彼がアメリカ大統領になったことを日本の主要メディア(新聞、テレビ)がどの程度報道しているかはあまり見ていないのでよく分からないが、日本の政治報道がポピュリズムであるのだから、ましてやアメリカをや、であろうと思う。


政策とそれが世界、日本に与える影響はもちろん、アメリカ本土に与える影響など真面目に話したら時間がいくらあっても足りないはずだ。

私は大統領選挙の民主党予備選時、ヒラリーの対抗馬として彼を知り、かなり興味をもって彼の著書を一冊だが読んでみた。


それで、本当に彼がなったら凄いことになりそうだ、と思ったものだ。

当時はヒラリーがほぼ間違いなく勝つだろうと言われていた。
しかしみるみる形成は変わり、終わってみれば本選は圧勝だった。

彼にJFKを重ねる人も多い。
それは若さと演説のうまさだ。


そして彼はブラックアメリカンではあるが、出自は複雑だ。
このあたりはメディアも報道しているので既に知っているだろう。
彼は肌の色は黒いが、実はどこにもトライブ的に一つ所に属していない。
日本は日本人(帰化した移民ではなく土着的人間)以外を外人と見なすが、アメリカ始めほとんどの国が国籍をもって何何人と判断する。


つまり多人種国家が普通なのだが、日本や韓国など少数の国はそうではない。
なので分かりにくい。実感として沸かない。
オバマがアメリカの大統領になったことの凄さが。
ネタ的にもコマーシャルであるし、センセーショナルなので、それに押されがちだが、彼の言うチェンジの意味がどういうことであり、それを支持する“アメリカ人”は何をもってオバマに投票したのかを探らないといけない。

彼の中では人種の壁を既に超えている。


劣等感を抱いた復讐的な黒人でもなく、短絡的な平等をとく理想論者でもない。現実という大きな、しかし何十にも網を張り巡らされた現代資本主義社会、つまり消費社会であり成熟社会の構図と弊害を認識し、人種を越えて危機的アメリカを救う闘志に燃えているのだ。
それが彼のチェンジなのだ。
今ここにある危機、アメリカの危機は、大きくなりすぎたアメリカを実は抑制することを言っている。
強いアメリカ、軍事とドルで強いアメリカはグローバリゼーションと資本主義の進化とともに失われたことを気づかせる。
しかしアメリカンドリームの消滅ではなく、チェンジであり、別のパラダイムにシフトすることを彼は主張している、と思う。


そして興味深いのはやはりそれを支持した層が、若年層であったということだ。このままではアメリカはやばいぞ、という危機感が既得権益の恩恵を受けていない若いものは、受け入れやすい。
覆い隠された巨大な組織、それは政府であり癒着する企業であることはさして日本と変わらない。
そこにしっかりとNOを突きつけることができるアメリカという国は、やはり凄いと思ってしまう。

今だその闇を突き破れない日本、麻生太郎が総理になれてしまう日本、夜明けはまだまだ先なのだろうか・・・


だーっと書いて見直せずにアップしますので誤字脱字ありましたらご勘弁を・・・


ここ一週間で有名俳優が相次いで亡くなっている。

緒形拳、そして今日峰岸徹が亡くなった。

峰岸徹はそれほど馴染みのない俳優だったが、緒形拳は好きな映画に出ていたし、好きな俳優だった。

『復讐するは我にあり』、『女衒』、『楢山節考』などが心に残っている。

生まれる時代が違っていたら、もっと活躍していたであろうと思う。


そして今日、70年代のプログレッシブロックバンド、PINKFLOYDのキーボーディストであったリック・ライトが亡くなっていることを知った。

9月に亡くなったそうだが、これが一番ショックであった。

もちろんリアルタイムで聞いていた音楽ではないが、自分の音楽性に多大な影響を与えたピンクフロイドのオリジナルメンバーが亡くなるのは悲しい。

決して派手さはなかったが、それが楽曲第一を重んじるフロイドにとって欠かせないものであった。彼が奏でるシンセの音は幻想空間に誘うファクターであった。

最近は同バンドのギタリスト、デイビット・ギルモアとツアーを行っていた。

もう彼の音が聞けないと言うのはとても悲しい。

追悼の意味を込めて発売された、CD&DVDを聴いて、ご冥福を祈ろうと思う。

お疲れ様でした。



映画の話に戻るが、昨日『震度0』というDVDをを観た。

中々、よい映画であった。

横山秀夫原作で、最近ではクライマーズ・ハイが上映されたかと思う。

『半落ち』も彼の原作だ。

俳優陣がかなり熱が入っていてが、國村隼が群を抜いて凄かった。

話もちょっと予定調和っぽかったが、最後まで飽きずに見ることができた。


日雇い派遣報道に疑問 日雇いが最適な就労形態な人も
 日雇い派遣大手のフルキャストが2009年9月までに日雇い派遣業務から撤退することを3日に発表したが..........≪続きを読む≫


6月の秋葉原殺傷事件を受けてからにわかにこの問題がクローズアップされているが、既に問題としては規制緩和のおりに言われてきたことで、結局、大きな事件が起きないと動かないという日本の現実が露呈しているだけである。


このニュースでは、日雇いがなければ困る、望んでやっている、という意見を聞け!といものだが、まったく問題の本質を理解していない。


問題は個人のリスクではなく、社会のリスクなのだ。

堅い言葉で言えば“人権”の問題だ。


労働ダンピングによって平等権が侵害されるのはもちろん、人がモノと同等に扱われることによる精神的作用がもたらす弊害は、長期的な社会構成の上で大きな損失を招くことになる。

これは治安にも影響し、社会衛生的にも不健康な状態におかれる。


資本主義の中では、こういった規制緩和で「金>人」という図式が進むことは必然であるから、政府が介入する必要がある。昨今の金融におけるマネーゲームを見ればわかるだろう。

もはや人間の尊厳よりも金が重視されるのだ。

たとえそれが必然であるとしても、欧米には宗教的アイデンティティに支えられた“社会”が存在する。

日本の社会は“底が抜け落ちている”、すなわち、宗教的アイデンティティがないので、自己を支えるものが脆弱で、崩壊しやすい。

これが昨今の不可解事件の裏に潜む一つの要因でもある。


そういう意味で、派遣労働は一部の専門的業種に限ると言う1999年以前に戻すことが、少なくとも社会システム理論上、妥当だと言えるのだ。



自分探し、
これは誰もが一度は意識することだと思う。

しかし解決に至らずに、つまりは不透明なまま風化していってはいないだろうか?

風化できるということは、それが生きることと(厳密には生きていられること)は乖離してしまっていることを意味する。

それが生産から消費へ、豊かな時代、即ち、『成熟社会』

1970年がその過渡期であったと言われる。


これ以降、脆弱なアイデンティティを支えていた共同体システムが幻想となり、自分の存在が風化しても、新たな存在を少数の共同体で維持されれば形を変えて再生産できることを知り、それを無意識にも実行できるものは複雑系に対応し、できないものはうつ病になったり、脱社会化することになる。


自分が社会の中で不透明であっても、このようなバーチャル空間、つまりネット社会が携帯を通して(ほぼ全ての国民が)リアル化したことは、それほど問題視しなくてよいようにもなった。


しかし、これは大変な落とし穴があろう。

ネット社会のリテラシーが浸透されなければ、より不透明にならざるをえない。

不透明なままでいられる人は問題ないが、透明を求める人には絶望的だ。


自分の存在理由を求めたい人は、ネット空間に依存してはいけない。

自分探しは、自分の足で確かめるのだ。



ニュースの記事はコチラです↓
http://www.recordchina.co.jp/group/g24363.html

日本で援助交際がはやった時代は14、5年前か。
それこそ私が高校生のときだ。
バブル経済が怪しくなってきた時代だ。

高度経済を達成した70年代の日本は、共通目的(認識)の崩壊で社会システムの転換期であったが、近代思想が育たず、アメリカ追従から脱することができなかったため、その矛先が「学校」へむけられた。

いい大学へくことがいい人生の絶対条件であるがごとく、特に核家族化した中の専業主婦は、人格形成を思考する前に、学校第一を子供に植えつけた。

そこから脱落したものは、今で言う“負け組”として扱われ、“親の期待に応えられなかった子”として悲惨なトラウマを刻印される。

上昇志向は良いが、それから脱落したものを救う社会(セーフティネット)が、「学校化」の中で育まれず、かくして彼らは家庭での帰属を失い、不安定になる。
家と社会が“負け”を烙印する時代において、彼らはどこに居場所をみつけるだろうか。

金だけではない、援助交際をするものは、もやもやした鬱屈と、心の帰る場所が無い、もしくは不確かなものが、その他の複雑な要素もあいまって行う。
都市部と地方では、その性格は次元を変える。

香港で援助交際が問題として浮上しているようだが、
経済が発展し、世代間における認識の隔たりが大きくなると、前提となる自明性が崩れ性は乱れる。

ある種必然性をもったもので、それらを包摂できる社会が、やはり必要とされるのではないか。