BCLの昔話 | 中年ブロガーとその生活

中年ブロガーとその生活

ラジオや無線が趣味のおっさん
運転免許に続き、ついにJN1WFSの局免が失効してしまった

多趣味で飽きっぽいと言われる私ですが、

少年期から電波・通信機に関する趣味は

途中途中休みを挟みながら40余年に及ぶ

最も長い趣味になりました。


きっかけはとても単純です。


学研トランシーバーのラジホーンシリーズ
の存在です。
初見は幼稚園児くらいの頃で、近所の
小学生のお兄さん達が遊んでいるのを
カッコイイなぁと思って見ていました。

このトランシーバーは、27.125MHzを
使ったもので、非常に微弱で、見通しでも
200mも届かないようなシロモノです。

現代の420MHz帯の特小トランシーバーが
見通しなら、2km以上飛ぶことを考えると
ラジホーンは本当の玩具です。
これは小学生になってから買って遊び
ましたが、子供心にも「飛ばねー」と
思っていた記憶があります。
良い点は、シリーズで共通して同じ
周波数なので、友人のラジホーンと交信
できる所でしょうか。

それから5年ほどたった頃、
家でラジカセを買おうということになり
電気屋に来てもらうことになりました。

当時は現代のような家電量販店はなく
地元商店街にある小さな電気屋から、
家電を買うのが一般的でした。

おすすめのラジカセを2台持ってきて
もらって、気に入った方を買うことに
なっていました。

片方がなんだったのか忘れてしまい
ましたが、2スピーカーの大きな
ステレオラジカセで、もう片方がこちら
でした。

SONYが誇る傑作機のCF-5950です。
Skysensor ICF-5900の後発で5900の
まんまラジカセ版です。
ただし、各部の高級化が進められており
パネルはアルミの黒塗装です。

まったく性格の異なる2台でしたが、
見た目のメカメカしさに加えて、親が
SONY贔屓だったこともあって、
CF-5950に一発決定したのでした。

今見ても、単純にカッコイイですよね。
大柄なので、持ち歩きには向きませんが、
いかにも、な佇まい。

しかし、3日ほどで納品されましたが、
しばらくは使い方が分からず、家の中で
鎮座していました。

契機は、その辺りから「ラジオの製作」誌
(以下、ラ製)を購読するようになり
BCLのコーナーをよく読むようになった
ことです。
日本語放送の海外放送のページを開き
「これは、このラジカセで出来そうだな」
と思い、取説を引っ張り出して、
チューニング方法を覚えました。

最初に目を着けたのは、北京放送。
これは適当にいじっていた時に偶然に
受信した放送で、何か得体の知れない
凄さを感じたためです。

メインダイアルを250KHz単位のクリスタル
マーカーで同調。
スプレッドダイアルで250KHz内の同調を
行います。スプレッドダイアルは10KHz単位
の目盛りが付いた直読タイプ。

この当時はすでにICF-5900、RF-2200、
RP-2000Fのアナログ直読機の御三家時代が
終わって、松下のプロシードシリーズなど
デジタル表示の時代でしたから、
やや時代遅れな方式でした。

周波数を北京放送に合わせて、待ち受けます。
チューニングはJJYでリハーサル済。

さあ、時間だ。ドキドキします。
そして、放送開始のインターバルシグナルが
スピーカーから響き渡りました!

やった !! すげぇ~!

中学1年生の終わりのころのことです。
こうして、私のラジオライフは始まるのです。


この後、やはり偶然受信したアマチュア無線
の交信とか、違法CB無線などの影響を受け
自分でも電波を出して、遠くまで飛ばしたい
という欲求が出ました。
まずはお手軽な市民ラジオから入り、
電話級アマチュア無線技士免許を取得して
数年運用したあとしばらくQRTになり、
40代後半にして、念願の1アマ免許を取得
して今日に至ります。

もっとも、オールバンド・オールモード機を
所有し、10MHz帯、14MHz帯を免許され
ながら、430MHz帯以外は運用することが
ありませんでした。