平成前期の世間を騒がせたカルト教団・オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行されたは7月6日、そしてカルト教団を扱った漫画「絶望の楽園」の第一巻が書店の店頭に並んだのは3日後の7月9日(とはいえ、物流と西日本豪雨の関係で地元唐津では店頭に並ぶのが翌週になったのだが)。
・・・・・・こういうのを「共時性」というのだろうな。
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主人公の高校生は母親を亡くした空白を埋めようとバイトに学業に打ち込んだ。
その彼に近づいたのは八代京子という生徒会長を務める女子高生。しかし、彼女には裏の顔があった。
それは、世間では「カルト宗教」とみなされる「日照雨(そばえ)の会」という教団の幹部という顔。
彼女は”師父”と呼ばれる教祖に心酔し、その”師父”の血を引くと思っている主人公・芦谷透(あしや・とおる)をモノにしようと彼に近づき、ある夏の夜、仲間と一緒に彼を誘い出して突然地下に拉致してしまった。彼女にとっては、連れ戻したことになるのだが、透にとってそれは悪夢の始まりであった・・・・・・。
・・・・・・というのが大体のあらすじですが、主人公の場合は拉致されたのだから仕方がないにしろ、最初に送り込まれた地下の労働施設にいた人たちは、望んでこうした施設に行き、そして劣悪な環境にも関わらず、教団に感謝感激しているのです。どうして男女を問わず、こうした宗教にのめり込むのだろう?
「赤い宗教」といえる社会主義・共産主義の教祖であるカール・マルクスは「宗教はアヘン(麻薬の一種)だ」と言っていますが、私が考えるに洋の東西を問わず宗教というのは「個」と「集団」(というより「団体」)との「一体化」、つまり個人と集団との”セックス”(「終末のハーレム」風にいうと”メイティング”)ではないでしょうか。
男女が望んでセックスした場合、たいていの場合は歓喜に打ち震えますよね・・・・・・(幻滅することもあるのですが……)、それと同じで個人が望んで宗教団体に入り、様々な儀式(男女個人間に置き換えればセックス)に望んでいくうちに次第次第に歓喜に打ち震え・・・・・・、ついには男女の個人間においては
「彼(彼女)なしには生きられない体になる」
ところが、
「その(宗教)団体なしには生きられない体に」
なってしまうのではないでしょうか。
まぁ、この漫画の主人公である透は「教団に拉致される」という個人でいえば”強姦”された形になっていますから、余程のことがない限りのめり込むことはないかもしれませんが・・・・・・、ストックホルム症候群という言葉がありますし・・・・・・。