私ばっかり大変なのに、誰も労わってくれない。
それなら自分で自分を労わろうよ。
そもそも自分は自分のことを労わっていますか?
週末の夕方6時。
子供たちはリビングでごろごろしながら各々ゲームやYoutube。
パパ、ソファにごろん。
子ども達の手元から発する電子音にも負けない大音量のいびき。
私、キッチンで玉ねぎ刻んでひき肉をこねてる。
リビングでくつろぐ家族からは、見えていないみたいな私。
疲れてるのかな。
バイオリズムの関係かな。
いとも簡単に自分に無価値感を感じてしまう。
誰かじゃがいもの皮をむいてくれないかな。
誰の耳にも入らない。
どうして誰も私を見てくれないのかな。
自分で埋められない無価値感を、誰かに埋めて欲しくなる。
承認欲求。
みんなはゴロゴロしている中で、私一人夕飯の支度をしているのに。
一人キッチンに立つ私を評価してくれないのかな。
労わってくれないのかな。
ご飯をつくることを放棄してみようか。
でも
そんなことしたら夕飯はどうなる?
子ども達が寝るのが遅くなる?
そしたら明日の朝、起きるのが大変になる。
起こして急かして世話して、結局私が大変になる。
だから夕飯をつくることを放棄したくてもできない。
ん?
私を労わってあげていないのは家族じゃない。
私自身?
先回りして感じてしまう不安を解消するために
自分の本心を後回しにいているのは私自身だ。
家族から大事にされても根本は満たされない。
自分を大事にしていないのは自分自身。
夕飯が遅れて就寝が遅れて朝起きるのも遅れたらどうなるか。
私一人が考えることじゃない。
私一人でどうにかしようと思うから、家族もそれが当たり前になる。
朝起きるのが遅れたらどうなるか。
朝ごはんが食べられないだけ。
朝ごはん、一食抜くぐらいなんてことない。
遅刻する。それだけ。
遅刻しても、世界が終わるわけじゃない。
無価値な人間なんかじゃないよ。
休みたいなら休んでもいいよ。
ひき肉、こねるのをやめてお風呂に入ろう。
私も実はちょっと疲れてるし、お風呂でゆっくり休んで、それでやる気が出るのなら夕飯の支度すればいい。
休みたいときは休む。
遅れたからみんな協力してねって、笑えるように。
子供の頃の私は、自分の悲しさや苦しさを表現すると、親からは悲しい顔をされたり叱られたりしてた。
自分の気持ちを表現して共有してもらうことがヘタになった。
自分の気持ちを抑えているうちに、自分の本心がわからなくなった。
抑え込んだ気持ちはイライラや怒りになって時折爆発する。
自分の気持ちと向き合うこと、簡単じゃない。
まだまだ練習中
そしてそして
じゃじゃん!
こんなお手紙が秋に届いておりましたーー!!
奇跡!
ミラクル!
「予想外すぎて驚いた出来事」の中では、40数年生きてきた中で1番なんじゃないかと思うくらい驚きました。
手探りです。とにかく手探りですが、調べて読んで調べて読んで調べて読んで!
何をどこまで出来るか未知ですが、新たな自分と出会える期待感でいっぱいです!
せっかくいただいたチャレンジする機会、楽しみます!
ほっと一息のお供に仲間入りしました。
はちみつ紅茶、おすすめです。
こちらは何年もリピートしているアソート
今日は何を飲もうかな。フレーバーを選ぶ瞬間も癒しです。
こちらは最近見かけて気になってます