志津川発電所跡/天ケ瀬ダムを訪ねる Vol.3 そうだったのか…
神秘的天文ショー、金環日食も終わった。通勤の途中の道端で、少々間抜けな格好のメガネをかけて観測したが、地球から月、太陽までの距離、それぞれの直径と比率が絶妙なバランスで構成されていることであんな神秘的な食が見られるのだな。太陽系創成期に今の位置に地球ができたこと、原始地球に小惑星がぶつかり宇宙に飛び出した破片が再び集まって月になったこと…そこから始まってる壮大な奇跡やなあ。もちろん一番重要なことは、それを目の当たりにできる人間という生物が地球上に生まれたことやけどね。
前振りは終えて、記事は宇宙や地球の話とは全く関係なく、まだGW中の前回の続き、志津川発電所遺構を実地調査したあとに訪ねた天ヶ瀬ダムのことある、そうのことね。
旧志津川発電所のすぐ上流に天ヶ瀬ダムがそびえ立つ
度重なる宇治川や下流の淀川の洪水災害を治めるために、治水を中心に発電・上水道など多目的な用途として、淀川水系唯一のダムとして昭和38年に竣工なった天ヶ瀬ダム。京都の小学生なら一度は遠足や社会見学でここを訪れたのではないだろうか。僕もこれで何回目か覚えていないが、前回訪問からは15年ほど経ってしまった。その間に天ヶ瀬ダムは本来のダム機能、発電機能とは全く違う重大な問題を抱えてしまっていた…
上の写真では、志津川発電所跡から直線距離ではすぐのように見えるが、実際は右岸の山肌をじぐざく登っていかねばならず、結構時間がかかった。以前は車での訪問ばかりで徒歩は初めてだから仕方ない。
巨大な天ヶ瀬ダム、ダムはアーチ式が最も美しいな
堰堤のたもとまで来ると、前と大きく異なる点が…そこには係員のいる詰め所があり、そこで住所、氏名、訪問人数を書き込まされて、堰堤上へ行くのを許可されるのだ。しかも以前と異なり17:00以降は立ち入り禁止とのこと…何なんだろうなと思いつつ、堰堤へ。
堰堤上から、下流を臨む
先ほど訪ねた旧志津川発電所の建物が見える
堰堤の上の手すりには、等間隔で、淀川・宇治川の洪水の歴史や、ダム建設の経緯、工事と竣工まで、ダムの機能や仕様、能力について説明用の小さなパネルが取り付けられている。パネルを読み、時折上流や下流、山々の風景に目をやりながら、ゆっくりと対岸へ。
上流側のダム湖、「鳳凰湖」と名づけられている
右岸は湖~川に沿って滋賀の瀬田までの道「宇治川ライン」が通じる
対岸の公園に着いて、腰を下ろして一服。ふと腕を見ると一匹の尺取虫が這いまわっていた。木々の下を通っているとき、たくさんの尺取虫が糸でぶら下がっているのを見たが、どこかで引っ掛けてしまったんだろう。しばらく動きを観察したあと近くの木に戻して、再び元び右岸へ戻っていく(尺取り虫の写真を見たい人は最下段へどうぞ-笑-)。
で、見てしまいました、「いのちの電話」貼紙があるのを。それでわかった、入り口の詰め所で住所・氏名・訪問人数を書かされた理由が。帰って調べたら天ヶ瀬ダムはいつしか投身自殺の名所になっていたのであった…特に2008年には7月~10月の間に7名の方が自ら命を絶たれるという事態になり、その年の12月からついに立ち入り禁止措置が講じられたようだ。堰堤から直下の減勢工内側の水面まで73m、その高さから落ちると水面はコンクリートの硬さレベルになることは間違いない…
左岸から見た天ヶ瀬ダム
その後、様々な防止策が議論され、講じられて、2年前にリニューアルオープンとして再び堰堤上を人が通れるようになったらしい。堤上に説明パネルがたくさん付いているのも、一般の観光客がそこで足を留めることによって、自殺志願者に「人がいるのでここでは死ねない」と思わせる一つの策らしい。
幼稚園か小学生の頃に初めて訪れて、僕をダムファンにさせてくれた愛着ある天ヶ瀬ダム(いや、琵琶湖疏水の堰を見たときからかな、定かではないな)だが、僕がワクワクした気分で堤長から下を見ていたのとは全く違う気持ちで同じ風景を見ていた人がいたのだな。少し湿った気分になりダムを後にして、宇治駅まで降りて行った。
その分、この後に醍醐の実家に帰りってから、盛大に呑みましたわ。
ダムのすぐ近くにあったドライブインは閉鎖されていた
かつては必ずアイスやジュース、トイレ休憩などで寄っていたのだが…
さて、載せておこう。僕の腕を這い回るシャクガの幼虫(詳しい種類が不明)の写真だ…ダムの堰堤上には木がないから、その前から僕の体を、長時間這いまわっていたんだろうな(笑)
こんな黒い色のシャクガの幼虫(尺取虫)はあまり見たことがない