松浦史料博物館から街並みを眺めて。

わりと高台にあるのだ。(かなり、か?)


立派な門構え。

平戸藩主の邸宅を博物館にしています。



高さはあまりありませんが広さが凄い❗️



平戸藩主松浦氏は鎌倉時代からと。

1893年の私邸を基にしているとな。

(日清戦争前だ)



横に美しい佇まいの茶室があるのだけど、

この日はお休みでした。



玄関から入ってすぐの肖像画。



徳川綱吉に重用された松浦氏のものだそう。



こちらの絵はですね。



徳川斉昭が松浦氏らを招いた絵だと。

(自慢かな?)



この人物は鄭成功。

台湾から東インド会社を追い払った英雄だと。

歌舞伎や人形浄瑠璃の演目である、

「国性爺合戦」のモデルになった人物。

近松門左衛門作品ですね。


彼はここ平戸で生まれている。

生家を再建した記念館もあるそうだけど立ち寄る時間が足りない。



徳川家康朱印状。

松浦家が関ヶ原の戦いで西軍に加担しなかったことを褒めているそうな。



後醍醐天皇が足利尊氏を討伐するよう出した綸旨。

これはあちらこちらに出したはず。

色んな時代の資料がありますね。


さて本題はここから。



1683年の切支丹統制の高札。

司祭を密告すれば銀500枚を与えると。


下の書はバテレン追放令。

映画「沈黙」でも密告は描かれます。

(貧しい農民は銀500枚はとても欲しいだろう)



こちらに大きくしてみます。

秀吉が出したもの。

この時代は後の時代ほど厳しいものではなかったはず。



シーボルト「日本」から踏み絵の図。



「江戸時代、平戸藩は長崎奉行所から真鍮製踏絵を借り受けて、踏絵を行っていた」


それを平戸藩御用絵師が描いたもの。



細密で大きな絵ですが実は凄惨なものです。



「1622年、長崎の西坂で55人のキリスト教徒と宣教師が火刑と斬首で処刑された」


見ていた修道士がスケッチし、マカオで完成させた油絵がローマに送られたと言われる。


殉教する人々の中には女性や子どもも描かれている。


複製で原本はイタリアの教会にある。




✳️悲しい歴史だが敢えて言えば侵略の前に布教は行われた。

つまり宣教師が全く心から善意で行った布教だとしても、それは植民地化の地ならしとなった歴史はある。


(Disney➕配信の「将軍」も第8話まで観たところだが謀略が渦巻く宣教師たちも描かれている)


徳川幕府はそれを知っていてキリスト教を弾圧したのではないだろうか。

だからポルトガルは追放し、貿易だけを求めるオランダとの貿易は限定的ながら続けた。

おそらく注意深く。


一向宗との闘いを見ても、宗教と権力の闘いは妥協を許さない。皆殺しの様な凄まじいものとなる。


(もちろん現在は政治と宗教は憲法で切り離されている。結びつくとどれだけ危険かは歴史が教えてくれている。

だからこそ統一教会と政治家の結託は許されないのだ。それは必ず腐敗を招く)


さてと。



民間伝承の記録が江戸時代にあるとは興味深い。



たくさん美しい作品が並んでいるが、

一番綺麗だと思った細工を写してみました。


「銀線香器 楓」

ポルトガルから学んだ技法の様です。



この美しい屏風は。



源氏物語を主題にしてます。

江戸時代としか書かれてないのでいつのかはわからないけど。



おっと!

平戸キリシタン年表があった。


ザビエルの布教。


様々な事件。


ルイス・フロイスが平戸に天主堂を作る。


秀吉の追放令により宣教師たちは九州潜伏を決定。


強まるキリシタン弾圧と処刑。


江戸幕府のキリシタン禁教令。


処刑の数々。


そして島原の乱。 


ポルトガル船来航禁止。


宗門改奉行設置。踏絵開始。


潜伏の時代が始まる…



なぜか福岡博物館で観た蒙古襲来絵詞の模写絵がある。



江戸時代に創られた船模型。



そしてこの絵に驚いた❗️



現地で見てきた「小牧長久手・長篠合戦図屏風」である。

なんでそんなものが平戸にある❗️


犬山城主関連から精緻に模写したものだと。

なんで松浦家が所蔵したがったかなあ❓



もう一つもあった。



馬防柵が描かれてます。

はてはて。


松浦家は収集癖があったのかもなあ。


さて。

お姉さんにお礼を言って史料館を出まして。



平戸ザビエル教会を⛪️目指す。