はい! 奈央です。
今私は、高いところに居ます。
どこでしょ?
といっても分からないですよね。
ここは、くま川鉄道あさぎり駅の展望所なんです。
人吉盆地のほぼ中央ですね。
あさぎり町は、宮崎県との県境の山々に囲まれた盆地の中央に位置し、朝の幻想的な霧が美しいことに由来してこの名がついたそうなんです。
あさぎり町 あさぎり移住ナビHPよりお借りしましが。
下の景行天皇の遠征経路の中では、球磨地方は単に通り過ぎたかのようになっていますが、そうではないようです。
日本書紀の解明・・邪馬台国と大和王権HPよりお借りしました。
人吉・球磨地域には景行天皇の足跡を意味すると思われる「天子・天下」と呼ばれる地名や神社が多数あります。
あさぎり町には「天子の水公園」があります。
熊本名水百選にも選ばれており、景行天皇の熊曾討伐の折に御輿をとどめてこの湧き水を飲まれたという伝承があるそうです。
天子の水公園
1969/04/09に生まれてHPよりお借りしました。
この「天子・天下」と呼ばれる地名や神社と景行天皇の熊曾討伐との間の関係については、様々な考え方があるようですね。
わたしは、このあさぎり町(球磨)在住で、球磨の古代を研究されておられるひろっぷ様のブログを何時も拝見させていただいています。
今回も、ひろっぷ様のブログに惹かれてやってきました。
今、私が興味を持っているのは、景行天皇の事績と鉄との関係です。
ひろっぷ様は、球磨での製鉄に関しても、ご自分の考えを述べておられました。
ひろっぷ様のブログより抜粋
第二次世界大戦中まで、八幡製鉄所で生産されていた鉄の原材料の多くは球磨郡球磨村から搬出されていました。
球磨村の芋川流域では今でも川に磁石を入れると砂鉄が沢山付いてきます。
この芋川や他の砂鉄が多く含まれた川の水が球磨川に流れ込み、八代の球磨川河口に沈殿しているのです。
こう言う事は地元の人しか殆ど知られていません。
理由は第二次世界大戦中に国内の「鉄鉱石」が多数掘削されている場所等、外部には絶対に秘密であったと推測致します。
実は・・球磨郡は古代からの「鉄」の産地なのです。
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ふーん。そうなんだあ。
「鉄」の産地だったんだあ!
景行天皇もそのことをご存知だったのかもしれませんね。
展望所から眺めたあさぎり町は、広々として伸びやかでした。
かつては大きなクニがここに存在したことも十分考えられますね。
本当はここに宿泊して、終日、球磨地方を巡る予定でしたが、仕事の関係で宮崎に移動しなければならず、またいつか訪れる日の為に、この景色を脳裏に残しました。
それでも、どうしても見ておかなければならないものがありました。
それは、才園(さいぞん)古墳という所です。
以前、日田を巡った際に、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(魏の曹操の鏡と同形式)を見に行ったことをお話ししました。
球磨の才園(さいぞん)古墳 2号墳からは、昭和13年、刀剣、玉、馬具類、鏡などが発見され、石室内部には赤く塗られた跡が残っていました。
そして何よりも、金メッキされた鎏(りゅう)金獣帯鏡(直径 11.7cm、厚さ 3mm 青銅鏡(白銅鏡)の背面全体に分厚く鍍金。国指定重要文化財)が、出土したのです。
鎏金獣帯鏡 九州の遺跡・古墳HPよりお借りしました。
中国の鏡の研究者である王士倫氏によると、三国志時代(3世紀)に中国の江南地方(呉の領域)で作られたものだそうです。
このような鏡は中国でもたいへん貴重なもので、日本では全国で3枚しか出土していないものなんです。
熊本県あさぎり町 才園古墳
福岡県糸島市 一貴山銚子塚古墳
岐阜県三野 城塚古墳
さあ、それでは 才園古墳 に行きましょう!
楽しみー!
そのことは、次のブログでね。
それじゃあ、またね。