結婚、離婚の話題が尽きない芸能界。かつてはそれを揶揄するのは週刊誌やテレビの仕事であったが、昨今はネットが生々しくてリアルだ。
リアルというのはもちろん真実という意味ではない。
フィルターのかかっていない意見の表出が簡単に出来るネット世界ゆえに、もはや出版社やテレビ局が介在した表出はどうでもいいものになりさがる。
これはゴシップ報道に限ったことではなく、全体を覆っている。
旧来のマスメディアは既に成り立たなくなり、かといってネット社会が豊かな言論の場として機能しているかと言えばまだまだ途上段階だ。
メディア乱立状態だが、過渡期としては仕方がない。
そしてこの状態がどちらかに傾くまでにはもう少しの時間が必要となる。
それは世代間共有が細分化されたことで、これから今しばらく今までのテレビでも新聞でも雑誌でも、規模は小さくなれどやってはいける現状があるからだ。
しかしこの先を考えて手を打たないと、確実にかつての力を持ったマスメディアは崩壊しよう。
ネット社会も同じことで、その世界を牽引する者たちが、日本のおかれている現状に対する深い洞察と理解がなければ薄っぺらな言いたい放題の自由に歯止めはかからない。
社会的発言にはリテラシーが要求するされるが、民度レベルの問題とも重なり、ネット社会において豊かな土壌を形成することが日本ではまだまだ難しいように感じる。
一見強度のある表出に依存しているようで、意味の薄っぺらな表現が背後にあると、表出の偶像が崩れたときにそのものの実存までも奈落の底に落ちる。
その傷は深く、険しい。
現代が抱える病、鬱もまた複雑で多用だ。
まだまだ未成熟な精神医学が抱えられる部分は意外と少ない。
脳というドグマが全て解明されなければ、鬱もまた解けない。
近代人にとって大きな課題だ。