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http://www.recordchina.co.jp/group/g24363.html

日本で援助交際がはやった時代は14、5年前か。
それこそ私が高校生のときだ。
バブル経済が怪しくなってきた時代だ。

高度経済を達成した70年代の日本は、共通目的(認識)の崩壊で社会システムの転換期であったが、近代思想が育たず、アメリカ追従から脱することができなかったため、その矛先が「学校」へむけられた。

いい大学へくことがいい人生の絶対条件であるがごとく、特に核家族化した中の専業主婦は、人格形成を思考する前に、学校第一を子供に植えつけた。

そこから脱落したものは、今で言う“負け組”として扱われ、“親の期待に応えられなかった子”として悲惨なトラウマを刻印される。

上昇志向は良いが、それから脱落したものを救う社会(セーフティネット)が、「学校化」の中で育まれず、かくして彼らは家庭での帰属を失い、不安定になる。
家と社会が“負け”を烙印する時代において、彼らはどこに居場所をみつけるだろうか。

金だけではない、援助交際をするものは、もやもやした鬱屈と、心の帰る場所が無い、もしくは不確かなものが、その他の複雑な要素もあいまって行う。
都市部と地方では、その性格は次元を変える。

香港で援助交際が問題として浮上しているようだが、
経済が発展し、世代間における認識の隔たりが大きくなると、前提となる自明性が崩れ性は乱れる。

ある種必然性をもったもので、それらを包摂できる社会が、やはり必要とされるのではないか。