諸葛孔明伝 | Nyarlathotepの啼く夜は

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私は受け入れる。円環の理を… 腐ってますが、何か???

いきなりですが・・・

孔明伝です。

突然やりたくなりまして。。。


Yahoo!の方では、三国志のテーマ持ってたんですけどね。


さて、孔明と言えば?

大軍師さんですよね~。

劉備に付いた、最初の軍師。


じゃなくて、劉備には元々、徐庶が付いていました。

ところが、いくら攻め立てても劉備軍が堕ちない原因が徐庶にあると気づいた曹操が、母親を拉致した上、偽の手紙で騙して、自分の配下に付けてしまいます。

曹操には、優秀な武将を集める趣味がありましたから。

関羽なんて、何度誘われた事やら (;^ω^)


そのとき、去り際の徐庶曰く。

「天下に伏竜・鳳雛あり。

どちらか一人でも迎え入れられれば、天下を取れるでしょう。」

と紹介された伏竜が、諸葛亮孔明先生だったわけです。


この孔明先生を迎えるため、劉備は山の中の庵を3度訪ねます。

俗に言う、三顧の礼ですね。

まあ、これにも諸説ありまして、三度とも孔明はいたけど、劉備の人柄を見るために居留守を使ったとか。

二度は本当に留守で、三度目に昼寝中の孔明を起きるまで待っていたとか。

面白いのは、三度目に訪れたとき、張飛の「居留守使ってるなら、この庵に火を付けるぞ。」と言う脅しに驚いて、飛び出してきたとか・・・

張飛の策略に引っかかったわけです。

どれが本当なんでしょうね?

それとも、別の方法で迎え入れたのかな???


さて、こうして迎え入れられた孔明。

劉備と、完全に意気投合してしまいます。

「水魚の交わり」ですよね。

ここで面白くないのが、関羽と張飛。

孔明より先に、劉備と義兄弟のちぎり結んでいますから。


そのとき、曹操が軍を持って、攻めてきます。

孔明は張飛と関羽に、ちょっとした策を与える。

これが大当たりで、曹操軍はさんざんな目に遭って退却していきます。

これで張飛と関羽は、孔明に感服してしまう。

孔明先生曰く。

「千里離れた幕の中にあって、味方に勝利をもたらす。

それが軍師です。」

格好いいですな。

どこまで本当か分かりませんが、人気が出るわけです。


さて、孔明の元、いろいろな戦いに勝利した劉備。

ここで正念場がやってきます。

赤壁の戦いです。

孔明はここで、呉との同盟を謀るわけです。

親劉備派であった魯粛と、兄の諸葛瑾の協力も得て、無事目的を果たします。


んで、なぜ呉にも諸葛がいるのか?

実は、魏にも諸葛一族が入り込んでる。

誰が天下を取っても、一族の血が絶えることは無い。

日本でも、よく使われていた手です。


さて、赤壁の戦い。

ここで孔明先生。

祭壇を作って、東南の風を呼び寄せ、呉の火計を成功させます。

ま、祈りによって風を呼ぶというのは創作でしょうが、実際に真冬に東南の風は吹き、火計は成功します。

それによって、劉備と呉の連合軍は、数に勝る曹操軍を撃退します。

事実は小説よりも奇なり。

と言うところでしょう。


赤壁後の、呉との城取り合戦にも勝利した劉備は、蜀へと触手を伸ばすことになるのです。

この作戦には、鳳雛こと、龐統も絡んできます。

顔が悪かったので、呉の孫権に重用されなかった。

なので孫権を見限り、劉備側へと付きました。

と、言う話なのですが???

嘘か本当かは、神のみぞ知る。

でももし、龐統が付かなかったら、蜀とりは大幅に遅れたか、もしかしたら獲れなかったかも知れません。


え~。

前半の山場、赤壁が終わりました。

長くなりそうなので、今回は、ここまでといたしとう存じます。

気が向いたら続き書きますね。

それまで、ごきげんよう。


では (*^ー゚)/~~


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