世に出ているやり方はアベコベ | 真のジャーナリズムがここにある!

世に出ているやり方はアベコベ

ひふみ神示 第十一巻「松の巻」
第十一帖 (三〇二)
「今の法律 此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ。」

ひふみ神示 第十二巻「夜明けの巻」
第十二帖 (三三二)
「あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。八月の七日、アメのひつくのかみ。」
昭和二十年、敗戦直前

「夜明けの巻」からしばらく期間があり、
ひふみ神示は、ここまでよりはっきりした神示となります。

ひふみ神示 第十三巻「アメの巻」
第一帖 (三三五)
「惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民 神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、よくこの神示読んでおいて下されよ。世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示(ふで)裏の裏までよく読めと申してあろがな。此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。」
第二帖 (三三六)
「天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、
地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、
そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、
基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、
基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、
○とは外国の事ぞ、☉が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、
上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、
びっくり箱あくぞ、八九の次は+であるぞよ。
何事もウラハラと申してあろが、
ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、
よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、
日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、
上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。
餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、
悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、
悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、
我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、
こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。」
第十四帖 (三四八)
「今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。」

ひふみ神示 第十五巻「一八(イハ)の巻」
第八帖 (三七三)
「此の方のコト、腹にひしひしと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ、我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ。」

ひふみ神示 第二十巻「ん目(ウメ)の巻」目は絵文字
第十四帖 (四四一)
「ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。」

ひふみ神示 第二十一巻「三@(ソラ)の巻」@は渦で「の」と同じ巻き方
「人力屋、酒屋、料理屋、芸妓(げいこ)屋、娼妓(しょうぎ)、無く致すぞ、世つぶす基(もと)ざぞ、菓子、饅頭も要らんぞ、煙草もくせぞ、よき世になったら別の酒、煙草、菓子、饅頭出来るぞ、勝手に造ってよいのざぞ、それ商売にはさせんぞ。」

ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」
第二帖 (五一三)
「日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。八分の中の八分は又生きかへるぞ。生きかへっても日本に捉はれるぞ。おはりの仕組みのおはり。骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。古いことばかり守ってゐるぞ。古いことが新しいことと思うてゐるなれど、新しいことが古いのであるぞ。取違ひいたすなよ。」

「我が我が」というのは、「自分たち日本人は偉い。この三千年の伝統が正しいもので、戦後の岩戸開き後の体制は悪」という「日本が日本が」の事に他なりません。それがそもそも日本ではないわけです。
今のキリスト教や仏教は駄目だが今の神道は良い、などという自己中心的な発想も間違いです。

五十黙示録 第七巻「五葉の巻」
第十帖 (一二四)
「七重の花が八重に、八重が九重、十重にひらくのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教はつぶれると申してあろうがな。兎や角申さず掴(つか)める所から神をつかんでついて御座れよ、水は流れる所へ流れてゐるであろうがな、あの姿。」



大々的に売り出されている"SAPIO"のような雑誌などは、九分九厘まで表に出ている幽界魂のプロパガンダですから、よく吟味する事なしに丸暗記するのがエリートなどとは言えないものです。悪のやり方と神示の道との二股をかける事なく、神示の見地から世の中を眺めると、あべこべである事が分かるはずです。

プロパガンダの嘘・間違いを並べてみます。

今の右翼思想では、
濁る田沼は豊かであり、清い水では生命は死滅する
とされていますが、
ひふみ神示には、「清い水にすめないのはマコトの魚ではない」とあります。

今の右翼思想では、
「国益を考えるのが最上であり、世界全体を考える国際主義など空想のようなものだ」としていますが、
ひふみ神示では、世界は一つの国であり、我さえよけら他の国の人民はどうなってもよいという思想は間違いである事が示されています。

今の右翼思想では、
「自分は絶対に正しいから反省・謝罪してはいけないに決まってる!自信と誇りを持って粛々と実行。精神惰弱な凡人は憎めない。自分たちは大多数は絶対に正しいに決まってるのに、ごく少数の人間が狂っているせいで世の中が悪くなっているので、異論を持つ者は抹殺しなければならない。独裁政権を批判する者は反日・左翼であり、間違ってるに決まってるし、理解できない者は怪しいから、絶対に言う事に耳を傾けてはいけない。改心させようとしても無駄」とされていますが、
ひふみ神示では、万人が反省し、お詫びしなければならない事、悔い改めなければならない事、信念より理解が大切である事、取り違いは申し訳ない事が示されており、見直し・聞き直しする事が大切とされ、極悪に見えるものでも大神様が活かしていらっしゃる事、排除するのでなく手を握るべきである事、「悪を殺す」というのが悪である事、まつろへば悪ではなくなる事が示されています。

今の右翼思想では、
日本国憲法は間違いで戦中の大日本帝国憲法だとか治安維持法だとか軍事独裁体制が正しいかのように言われていますが、
ひふみ神示では、大神様は戦中の法律を嫌いだから無くすという事、古いものが新しいのではなく新しいものが古い日本のあり方である事、悪党は囚えられるがもう一度盛り返して来る事、そしてまた囚えられる事が予言されています。

今の「日本の伝統」を宣伝するコマーシャルでは、
やたらと舞妓さんが出てきますが、
ひふみ神示では、娼妓や芸子は世を潰す元だから無くす、と示されています。

何故そのように正反対なのか、分からない方は、以下のリンクを参照すべきではかなろうかと思います。


警察の本当の名は奴隷管理局

http://ameblo.jp/cyrus2/entry-11023324808.html

読売・朝鮮ヤクザ・CIA

http://ameblo.jp/cyrus2/entry-11035674517.html


国家が戦争を遂行するためには、国民に戦争するしか道がないことを信じ込ませるために国策プロパガンダが頻繁に行われる。イギリスの政治家アーサー・ポンソンビーは、第一次世界大戦でイギリス政府が行った戦争プロパガンダを分析して、以下の10の法則を導き出した。(アーサー・ポンソンビー「戦時の嘘」(東晃社、1941年))
1.われわれは戦争をしたくはない。
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ。
4.われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大義)のために戦う。
5.そしてこの大義は神聖(崇高)なものである。
6.われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
7.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
8.われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
9.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。

フランスの歴史学者であるアンヌ・モレリは、この10の法則が第一次世界大戦に限らず、あらゆる戦争において共通していることを示した。そして、その著作[8]の日本語版の辞の中で、「私たちは、戦争が終わるたびに自分が騙されていたことに気づき、『もう二度と騙されないぞ』と心に誓うが、再び戦争が始まると、性懲りもなくまた罠にはまってしまう」と指摘している。

プロパガンダ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80#cite_note-6

これを読んでも、世界中の全ての右翼は悪神の血族・眷属である事を理解できないようでは、益人とは言えないのではないかと思います。


金で世を潰そうとする連中に負けないためには、真実を知らせる事が大切
http://rothschild.ehoh.net/main/04.html


ひふみ神示 第二十巻「ん目(うめ)の巻」*目は絵文字
第二十六帖
「金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。」


ひふみ神示 第四巻「天つ巻」
第二十九帖(一三六)
「戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、
国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。」