CDが売れないって、そもそも冷静に考えたらCDなんて売れないだろって思います。
今まで売れてたのがめちゃくちゃ息の長い流行りだっただけで。
CDがない時代にも音楽はあったし、その頃のアーティストがどうやって暮らしてたか、それを参考にすればCDが売れないことで危機感覚えて慌てる必要もない。
もちろんアーティストだけの話ですけど。
CDを制作して販売することでご飯食べてる人達もいるし、CDジャケットデザインでご飯食べてる人達、プロモーションビデオ撮ってご飯食べてる人達もいるけど、そういう寄生ビジネスが流行り廃りあるのはそれを生業にしてた人達ならよくわかってるはずで。
じゃ廃れないのは何か、人です。
人と会って話をする、人と会って遊ぶ、大勢の人と集まって祝う、その中の一つとして音楽鳴らせる人達に会いにいくがある。
ライブは絶対に廃れない。
みんな死に物狂いでチケットをとる。
人っていう根源的な商品がそこにあるから。
みんなで盛り上がって一体感を得るって、動物的な活動だからその欲求が失くなることは絶対にないし、動物より人間のほうがその想いは強いんじゃないかと思います。

演劇やってる人達が、やばいよやばいよーDVD全然売れないよーとは言わないんですよ。最初からあてにしてないから。
だって人と人とが集まって演劇を感じたほうが凄いの知ってるから。

TVだって見たい番組があって生放送ですって状況だったら、選択肢としてまずスタジオで見たい。
演者さんが楽しんでるのを感じたいから、大勢の観覧者と一体感を得たいから。
それは友達何人かと集まってポテチ食べながら…オーザックでもいいですけど…ピザポテトでもいいですけど…さつまチップスがあったらそれのほうがいいですけど、とにかく一緒にTV見るより絶対楽しいんです。

CDの売り上げでそのアーティストの価値は決まらないってことです。
どうでもいいでしょCDがどうたらこうたら。だって結局売れてるCDだって、あれみんな人に直接会える券を買ってるわけで。
楽曲にプライド持ちすぎてCDの売り上げばっかり気にするのはほんとにもったいない。
本来ライブのとんでもないパワーだけで音楽って最高なんだから、ドンと構えて現場主義、ドンと構えて現場主義大統領でいいと思います。
ドンと構えて現場主義大統領は意味わかんないですけど。ほんとそう思います。
自分は天地と一つっていう考え方がある。
自分は宇宙の一部であると同時に宇宙の全てが自分という感覚。
雄大な景色を見た時とか夜空の星を眺めてる時に感じるあのなんか自分はちっぽけなんだけど無限でもあるみたいな感覚。
人も物も自然も空気も全部が自分。
物も自分と考えると家に帰ってきて思いっきりリュックを床に投げつけたり、ドアを無駄に音たてて乱暴に閉めたりできないと思うんです。
全部が全部、自分自身を傷つけてる行為だと思うんです。造ってくれた人のことを考えたらそんなことできないっていうのもあるけど、物を大切にするってきっとそういうこと。
宇宙の全てが自分…もっと言うと造ってくれた人も自分だと考えると、物を乱暴に扱ったら自分を悲しませることになる。
自分を自分で悲しくさせたい人なんていないです。
ちゃんとできない自分にめちゃくちゃ腹を立てることもあるけど、どんなに自分に腹を立てても自分を殺す人はいないです。
自分にめちゃくちゃ腹が立ったら、もうこんな思いはしたくない!って努力するじゃないですか。もっと良くなりたいって頑張れるじゃないですか。
それと一緒で腹立つこと言ってきた人もそれは自分なんです、腹立つからって殺すなよ。
だから僕は戦争ってみんな自分で自分を殺してるのと一緒なんだと思います。
自分に銃向けて撃つ人なんていないんだよ。
自分を大事にするのと同じように他の全ての人に対して接すれば、戦争って発想にはならないと思うんです。
太ったらダイエットしようと思うし、爪が伸びたら切ってケアしようと思うし。
戦争は太ったから自殺するとか爪が伸びたから自殺するとかと一緒です。
宗教を一つにすればいいとは言わないけど、宗教間でどうしても納得いかない考え方があってもダイエットするなり切ってケアするなりやれることはあるはず。
そこを飛び越えて自分見限って自殺って、どうしたらそんなことになるんですか。

戦争はアレルギー反応みたいなもんで、自分達の宗教を守ろうとする気持ちが過剰なことによって逆に自分達を傷つけてるんです。抱きしめすぎて神様が息できない状態です。
そんな状態じゃ正しい行いに導いてくれる神様も力を発揮できない。
みんな自分に優しくできることを思い出してほしい、自分とは宇宙の全てです、全てが優しい。
そうすれば過剰に守る必要なんかないってわかるし、そもそも守る必要なんてない、自分を攻撃する存在なんてないんだから。
あれ?これなんで争ってるんだっけ?ってことです。
カンボジアに一週間程行ってたお母さんが帰ってきた。
開口一番、すごい良い旅だったけど後悔が一つあると。
最終日の空港で一週間お世話をしてくれたガイドさんにチップを渡すか渡さないかを、一緒に旅をした友人と話したらしい。
友人は渡さなくていいんじゃない派…
お母さんは友人がそう言うなら渡さなくてもいいか派…
完全に渡さないことに決まったけど、お母さんはガイドさんが荷物を並べてくれている時に手を握って握手するフリをしてこっそり渡したらしい。
1ドル札を渡したらしい。
で、その1ドル札っていうのに後悔していると。
カンボジアのガイドさんは月収が120ドル前後らしく、それを思うとポケットに入ってたお金を全部渡せば良かった。
10ドル札を何枚かそのまま持って帰ってくるくらいなら有り金全部そのガイドさんに渡して帰ってくれば良かった。
…いや全然1ドルでいいでしょと僕は思いました。
月収120ドルで1ドルって、日本で月収20万に対しての2000円くらいの感覚だとしてチップとしては充分だと思いました。
ポケットに入っていた50ドルを全部渡していたらそのガイドさんはこの一月で人が変わっていたと思いました。
1ドル札であったことによってそのガイドさんは救われたんだ!くらいまでは簡単に思いました。
ガイドさんは人生最大の危機を乗り越えたんだ!くらいまでは鼻ほじりながらでも簡単に思いました。
でもそのガイドさんがどんな人だったかを聞いて僕は込み上げてきました。
まず女の子でした。23歳。一生懸命日本語を学んでやっとガイドさんになれたこと。それでも一日や一ヶ月、一年の単位がよくわかってないみたいで、「明日の一年であそこを案内します」と時間の感覚が精神と時の部屋の住人みたいなこと。
ちゃんとした日本語を教える人もいない。
148cmで38kg。そんな小さな身体で重い荷物を必死に運んでくれたこと。
僕は込み上げてきて、一度も見たことないその子に、その子の為ならなんでもしたいと思いました。
1ドル札をこっそり受け取ったその子は、ぎゅっとお母さんの手を握りしめて、汗を流しながら驚きと申し訳なさと嬉しさが混じった笑顔をしてたみたいです。
見てないけど、そんな笑顔されたらきっと有り金全部渡したくらいじゃまだ足りないって思うと思います。
お母さんの後悔を理解しました。
お金は使いようって言うけど、心が綺麗な本当のお金持ちは募金とか寄付に力を入れるってそういうことなんだ。
人の為にお金を使うってどれだけ素晴らしいことか。
そんなことを心に刻んだ直後、僕はふと我に返り、自分だけの為に我を全面に押し出したロト7を買いに行くのでした。