男と女、生物学的にはこの2つしか性がないことになっている。
しかし染色体異常や環境によって第3の性が承認される世の中となった。
つまり、科学の進歩が性同一性障害を証明したということだ。
一昔前までは異常と思われていたことが、アカデミズムの承認によって180度変わるのだ。
しかしそれを自分自身の中で消化できるかは別問題だ。
だから争いが起こる。
ささいな喧嘩も同じ原理で、何をもってその人たるかが、時代によって、社会によって異なってしまうのだ。
そう考えると二つの性についても社会によってその様相は大きく変える。
単に性器の違いだけではなく、社会的役割の変遷と自意識、世代間共有の認識によって恐ろしく多様性を見せているのが現代社会なのである。
その複雑系は現代日本の教育システムでは多くのものが認識できない。
少数の分かり合える奴と小さなコミュニティを築いて満足する。
正確には満足ではなくて、安心を得るだけなのだが・・・
人は他者から、もしくは社会的に承認を得ないと心が落ち着かない存在だ。
宗教的大きな世界観がない日本にとって、共通目的を失ったポストモダン時代がもたらす影響は、島宇宙化による帰属の転化による不安の解消となる。
昨今のSNSもその一端を握る。
SNSの当初の動きはかなり自由度があったが、多くの人が参加するにしたがってその効用は反比例し、身近な集まりという閉塞空間を作り出してしまう。
それは一民族日本たる現象である。
本来求められるコミュニケーションが機能しない。
しかし企業はアクセス数の名の下に誇大な宣伝費を儲けることができる。
中身が伴わない経済社会。
それを空洞化世界という。
先の日記に登場した涼宮ハルヒの世界では閉鎖空間とう概念が出てくるが、まさしく日本的だ。
現代小説を読む気がしない。それはことに純文学が純文学足りえない時代となった証だ。
それを嘆いて復古主義になるつもりはなく、むしろライトノベルでもなんでもしっかり評価したらいいだけのことで、アカデミズムの役割が終わったことを認めない既得権益者が、日本の表層を建前で覆い隠している。
虚無はそういった中で生まれる。
若い者はその虚無の深遠に迫ることが今の教育環境では難しい。
だから脱学校化する。
しかし親が自分の過去と等価に現代を認識していると、軋轢が生じる。
かくして子供は脱社会化する。
そして何かのきっかけでとんでもないことをしでかす。
現代の理解不能と言われる犯罪の深遠は簡単に言うとそんなところだ。
これはマジメに怖いことである。
通り魔的犯罪がいつでも起こりうる可能性が確実に増えていることを意味する。
前までは精神異常者扱いし、そのあとは性格異常という人格障害とした。
しかしそうでもない人が無差別殺人を起こすようになった。
もはや旧社会的権益の構図はマイナス要因にしか働かないことを、オヤジたちは痛感するべきだ。
男社会が規定してきた規範を変えることは、男にとって死活問題にもなる。
しかし、冷戦崩壊後の混沌を事なかれ主義で済ませた時代は去った。
男が情けなくなり、ストーカー的粘着が増大し、勝手な自意識を振舞える時代は終わっている。
女は柔軟だ。
不倫は一つの自己防衛手段でもあるが、自意識が大切だ。
同調主義的に、他の人が結構やっているから、というだけで冒険するにはリスクが多すぎる。
認められるのは自分が自分であることに必要だという意思があるかどうかだ。
日本の男は辛い選択を迫られているが、必然である。
男社会の特権を捨てることを拒絶する人の割合が減るころに、社会は大きく変わるはずだ。
女も男も新時代の幕開けを自意識の中に刻まれれば問題ない。
難しいかもしれないが、急速に進むコンピュテーションの社会は、恐らくその世界観を否応なく提示するだろう。
男よ、素直になれ、おまえは決して強くない。
社会に強さを与えられていただけだ。
マッチョイズムは終わる。あのアメリカでさえチェンジを余儀なくされた。
これからは女の時代だ。
しかし女は女でかつての男社会の代替機能を目指すのではいけない。
フェミニズムの達成はそんなことではない。
女も自意識に目覚める必要がある。
若い世代は既に当然のごとく感じている感覚を、どの程度理解できるかが鍵だ。
目まぐるしい速さで世代間の認識の格差が広がっている。
日本の未来は今後どうなるのか・・・
しかし染色体異常や環境によって第3の性が承認される世の中となった。
つまり、科学の進歩が性同一性障害を証明したということだ。
一昔前までは異常と思われていたことが、アカデミズムの承認によって180度変わるのだ。
しかしそれを自分自身の中で消化できるかは別問題だ。
だから争いが起こる。
ささいな喧嘩も同じ原理で、何をもってその人たるかが、時代によって、社会によって異なってしまうのだ。
そう考えると二つの性についても社会によってその様相は大きく変える。
単に性器の違いだけではなく、社会的役割の変遷と自意識、世代間共有の認識によって恐ろしく多様性を見せているのが現代社会なのである。
その複雑系は現代日本の教育システムでは多くのものが認識できない。
少数の分かり合える奴と小さなコミュニティを築いて満足する。
正確には満足ではなくて、安心を得るだけなのだが・・・
人は他者から、もしくは社会的に承認を得ないと心が落ち着かない存在だ。
宗教的大きな世界観がない日本にとって、共通目的を失ったポストモダン時代がもたらす影響は、島宇宙化による帰属の転化による不安の解消となる。
昨今のSNSもその一端を握る。
SNSの当初の動きはかなり自由度があったが、多くの人が参加するにしたがってその効用は反比例し、身近な集まりという閉塞空間を作り出してしまう。
それは一民族日本たる現象である。
本来求められるコミュニケーションが機能しない。
しかし企業はアクセス数の名の下に誇大な宣伝費を儲けることができる。
中身が伴わない経済社会。
それを空洞化世界という。
先の日記に登場した涼宮ハルヒの世界では閉鎖空間とう概念が出てくるが、まさしく日本的だ。
現代小説を読む気がしない。それはことに純文学が純文学足りえない時代となった証だ。
それを嘆いて復古主義になるつもりはなく、むしろライトノベルでもなんでもしっかり評価したらいいだけのことで、アカデミズムの役割が終わったことを認めない既得権益者が、日本の表層を建前で覆い隠している。
虚無はそういった中で生まれる。
若い者はその虚無の深遠に迫ることが今の教育環境では難しい。
だから脱学校化する。
しかし親が自分の過去と等価に現代を認識していると、軋轢が生じる。
かくして子供は脱社会化する。
そして何かのきっかけでとんでもないことをしでかす。
現代の理解不能と言われる犯罪の深遠は簡単に言うとそんなところだ。
これはマジメに怖いことである。
通り魔的犯罪がいつでも起こりうる可能性が確実に増えていることを意味する。
前までは精神異常者扱いし、そのあとは性格異常という人格障害とした。
しかしそうでもない人が無差別殺人を起こすようになった。
もはや旧社会的権益の構図はマイナス要因にしか働かないことを、オヤジたちは痛感するべきだ。
男社会が規定してきた規範を変えることは、男にとって死活問題にもなる。
しかし、冷戦崩壊後の混沌を事なかれ主義で済ませた時代は去った。
男が情けなくなり、ストーカー的粘着が増大し、勝手な自意識を振舞える時代は終わっている。
女は柔軟だ。
不倫は一つの自己防衛手段でもあるが、自意識が大切だ。
同調主義的に、他の人が結構やっているから、というだけで冒険するにはリスクが多すぎる。
認められるのは自分が自分であることに必要だという意思があるかどうかだ。
日本の男は辛い選択を迫られているが、必然である。
男社会の特権を捨てることを拒絶する人の割合が減るころに、社会は大きく変わるはずだ。
女も男も新時代の幕開けを自意識の中に刻まれれば問題ない。
難しいかもしれないが、急速に進むコンピュテーションの社会は、恐らくその世界観を否応なく提示するだろう。
男よ、素直になれ、おまえは決して強くない。
社会に強さを与えられていただけだ。
マッチョイズムは終わる。あのアメリカでさえチェンジを余儀なくされた。
これからは女の時代だ。
しかし女は女でかつての男社会の代替機能を目指すのではいけない。
フェミニズムの達成はそんなことではない。
女も自意識に目覚める必要がある。
若い世代は既に当然のごとく感じている感覚を、どの程度理解できるかが鍵だ。
目まぐるしい速さで世代間の認識の格差が広がっている。
日本の未来は今後どうなるのか・・・