「番外編」 異端者たちの中世ヨーロッパを読んで(part3)

 

前者がコンヴェントゥアル派,後 者が聖霊派である。この論争のなかで主要な位置を占めたのが,財の使 用における貧しさがなければ清貧の名に価しない,として聖霊派の理論 的支柱となったペトルス・ヨハンニス・オリーヴィであった。この世の 財への執着を捨てることで霊的に自由になることができると説いたオ リーヴィの影響力は強く,修道会のみならず,キリスト教世界全体をゆ るがす事態に発展する。すでに 1280年代には両派の対立は激化してお り,1309年には教皇が介入するほどであった。さらに,1316年,新たに 教皇に選出されたヨハネス 22世のもと,清貧の象徴である「短い僧衣」 をきた聖霊派の 61人が名指しされてアヴィニヨンの教皇庁に召喚され, 主流派の清貧の解釈をのむことをこばんだ 20人が異端審問にかけられ るが,事態は,不服従を貫いた5名が異端とされ,1名が終身禁固刑に, 残る4名は火刑に処せられるという衝撃的な結末を迎える。

 

そしてこれ に続いて,聖霊派の残党と聖霊派に共感していた一般信徒などベガンに 対する異端審問の火ぶたがきっておとされることになったのである。 教会にとって聖霊派が脅威だったのは,彼らの間に聖霊の時代の到来 を予言したヨアキムの教説がひろまっており,彼らこそが,聖霊の時代 を切り開く修道会であるとの待望論が一般に広まったためであった。こ の教説の盟主がオリーヴィであり,その影響力は彼が 1298年に没する や,ただちにオリーヴィ崇敬の熱狂がおきたほどであった。オリーヴィ 自身は,ローマ教会を富と権力におぼれた肉的教会とみなしながらも教 皇の権威を否定はしなかったと考えられている。しかし,ベガンはオリー ヴィの想定をもこえてローマ教会は霊的教会にとってかわられるべきと みなしはじめていたから,ここに教会改革の一線がこえられ異端への道 が「選ばれる」ことになった。 第5章キリストのための戦いでは,再び異端概念に戻り,宗教運動か 128 藤女子大学キリスト教文化研究所紀要 らうまれた選びのすそ野に広がる不服従の異端に目がむけられる。

 

ここ で小田内は,不服従の異端の地平では,異端の内実よりも教会との権力 関係が一層重要な意味をもってくることを指摘し,政治的な理由で異端 とされた例を紹介する。1140年代から 1230年代までに,教会は物理的暴 力と象徴的暴力とを結び付けることによって,迫害の心性を組織化する ことに成功した。そこに紡ぎだされるのは反逆罪という権力の悪夢であ り,異端の危険は主のぶどう畑を荒らす子狐としてアレゴリー化され, 異端者の禁欲はイマジネールの中で逆転されて,近親相姦・同性愛・自 慰など性的なタブーを侵犯する者となり,キリスト教世界を穢すものと なった。 終章では,中世にも様々な可能性のあったキリスト教に思いをよせな がら,中世の異端の歴史の波紋をまとめる。

 

異端審問制度の創出は,中 世をこえてヨーロッパの発展を内部から規定することになったし,オ リーヴィを崇敬し,そのヴィジョンに従ったベガンの悲劇は教皇の至上 権に対する根深い不信感をあとに残すことになり中世キリスト教世界の 統合のゆるやかな解体の歩みがはじまることになろう。17世紀までに世 俗国家は最終的に教会から分離し,教会は社会のイデオロギー的統制の 表舞台から撤退した。それとともに,異端という言葉からも迫害を生み だす力が失われ,カトリック批判の文書の方がカトリック側の文書を量 的に凌駕するといった現代における言語状況には中世とは隔世の感があ る。 以上が本書のおおよその内容である。トポス,アポリアなどの一般に なじみのあるとはいえない用語を多用する著者の論理展開を限られた紙 面でどれだけ紹介できたかは心もとないが,聖霊派=ベガンのようにこ れまで,国内ではほとんど紹介のなかった異端の内実について最近の欧 米の研究を摂取して紹介してくれているのはありがたかった。異端研究 には,異端者側が残した史料がほとんどないという史料上の限界があり, まとめるのが困難とみなされてきたが,言語論的展開とよばれる人文諸 科学における方法論上の展開をへて近年異端研究は盛況を呈している。 本書は,そうした近年における欧米の研究を積極的にとりいれており, さらにトポスという概念を持ち込むことで,正統と異端の間で共有され ていた信仰と教会のあり方に関する矛盾と葛藤やその解決の仕方を描き, 上條:書評 129 それをもって中世にカトリック教会と異端の間でくりひろげられたドラ マを描き出すことに成功している。

 

これは従来の異端に関する概説書が, ともすれば異端の教説の網羅的解説に重点を置く傾向にあった事に照ら しあわせると斬新な試みといえるだろう。最近の研究を摂取することで, 従来の研究で常識とされていた説を書き換えている部分も少なくない。 ヴァルデスが商人ではなく,リヨン教会の管財人であったとした箇所な どである。ベガンについては長くまとまった研究がなかった。紹介した ことそのものが功績といえよう。しかし,従来の研究を書き変えようと するあまり功を焦ったと見られる箇所がないでもない。カタリ派につい ては我が国でも渡邊昌美氏による堅実な研究があるが,そこでも語られ ているカタリ派教会を著者がいうように否定してよいものかどうかは疑 問が残った。また副次的な問題であるが,日本語が咀嚼されていない箇 所が見受けられる。303頁の異端的主体はわかりにくい。