pocoですコアラ

母がうつ病になってから私達に起きた事柄を書いています。

ネガティブな内容が苦手な方は読まない事をおすすめします。




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私と娘がチェコに戻る時、両親も一緒にチェコに来ました。両親にとっては初めての海外旅行です。

2008年にチェコで結婚式をした時、両親は仕事や旅費を理由にチェコには来てくれませんでした。私達も両親の旅費を負担してあげれるほどお金もなかったんです。

ですが、子供が産まれたのを機に旦那の家族にも会いたいというので、チェコに来る事になりました。

でも、当時父はまだ働いていて長くは休めないという事で1週間の滞在でした。プラハに4泊して行きました。高齢の両親には大変なスケジュールだったと思います。

母は相変わらずイライラしていて、私の旦那に対しての不満も口にしていました。
プラハは観光客へのスリとかも多いので旦那には両親のケアを徹底して欲しいと私からお願いしていたのですが、母から見ると私をほったらかして私が全て赤ん坊の世話をしていると思ったようです。

後、チェコのレストランは気に入らなかったようで、1日目と旦那の家族との食事会しかレストランで食べませんでした。ジャンクフードが大嫌いな母なのにケンタッキーを買ってホテルで食べようと言った時、やっぱりおかしいと思い父に日本に帰ったら医者にかかるように言おうと決心しました。

気遣いが行き届いてる母が全く気遣えなくなったのがやはり大きな異変でした。

滞在中はプラハの観光とカルルシュテイン城へ連れて行きました。



両親帰国の前日、旦那の両親が田舎から出てきてくれ、プラハ在住の義姉家族も来てくれ食事会を開きました。
その時ですでに結婚7年目。
初めて両家が顔を合わせました。

すでにスカイプで話した事はあるので皆、初対面という感じではなく、和気あいあいとしていて良い食事会でした。

母はこの日だけは笑顔が絶えず、明るく振る舞っていました。きっと、精一杯頑張ってくれたのだと思います。
それが母の最後の元気な姿です。



この日は皆幸せに溢れていて温かい良い時間でした。
母が義母に
『私の大切な娘をよろしくお願いしますね』
と言っている時は泣けました。

両親帰国の日、プラハの空港で別れの時、母は私に

『私達は離れていた方が良い母娘なのかもね』

と言いました。私達は本当に仲が良い親子だったのでこの言葉はショックでした。
私は空港から家に帰る道中、号泣しました。

まさかこれが最後の別れになるとは思いもしませんでした。この日から4年後、母は亡くなります。

もっとあの時、抱きしめれば良かったな。お母さんが大好きな事、感謝、沢山伝えれば良かったなと心から思います。

帰国後母は医者にかかります。

長くなるので、続きは次回へ。