西の魔女が死んだ (新潮文庫) 529円 Amazon |
平成25年6月10日第85刷
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。
西の魔女が死んだ
渡りの一日
友人が「西の魔女が死んだ」のエピソードを教えてくれました
主人公のまい(中学1年生)がおばあちゃん(西の魔女)に「おばあちゃん、大好き」と言うと、おばあちゃんは「アイ・ノウ(I Know)」と答えると。
普通なら「ありがとう」とか「うれしい」と答えると思うのですが「知っている」とはどういうことなのでしょう?
この疑問を考えていて、おばあちゃんは自分に相当な自信をもっていると思うようになった。
何と言っても魔女ですから。
何でもお見通しで何でもできまるのですから。だから些細なことに心を動かされる(動揺する)こともありません。
その自信ゆえの「アイ・ノウ」なのでしょうか…
彼女は魔女であるために、嬉しいことにもそうでないことにも心を必要以上に振るわせることなく冷静でいられる。
まいのママ(すなわち祖母の娘)はそれに反発して生きてきた。
おばあちゃんが「女性は家庭にいるべき」という家庭的な人なのに対して、ママはキャリアウーマンとして生きている。
ことあるごとに反発するため、娘のまいの前でもその姿を見せてしまう。
まいはそれを見たくないため少し距離を置く…
ある日、西の魔女が死んだ。
まいとママが、身体から魂が離れたおばあちゃんの家に駆けつけたとき、ママは「まい、悪いけれどしばらく台所へ行っていてちょうだい」と言う。
まいが台所へ入ったそのとき、まいは聞いた。
爆発するようなママの鳴き声を。
ここは感動のワンシーンだ
この物語には感動シーンが2つある(とみやちゃんは思う)。
以下はネタバレになるのでご承知願いたい。
まいには死生観がある。
そのためパパに「人は死んだらどうなるの?」と尋ねてみたが納得のいく答えを得られない。
だから魔女であるおばあちゃんなら明確な答えをくれそうだと同じことを尋ねる。(この時、まいはおばあちゃんのもとで魔女修行をしている)
おばあちゃんは「わかりません。実をいうと、死んだことがないので」と冗談を言いながら、人は魂と体で成り立っていることを説明する。
それは、身体のことを〝空魂〟という思想そのものです。
そして、言うのです。
▷「おばあちゃんが死んだら、まいに知らせてあげますよ」(P.124)
▷「まいを怖がらせない方法を選んで、本当に魂が身体から離れましたよって、証拠を見せるだけにしましょうね」(P.124)
爆発するようなママの慟哭を聞いたまい、台所でふとおばあちゃんとの思い出深い〝台所の汚れたガラス〟に目をやった。
その薄汚れたガラスには、小さな子が遊んでやるように指で何かを書いた跡があった。
そこにはこう書いてあった。
▷ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ(P.190)
魔女は声にならない声を聞ける。
魔女は自分が心の底から聞きたいと願う声を聞くことができる。
まいはおばあちゃんと意見の衝突があってからの2年間(家族のもとに戻ってから2年間)言えなかった言葉を叫んだ。
「おばあちゃん、大好き」
すると台所いっぱいにおばあちゃんの声が響いた。
「アイ・ノウ」と。
ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ