8月5日、僕はシンガーソングライターになりたい、という生涯で最後の夢を実現した。
僕が、意識的になりたかった職業は、(1)教師(これは20年間英語塾の塾頭をやったので気が済んだ)、(2)新聞記者(今でも現役で30年近くやっている)、(3)小説家(一昨年、小説「さては南京玉すだれ」を文芸社から発刊した)。
残っているのは、18、19歳のころからの夢であるシンガーソングライターだけになった。19歳の学生のころ、田舎からの仕送りが毎月4万円なのに、神田神保町の楽器屋でフォークギター「S yairi」を買った。
当時は安価なチューナーが無く、ギターのチューニングは友人に頼んだ。恐れを知らなかった僕は、東京の情報誌「ぴあ」に乗っていたライブハウス「横浜放送局」に、買ったばかりのギターを、重いハードケースに入れて目指した。
最初、NHKの横浜放送局に行ったが、ここではない、と言われ、ほぼ初めてだった横浜の繁華街を歩き回り、やっとのことでライブハウス「横浜放送局」にたどり着いた。ライブハウスに入ると、一方が小さなステージ、もう一方の端がマスターのいるカウンターで、その間に客席があった、ように記憶している。
順番が来たので、中島みゆきの「時代」とそのほか1曲を力いっぱい熱唱した。演奏が終わって、マスターのところに行き「僕の演奏はどうでしたか」と臆面もなく聞くと「度胸だけはほめてあげる」と言われた。
買いたてのギターの弦はすぐに伸びる。自分で調弦もできないど素人が、ギターの弦が伸びて音程があっていないギターを片手に歌ったのだから、それはそうだろう。
月日がたち、山口県へUターンし、地元の商工会に入り、「大畠町ふるさとソングコンテスト」なるものを企画したことから、自分も「Come on together Oobatake」を作って応募したら、準グランプリに輝いた。
そして、今年の春、沖縄三線のグループと周東町の丸田村という場所で、バーベキューをやったのが、きっかけで、またも長年眠っていたシンガーソングライター熱が復活したのだ。しかも、今回の楽器はフォークギターではなく、ウクレレであった。
8月5日までにオリジナル曲を3曲新たに作り、これまで作っていた曲を合わせて、デビューすることにした。最初に、金魚ちょうちんをモチーフにした「風にゆらゆら」。そして「黄色い魔法のサングラス」、「百千万億那由侘の恋」、「Come on together Oh!
yanai」、「決してよそ見をしない奴」の5曲を歌うことができた。
最初の「風にゆらゆら」を歌っていると、急に雨が降るアクシデントもあったが、なんとか最後まで歌い切った。これらの曲は、コンピューター音楽で伴奏を作ってもらい、僕が歌ったCDを出す予定にしている。
ちなみに「大道芸人」、「市議会議員」、「陶芸家」などは、まったく夢にも見たことのない才能でありました。