生きたいのか」ということを真剣に考えてほしいと思います。皆さんの思索の積み重ねが、より良き社会をつくり出すための財産になると確信しています。
  

  
(注1)ゲノム:ある生物を規定する遺伝情報の全体。遺伝子を構成するDNA(デオキシリボ核酸)、またはRNA(リボ核酸)の塩基配列で記述されている。
  
(注2)水俣病:有機水銀による中毒症。熊本県水俣市で、1956年に公式確認された。中枢神経が侵され、手足のしびれ、言語障害、目や耳の機能喪失を起こし、重症になると死亡することもある。
  

【プロフィル】なかむら・けいこ 東京都出身。理学博士。東京大学理学部卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任した後、JT生命誌研究館の館長を務めた。2020年3月に退任し、現在は名誉館長に。『生命誌とは何か』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』など著書多数