「一番大きな貧困は孤独」 世界で一番貧しい大統領 ホセ・ムヒカ氏の初来日講演 ←---クリック(こちらのリンクから転載(編集)させていただきましたm(_ _ )m

 

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「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれたホセ・ムヒカ氏

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ホセ・ムヒカ氏 ドン・キホーテが言っていました。「君が行った場所で見たことを、そこにいる人たちと同じようなことをすべきだ」と。これは何を意味するのでしょうか?これが意味することは、例えば、ここは今日本ですけれども、日本人には独自の文化があります。そして、その考え方、性格があります。日本人としてのあり方があります。また、特性というものを持っています。そういった特性に触れて、私は非常に強い感銘を受けました。ある意味で私は、私自身に言っていることです。私の友人にも言っていることですけれども、日本人はまるで東洋のドイツ人だと思いました。非常に秩序立てて物事を判断する、という印象を持ちました。これは非常に驚くべき文化だと思います。今回、私は非常に感謝しております。人生に感謝にしております。現在80歳になってから、日本に来るチャンスが得られたことを感謝しております。本当に感謝しています。この私の訪日を実現してくださったこと。そして、私が私の人生の後半に至って、この重要な、日本という国を知り得たことに感謝したいと思います。日本は私の国(ウルグアイ)とは本当に対局にある、反対側にある国であります。しかしながら、私は今回いろんなかたちで謎解きをしてみたいと思います。いろんなかたちで思考を巡らせてみたいと思います。とくに、若者の人たちというのはこれからの世界を担っていく方々です。そして、これから重要な時期を迎える方々であります。

「生きる」とは、奇跡であり、死に向かって歩むことでもある

今、いろんな価値観がありますけれども、もっとも重要な価値観は「生きている」ということ。なぜなら、生きていること自体が奇跡だからです。なぜ奇跡なのか? 無限の奇跡とも言えると思いますけれども、なぜならば、今これから生まれるであろうチャンスがいっぱいあるからです。そしてまた、宇宙全体を考えたときに、いろんなかたちでのチャンスがあるからです。そういうチャンスを与えられてること自体が奇跡だと私は思うのです。もし人生が本当に一番大切なものだとしたら、

 

 

私たちのまわりにある価値観というのは、人間を生物として、ある意味では考えなければいけない点もあります。すべての種と同じように、

 

○私たちは“種”として生きなければいけない。

 

さまざまな人間は意識があります。記憶も人間にはあります。情動感情もあります。思考もあります。文化を創り上げることもできます。文明を創ることもできます。そして、理性的に考えることもできます。抽象的に考えることもできます。

 

そして、それでも、私たちは文明の一部にすぎないのです。

 

自然は、私たちに対して特権を与えてくれました。おそらく「私たち自身のことを考えろ」という意味で、私たちにこういった特権を与えてくれたのだと思います。しかし、それぞれの生活というものを考えた場合にはどうでしょうか? おそらく、私たちが簡単に忘れてしまうものがあります。あるいは、忘れてしまっているように思えるものがあります。なぜならば、実際に生きるということ、それは基本的には死に向かって歩むことだからです。

人間は自分自身の人生の道を築くことができる

○人間の人生は他の生き物の一生とは違うものがあります

 

というのは、ある程度まで、私たちは何かを創ることができる。すなわち、自分自身の人生の道を築くことができるからであります。

 

なぜなら、私たちには意識があるからであります。そのほかの動物はどうでしょうか? このような可能性をほかの動物は持っていません。

 

私が考えるには、それは絶対的なものではありません。また、それはおそらく部分的なものかもしれません。しかし、いずれにしても、

 

私たちは存在の方向性というものを作ることができるのです。若いみなさま方、

 

2つの選択肢があるのです。

 

①1つは、「生まれたから生きる」ということです。いずれのほかの生き物すべてと同じように、であります。

 

②また、もう1つの選択肢というのは「そこから出発して、私たち自身の人生というものを方向づける」。そしてまた、それを自分自身で操縦していくということであります。すなわち、この奇跡のような生をうけたということの大義人間が行うべき大切な道義のこと)また、重要な意義のことのために生きるのであります。

 

しかし、そのことは私たち自身の意思にかかっていることなのです。私たちがいかにコミット(関係すること、参加すること)するかということに関わっているのです。すなわち、内部でどのような決断をするかということであります。

 

例えば、人生というものを気が向くままに生きるとすれば、例えば、私たちの歴史の中における市場、私たちはこの市場の中に生きています。

 

しかし、その中で、あなたは自分自身の人生というものを動かすことができるのです

 

どうしてこのようなことを私は言ったのでしょうか? なぜならば、人生についてコミットするということ。それは、私たちが多くの恩恵をうけているということを理解しているということであります。

 

文明という非常に素晴らしいもの。それからまた、世代に渡ってのものを受け継いでいく。そして、それによって可能になっていることが多くあります。

 

今日(こんにち)、生活を異様にしているさまざまなものがあるのです。しかしまた、非常に重要なことがあります。

 

例えば、30年、40年、あるいはそれ以上の人生というものがある場合。またもう1つ、私たちが相続している、受け継いでいるものがあります。

 

それは世界がこれからどうなっていくか、今後の世界というものに関係しています。

 

私たちはこれだけ多くのものを受け取ったのです。それであれば、私たちは、何かを今後の世代の人たちに残すことができるよう、貢献することができるのではないでしょうか? 

 

私たちの、そのかたちでの可能性がある、“種”としてのもの。それから人生に対してのもの。そういうものがあるわけです。だからこそ、私たちは「これからやってくる世界が、私たちが今生きている世界よりもよりよいものにしよう」という意思を持とうではありませんか

 

 

ここで1つ疑問があります。これが質問です。生まれたから生きる。あるいは生まれたことを理解して、私たちの存在自体に方向性をつける。そしてまた、としてのよりよいものに対して戦っていく、哲学、政治、倫理などがあります。そして、これらは同じ塊の中のものとしてあります。

人生のための時間をスーパーで買うことはできない

しかしながら、この市場というものについて、歴史から考えた場合、その中で経済というものは、倫理、とくに哲学というものから、分離することとなったのです。市場によって、非常に組織だった社会の中に生きるようになったのです。

 

そして、私たちの文明というのは、おそらくこういったことを忘れてしまったのではないでしょうか? 

 

ギリシャの古い原則です。すなわち、「過剰なものがない」ということ。これが意味することは、すべてには限界があるリミットがあるということ。そして、それを認識するということであります。どうして私は今このようなことを申し上げているのでしょうか? 

 

なぜならば、もし人生・生きているということが第一の価値であるとするならば、人生・生きるということは負担ではありえないのです。例えば、スーパーマーケットに行って、いろいろなものを買うことができる。しかし、人生の年月というものを買うことができるでしょうか? スーパーマーケットではなんでも買うことができます。

 

しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。

 

そして、私たちが私たち自身の存在というものに直面するとき、これは当然ながら、私たちは努力しなければなりません。私たち全員が尽力し、努力していかなければいけません。

 

なぜならば、当然必要な物質、必要なものというのがあるからです。

 

そして、「できるのに仕事をしない」ということはあってはなりません。例えば、ほかの人の労力のもとに自分は働かずして生きるということ。これはあってはなりません。それはおそらく団結心が不足しているということになりましょう。同じ種のほかの者に対しての団結というものがない、ということになります。

買い物とは、人生の一部の時間を払うこと

ただし、生きるということは、単純に仕事をするということだけではないのです。ほかの言い方をすれば、ほかにいろいろなことをする必要があります。なぜならば、あなたがもし何かを買う時、それは、あなたは何かをお金で買っているのではないのです。

 

あなたが買うということは、それはあなたの人生の一部の時間、そして、その時間をお金を稼ぐために費やさなければならなかった人生の一部の時間で払っているのです

 

そして、あなたは人生の時間というものをきちんと尊重しなければなりませんですから、節度ということが重要なのです。なぜならば、時間は必要だからです。重要だからです。

 

人生を楽しむために、享受受け取って自分のものにすること)するために、自由な時間というのが必要だからです。すなわち、そのあなたの存在。そしてまた、それはもう戻ってこないものなのです。

 

例えば、また別の生があるというふうに考えたとすれば、おそらくそれは心の慰めになるかもしれません。でも、この人生において、この生において、地獄と栄光があるとするならば、

 

それは栄光のために、美しく生きるために戦うということが必要になるでしょう。

 

これは何を意味するのでしょうか? すなわち、浪費する、消費する、買うこと、買い物をするということ、例えば、それは必要でしょうか? 誰もそういうことを放棄することはできません。この文明というものがもたらしたものがあります。ただし、ここで問題があります。

 

それはやはり「私たち自身にリミット(限界、制限などを意味する)をつける」ということです。それは時間を得るためです。

 

地上にあるもっとも重要なものは“愛”

みなさんの人生の時間、例えば、若い時にはのために多くの時間が必要でしょう。この愛というのは地上にあるもっとも重要なものなのです人生の動力となるものです

 

もしもパートナーがいるのであれば、もし子供がいるのであれば、時間が必要です。子供に向き合う、子供と一緒になる時間が必要です。

 

もちろん物質的な必要性というものもあります。でも、もっと重要なのは、時間を持って、親愛を示す時間が必要なのです。

 

★モノというのは、親愛、愛というものをくれません。

 

★そうではなくて、「生きる」ということが愛をくれるのです。

 

そのために時間が必要です。

 

しかしながら、この人間というのは欲のたくさんある動物であります。

 

アリストテレスが言ったように、人間というのは政治的な動物です。なぜならば、他のものが必要だからです。例えば、1人で生きること、孤独で生きることはできないのです。あなたの存在というものは、そのほかのもの、社会の他者があるからこそ可能であり、また、確実なものとなるのです。

 

もしも心臓病があれば、もちろん心臓病のお医者さんが必要になります。自動車に問題があれば、もちろん機械に詳しい機械工が必要になります。人生のいたるところで他者というものが必要なのです。

 

例えば、アイマラ族。こちらはアンデス山脈に住んでいる人々ですけれども。ここで貧しい人、かわいそうな人というのはコミュニティがない人であります。すなわち同伴してくれる、一緒に生きてくれる、その人のグループであります。なぜならば、一番大きな貧困というのは孤独だからです。

 

貧困というのはモノの問題ではありません。それはこの人生というものを共有するということが重要なのです。

 

 

人生のすべてを市場に委ねてはいけない

ホセ・ムヒカ氏 現在、多くの市場をもとにしたさまざまな文明が発達していきています。文明は一方では非常に素晴らしいものを築き上げてきました。例えば、さまざまな素晴らしい技術を開発しました。非常に素晴らしい力です。そしてまた、非常に素晴らしいモノを得るということもできます。その力で歴史を推進してきた点があります。

 

しかしながら、永遠というものはないのです。そういった進歩の反面で、負担も多く遭遇しました。

 

例えば、市場で非常に負担な面ももちろんありますが、すべて悪いわけではありません。すべて否定しているわけではありません。

 

先ほどのギリシャの哲学に戻りますけれども、過度がいけない、行き過ぎはいけないということです私たちの人生のすべてを市場にまかせてはいけません。私たちの人生、そして人生の冒険のすべてを市場の手に委ねてはいけません。

 

私たちは文明を築き上げました。そして、文明の発展の速度が、創造の速度がどんどん加速度的に早くなっています。そして、本来ならば、その速度にリミット、制限をつけなければいけないけれども、現在はそれを統治する術もなく、その市場の力が、まるで自立的な生き物のように、まるで動物のように1人で加速度的に進んでいます。

 

ある物語で、地球をひっくり返す魔術の棒を見つけた。でも、ひっくり返したはいいけれども、ひっくり返したあとにそれをもとに戻す術を知らなかったという話がありました。今、そのような状況が起こっています

私たちは環境破壊を止める術を知らない

私たちがこれから先、何が起こるのかわからない、という状況もあります。私たちは自分たちの人生を統治できるように、支配できるようにしなければいけないはずですけれども。でも、私たちは市場の力を現在統治できないくらいになっています。なぜこういう話をするか? 

 

例えば、以前、京都議定書が結ばれました。その合意に基いて、環境破壊に何らかの制限を加えようとしました。それでも環境破壊を止めることは実現できませんでした。私たちは、海の汚染がだいぶ前から始まっているということを知っています。知りながら、私たちは何もなす術を持ちませんでした。私たちはそういうリソース、手段を持っていないのでしょうか? なんて恥ずべきことでしょう。今までこれほど、人類でこれほどのリソース、そしてこれほどの能力を持ったことはありません。

 

世界中で1分間に200万ドルが軍事予算に使われています。しかし、これが最悪なのではありません。最悪なのは、こういった方向性を止めることができないことです。これはすべて何を意味してるんでしょうか? 

 

こういった例を数限りなくあげることができます。でも、すべてに関して私たちはブレーキをかけられない。その結果、世界中の85人から100人のお金持ちが、300人の人の富と同じくらいの富を占めるようになってしまった。これはどんな意味があるのでしょうか? 例えば、いっぱいお金を持っている人、あるいは富裕者から、何か学ぶことができるのでしょうか?

消費で残るのはモノの蓄積にすぎない

私が言いたいのは、文明のなかで多くのモノを浪費しすぎたということです。つまらないことに浪費しながら、一番重要なことには目を向けてこなかった。一番大切なことは幸せになることです。

 

でも、今までこれほど生産性が高まったことはないのに、分配の仕方が悪いために、今の私たち人類はそういった生産性の恩恵にあずかっていませんわずかな人が恩恵にあずかり、ほとんどの人がフラストレーションを抱えています。これは何を意味するのでしょうか?

 

非常に美しい大義というのがあります。この大義というのは、人生に美しい意味を与えること。そして、人生の存在に意味を与えること。そして、種全体がよくなること。これが大切な大義であるはずです。

 

もちろん、いろんなかたちで屈服したままで負けて生きることもできます。そして、単なる守りに入ることもできます。そして、多国籍企業のためだけに一生を捧げるという人生もあるでしょう。でも、私のようにリウマチ持ちの老人になったときに何が残るでしょうか? 

 

あなたは、ローンの支払いを一生続けるために生きてきた、というふうになるでしょう。

 

2年ごとに新車を買いたかった。家が小さいから、さらに大きい家が欲しくなった。それでいろいろ負債を積み重ねて、いろんなことをして負債に追われる。自分でさまざまなモノを買うこと自体を楽しみにして、自分の人生の時間を浪費してしまうわけです。

 

そういうかたちで残るのはモノの蓄積にすぎません。

 

でも、それは私たち頭の中で考えなければいけません。考える術はこの頭の中にあります。ですから、この頭を使えば、あなたは自分の人生を誘導する、導いていくことができるはずです。

 

私は貧しいわけではなく、質素が好きなだけ

みんな、私のことを貧しいと言いますが、私は貧しいわけではありません。私は質素なだけです。以前は「慎ましい」(austerity)と言ってましたけれども、それはもう好きではありません。

 

「austerity」はヨーロッパの緊縮政策と結び付けられるので、今は好きではありません。私は単に質素が好きなだけです。私にとって重要なモノさえあれば、十分なのです。質素であるほうが、私が本当にしたいことができる時間があるからです。

 

私にとって大切なのは、例えば社会運動もそうですけど、ほかの人にとっては絵を描くことが大切かもしれません。魚釣りをすること、遊ぶこと、あるいは、毛糸を編むことが大切な人もいるでしょう。あるいは友人と遊ぶことが好きという人がいるでしょう。そういう時間を過ごすことが自由であるということです。

 

ですから、いろんな大げさな言い方、フランスのいろんな言葉で飾るような人たちがいますけれども。でも、本来の自由というのは、自分がしたいことをできるというのが自由です。ほかの人に強制することなく、ほかの人の考え方を阻害することなく、それぞれの人の考えを尊重したなかで、自分がやりたいようにできること、ほかの人がやりたいようにできること。それが自由です。

 

そのために必ずしもモノが必要なわけではありません。ですから、本当に本当に必要なモノがあれば十分なわけです。ただ、どんどん必要にさせられていく。市場に操られてどんどん必要なモノが増えてしまうと、それは決してあなたは自由ではなくなります。

 

なぜならば、あなたの大切な時間が、その市場によって失われてしまうからです。そして、あなたが欲しいモノを買うためにあなたの自由な時間が失われてしまうのです。

 

もちろん私がこうやって話したからといって、若者のみなさんに同感してほしいと思っているわけではありません。決して、みんなに同感してほしいと思っているわけではありません。

 

みなさま方自身が自分にとって何が一番大切なのか、何が一番いいのかを考えてほしいのです。

 

誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか

私たちは2つの矛盾する力によって作られています。すべての生命は誰でもエゴイズム(自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方)を持っています。

 

例えば、自分を守るため、あるいは自分が大切に思う人を守るために、エゴイズムというものがあります。エゴイズムというのは、自然が私たちに与えてくれた、ある意味では自然のものでもあります。ただ、また同時に、もっと違った素晴らしい遺産を持っています

 

それは文明であったり、文化であったり、知識であったり。それは前の世代が築き上げたものであります。前の世代が築き上げた文明です。そして、世代間の団結、あるいは連帯です。だからこそ私たちは、そういった大切な感情を中に秘めています。

 

そういった感情を教育によってさらに精度を高めることができます。そして、正しく生きることによって、そういった感情を高めることができます。それを高めることによって、自分で自分のエゴにブレーキをかけることができるわけです。

 

そして、重要な教訓を学ぶこともできるのです。一番大切なのは、ともに助け合うこと。そして連帯、協力です。

 

それは男性、女性含めてすべての人間の協力であって。それが創造力になり、モノを創る力になります。そして、チームワークで働くからこそ、私たちの人生をよりいいものにすることができるのです。

 

そういった意味で他者の存在というのは非常に大切です。こういった、私たちが誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか、支配していくか。

 

ただ、人間は神ではありませんし、絶対、神にもなりませんし、パーフェクトな存在には決してなれません。こういった社会というのは今も問題を抱えていますし、将来も問題を抱えるでしょう。それは人間が神ではないからです。

 

私たちは情熱を持っています。エゴイズムを持っています。そして、利害も持っています。そして、間違いも犯します。正しいときもありますけれども、試行錯誤もします。そして、集団で生きなければいけません。でも、矛盾を抱えています。ですからこそ、政治が必要なのです。

 

完璧な社会がありえないからこそ政治が必要

アリストテレスが言ったように、人間は政治的な生き物である。なぜならば、人間は矛盾を抱えるからです。なぜならば、完璧な社会などありえないからです。そうであるからこそ、政治というのはさまざまな試みをして、そういった差が共存できるように運営しようとするのです

 

紛争というのは必ずあります。社会的な生活のなかには必ず紛争がありますけれども、それをいかに共存可能なものにしていくか、というのが政治です。

 

もし私たちが神であるならば、政治はいらないでしょう。もし完璧であるならば、政治はいらないでしょう。ですから、政治というのは、何らかの組織の中で座っているということを意味するのではありません。そうではなくて、そのほかの社会全体のことについて、心を砕くということなのです。

 

なぜならば「政治は重要じゃない、関心がない」ということを言うときにも、1つの政治的な立場というものを持っているわけです。なぜならば、他者のものによって自分の靴を買う。あるいは他のモノを消費するわけです。

 

例えば、どういうような家に住むでしょうか。あるいはウエディングドレスを買うかもしれません。すべて、最終的にはこの政治のあり方、社会の行く末にかかっているのです。例えば、政治というものを放棄するということ、これは少数の者がそれを制御するということを意味します。

 

私たちは多くを生きてきました。文明というのものは多くのモノを残してくれました。例えば、共和国。もちろん、多くの過ちも一緒に。

 

誰もがほかの誰よりも上ということはない

誰もがほかの誰よりも上ということはなく、基本的に男も女も、少なくとも理論的に同じ権利を持っています。青い血はない。例えば、公爵、伯爵というものもない。そのためにどれだけの犠牲が必要だったでしょうか。どれだけの犠牲があったでしょうか。このような基本というものを固定するためにどれだけの犠牲が払われたでしょうか

 

もちろんすべての人にとって、その出発点というものは違います。なぜならば、民主主義というものは完全ではないからです。人間の誤りというもの、それからまた限界というものもたくさんあります。しかし、それは無限の戦いなのです。つねに改善するために、つねによくして、変革していくためのものです。

 

それぞれの心の中で、よりよくするために、そのためにも、私たちは私たちの社会をよくするために戦わなければなりません。それこそが人生の、生の大義なのです。そして、それこそが私たちの存在に意義というものを与えるものでしょう。そして、それは大きな責任です

 

とくに、このような素晴らしい大学で勉学する者、そういうような素晴らしいチャンスを得たものにとってはそうです。そのようなチャンスがあるのであれば、よりその責務というものも大きくなるでしょう。

 

社会に手を差し伸べ、そのようなチャンスを得ることができなかった人のために役立つという大きな責務です。

 

もちろん、ここで考えなければなりません。子供たち、それから老人たちというような、脆弱な人々がたくさんいます。しかし、そのなかで考えなければなりません。

 

私は非常に批判的である、ということは言えるかもしれませんけれども、悲観主義ではありません。反対です。私は人生を愛しています。そしてまた、青少年を愛しています。ですから、ここで申し上げたいことがあります。

人生でもっとも重要なことは「歩き続けること」

もっとも重要なことは勝利することではありません。人生でもっとも重要なことは「歩く」ということです。歩き続けることです。

 

これは何を意味するか? すなわち転ぶたびに起き上がる。それから、また新たに何かを始める勇気を持つ。何かに打ち負かされたときに、また立ち上がる、ということです。

 

すべての分野で重要なことは愛です。愛というものを私たちは生きるべきです。

 

例えば、仕事があります。そしてまた何かが起こって、そしたまた、例えば収監される。そしてまた、牢獄に入れられる。しかしながら、またそこから開放される。そしてまた、生き始める。そして、息をすることができる。いずれにしても、あなたの体が動くうちは、毎朝体が動く、そして生きているという、この奇跡というものを歌い上げるわけです。

 

人間より強い動物というのはいません。非常に素晴らしいものです。しかしながら、それで自分自身を満足してはいけません。

 

学ばなければなりません。

 

そして、つねに心を持って行動しなければなりません

 

すると、大きな教訓を得ることができます。

 

完全に勝利を収めることは絶対にありえないのです。つねに何か欠けているものが出るでしょう。しかしながら、絶対に完全に敗北するということはありません。実際にどういうことで勝利を得ることができるのかといえば、

 

それは、意思を持って生きるということです。

 

それは例えば、この人生の最終地点に、何らかのゴールとしてのアーチがあって、そこに到達するということではありません。そうではなくて、自分自身が意思を持って生きるということですそしてまた、生きる力によって立ち上がるのです。

 

 

----------<引用終了>----------

 

 

「一番大きな貧困は孤独」 世界で一番貧しい大統領 ホセ・ムヒカ氏の初来日講演 その二につづく(^-^)

 

 

----------<追加 6月27日>----------

 

この記事は「一番大きな貧困は孤独」 世界で一番貧しい大統領 ホセ・ムヒカ氏の初来日講演 ←このリンクの2/6~3/6までの書き起こしを貼りつけて色分けなどさせていただいていますが、貼りつけた文章は全文で削除部分はございませんm(__)m