一人旅
どうもです!!
先々週の日曜日はご存じの通り大阪にて後輩の星矢の試合でした。
星矢が見事チャンピオンになり、サポートの仕事を終えた俺は翌日、和歌山県にある高野山を目指し一人南海本線にゆられ、一日かけ旅にでました。
実は、高野山は2度目の礼拝でした。
一度目は22歳の頃、当時は空手ワールドカップ日本代表として、代表選手合宿の場所として行きました。
しかし当時の俺はまだまだ若造感覚で、髪は金髪心も金髪の怖いもの無しのイケイケで、高野山のもつ不思議な力にまったく無関心でした。
当時の心境は『なんでこんな所で合宿なんだ??』みたいな感じで無礼者的心境でした。
ようするに心の在り方が未熟でした。
それに気付いたのは、ほんと最近で、これはまずいと思い、今年は昇り龍の年(俺は親父に北斗の龍と言われていた。工介は北斗の虎!(笑))ということで、高野山に行き懺悔をし弘法大師空海さんや名だたる戦国武将様の霊魂に詫びを入れに行かなければ、と思っていたのです。
その矢先、年始早々、格闘技界の大先輩で師でもあるRISEプロデューサーの伊藤隆さんから今回の大阪遠征のお話と星矢の試合抜擢のお話がありました。
まさに何か不思議な力に引きつけられたと言うか、必然というか。。。
とにかく心に詰まった汚れというか邪念を払いに、そして今後の俺にめぐる運命の安泰を祈願しに行こうときめたのです。
これは、南海本線の地獄谷という駅から高野山へ向かうケーブル鉄道。
まさに地獄から天国へ向かう一本道ってな感じ。
あいにくこの日は小雨の天気。。。(AM9:00頃)
晴れ男の俺も、お天道様と弘法大師空海さんは歓迎してくれていないのかな。。。と感じてしまう。
高野山駅からバスで15分ほどで、高野山・奥の院へ入り口の『一の橋』にたどり付き、お守りの六文銭ネックレスを水で清めてから渡りました。
この橋の前で目を閉じ手を合わせると、橋の向こうに空海さんが観えるようです。
一の橋を渡ると、まずは左に伊達正宗公の墓所があり、手を合わせた。
目を開けて、空を見上げると、パラパラと粉雪と一緒に、樹齢100年は越えると思われる杉の木の皮が、降ってきた。
杉の木の皮は、そのままゆっくりと吸い込まれるように俺の合掌した手にドンピシャに落ちてきた。
手を開き、その皮はマスカケの俺の手の平に着地した。
これはホントの話。
これがその時の物!!
表面には溶けた雪がかすかな光に反射し金粉でも付着しているかのような黄金の輝きがはなたれていた。
臭いは伽羅の木のような杉独特の芳醇な香り。
昨年の宮城県へのボランティアへ行った時のご褒美を授かったのかな!なんてね!!(笑)
その後は、奥の院へ向かい歩く。
加賀、前田家の墓所。
左、武田信玄公。右、武田勝頼公、武田家の墓所。
途中、氷と水が綺麗。
途中、弘法大師の御尊像。
空海さんがあまりにも寒そうだったので、頭と肩の雪を払ってあげました。
平日ということもあり、あたりは誰もいないので、もし誰かに見られていたら、怪しまれたかも。。。(笑)
それにしても、距離的に1キロ~2キロの道のりですれ違ったのは、1人の僧侶と2.3人の礼拝者のみで、不思議な空間だったな~~~!
戦乱の時代、高野山を守った豊臣秀吉公の墓所は格別大きく広い土地であった。
その他、織田信長公、徳川家康公、上杉謙信公、石田三成公、明智光秀公、本多忠勝公、真田幸村公、毛利元就公、春日局、初代市川団十郎、などの墓所、戦没者や震災犠牲者の供養塔などがありました。
奥の院に差し掛かる前に、橋がありここからは写真撮影禁止ということでした。
奥の院の中は、薄暗く僧侶たちが般若心経を唱えていた。
お賽銭をすまし、この日50回目位の合掌とお守りを購入し、高野山奥の院のゴール地点の弘法大師御廟へ行きました。
弘法大師御廟の中は、もちろん普通の人は入れませんが(世界の北野武さんは入ったとか!?)、平安時代初期に生まれ承和2年西暦835年に死去した弘法大師空海が眠っている所ですが、一説には死してなおその場で瞑想をし、世の中のすべての人々の平安無事を祈り続けているようです。
慈悲深き弘法大師御廟の前で俺は当時の懺悔と今後の安泰を祈り、今回の目的を清々しく終え、来た道を帰ろうとした。
すると。。。
ナント、小雨だった天気が晴れ、光が差してきたのです!!!!!
これは間違いなく、弘法大師空海様と高野山に眠る武将や偉人達の霊魂が祝福してくれたのだ~~~っと思い、気分も心境も晴れやかになり、来てよかったな~と思い、高野山奥の院を後にしました!!
こんな不思議な事って、あるんですね!!
次の旅先は、高野山から電車で30分ほど下った、真田昌幸公、幸村公、そして前世の自分が祀られている九度山へ・・・・・・・・・・・
旅はつづく・・・