18年前、8月に同期会があり、

忙しい中、友人に夕食の寿司を握るのを頼んで、

同期会へ参加しました。


その後は、諦めていましたが、

今回は幹事の笹川君が剣道部の誼で

お客さんがいない、11月に開催してくれたので、

参加出来ました。


石神井高校との繋がりは、

実は宿を初めてからが強くなりました。

霧多布里を始める前は、

宿には全く素人だったので、その頃超有名だった、

サロマ湖の「船長の家」で3年半、

厳しい修業の日々を過ごしました。

船長の家、ヘルパー時代


その船長の家の常連の一人が、

霧多布里を始める年の4月から、

石神井の教師になるというのです。

後に黒川先生になったクロちゃんです。

一番左は、クロちゃんの後輩のトッツアンで、西円の菅井ちゃんの中学の同級生

クロちゃんが最初に来た時!

クロちゃんが、日直だというのを良いことに、

石神井の校庭で遊びました。

その頃は毎年、

11月は親のいる田無に帰っていたので、

石神井へ顔を出し、

3年の担任だった小林先生とクロちゃんと3人で、

武蔵関の「鬼無里」でよく飲みました。


クロちゃんは、最初の夏に泊まりに来て、

その後地理の授業を良いことに、

半分脱線して北海道の話をして、

そのまた半分霧多布里の話をしてくれました。


そのおかげで、一回り下の代までは、

多くの卒業生がお客として、

手伝いのヘルパーとして霧多布里を訪れてくれました。

石神井出身のヘルパーが写った写真!

 

今でも、東京の飲み会では、顔を合わせることがあります。


ホームページに、石神井出身と書いていますが、

中にはそれを見て来てくれた卒業生の方もいました。


友人のミュージシャンの関係で泊まられた

八木のぶおさんも、

 

 

話をしていたら、石神井出身だと言っていました。


剣道部の繋がりも結構あります。

1つ下のアメリカ在住の高橋君は、

帰国時に泊りに来たり、

黒菱山荘に長年関わっている浦川君も泊りに来たり、

飲み会で会ったりしています。


同窓会に先立ち、

前日にはナボナ会のメンバー3人―成・ゴッチョ・今泉―と、無くなった青を偲びながら、飲み会をしました。

この下の写真には、

田無の家での集まり―ナボナ会―の様子で、

米や亡くなった青も映っています。

他にも、石神井関係が多数ね。


当日、会場ではお客さんのナボナ会の3人や大西君に会え、

最近毎年泊りに来てくれている(旧)榊さんには、

会えませんでした。

船長の家にいた時、仕事で現れた矢崎君も、

強く記憶に残っていました。

 


3次会のカラオケでは、

年に1度釧路の飲み友達とカラオケで飲むくらいなので、

つい調子に乗って一杯歌っちゃいました。

最後は、成と少し飲んで、

カプセルホテルへ何とかたどり着きました。


超楽しい時間でしたが、出来れば、

もう少し一人一人と話がしたいというのが本音ですね。

是非、霧多布里へ訪れてほしいな。

30年来飲み続けている、

美味しい五人娘を片手に、語り合いましょう。