北村さんがある時、700kg以上のレッグプレスを終えダンベルやプレートをかたずけている時、ビックリする事を目撃した。
20kgプレートを6枚(120kg)まとめて外し抱えている。
そのまましゃがみ、レッグプレス台に取り付けてあるプレートホルダーへ戻していた。
!!「北村さん!物凄いですね!」
そう僕が叫ぶと、怒られたと勘違いした北村さんは
「いや~ごめんなさいね、おおちゃくで」
!!余りのリアクションの違いに心の中で
「違う!そう言う事を言ってるんぢゃない!!」
と一人でつっこんでました。
そのマッスル北村こと、北村克己さんが2000年8月3日に魂の故郷へ帰られてから、もうすぐ9年になる。
僕がGOLD'S GYMノース東京(大塚)の支配人から、パーソナルトレーナーとして独立したのも2000年だ。
当時、大塚の支配人からアルバイト契約として行徳へ移動する事が決まり、その後パーソナルトレーナーとして独立する予定もあった。
大塚へ通っていた北村さんは
「独立する際は何でも言ってよ。ポージングでも何でも僕に出来る事は何でもするから!」、
「住所教えて。手紙書くから。」
と言って下さり後日、サイン入りの写真6枚と共にお手数を送って下さった。
その数ヵ月後、HFJというフィットネス業界のイベントで、日本のGOLD'S GYMの母体(株)THINK(当時)のブースにて一日中デモでトレーニングをされていた。
久し振りに見る北村さんは、数ヵ月前よりかなりビルドアップされシェイプもされていて、迫力満点。
良い意味で「見慣れない方だなあ」と感心した。
「何セット位やるのですか?」と訊ねると
「数種類しか無いから、各々100セットずつ位ね。」
とビックリする事を仰っていた。
それからまた数ヵ月後7月のある日、チーフトレーナーとして行徳で働いていた僕にGOLD'S GYMの手塚社長からお電話があり、
「大長君、来月から月曜と木曜(だったと思う?)の週2回大塚に入ってテコ入れしてくれ。」
とご指示を受けまた大塚で働く事となった。
その8月、一生忘れる事のできない運命の「2日間」が待っていた。
その2日間とは、3日と24日。
どちらも僕が入っていた木曜日だった。
続きはまた。